February 16, 2008

「戦争の悲しみ」

「戦争の悲しみ」読了。
記憶している以上に内容の分厚い本であった。

裏表紙のサインを見ると、
私がバオニンさんのお宅にお邪魔したのが2000年の9月とあるから、
すでに7年半もまえのことになるようだが、あのとき私はこの小説をきちんと
読み込んでいなくて、カラオケ屋がわきにある、うるさく蒸し暑い部屋で
気を散らせながらざっと通して読んでおり、「戦争文学」というジャンルに属する小説なのだと
思っていた。―ベトナムの戦争の悲劇を描いた作品。

実際には戦争というある時代がえぐりだした人間の悲劇や美しさを、
人間の内面を深く描かれたすばらしい作品で、また歴史とその時代に生きる
人間とは不可分であることの真実を巧みに語っている。
今回読み直して深く感動。

バオニンさんを訪ねたときに「戦争を知らない若い世代に
戦争の体験を語り継ぐ、そのことは必要だと思われますか」と尋ねた私に
彼は悲しそうな顔で「いや、もうこんなつらいことは、知らないほうがよいのです」と
簡素におっしゃっていた。

それから「今のベトナムは、今日より明日、明日より明後日と、
よりよくなっていく、ということのようですが、そのことがはたして
いいことなのか、どうかはわかりませんね」と笑顔でおっしゃった。

通訳を頼まれてくれたハノイ師範大の女子大生がそれを聞いて
「政治のことはね、私たち若い世代はちっともわかりませんよ。‘おまかせ’っていう感じです」と
これまた屈託なく笑ってあとを引き取った。

彼はその後明るい、でも少し真剣な顔で、同行の日系企業のハノイ支店の
支店長さんに「ところで、息子は大学生なんだけれど、日系企業での勤め口はないだろうかねえ」と
話題を変えて、なんだか拍子抜けしたものだ。

今投資ブームだというけれど、ベトナムの人は変わっただろうか。
ハノイの人の生活は変わっただろうか。ホアンキエム湖のまわりは
どんな様子だろう。はがき売りの子どもたちはまだいるのかしら。
タイビン、私の過ごしたあの田舎の人々はどうだろう。

会う人会う人が日本人である私に「ベトナム、ゲーオラム」(ベトナムは貧しいよ)と
言ったり、街を歩いていると「コーティエン(金持ち)」とたくさんの人に言われたり、
身につけているものの値段を執拗に尋ねられたり(これはベトナム人の癖みたい)、
身の上話はすぐに援助云々の話になるしで
やり取りのあれこれがすぐに金銭的価値の話になるので、
ものごとがうまくいかない時分にはひどく暗い気分になったものだが。

大学生のときにバイトしていたバーのお客さんにベトナムの話をしたら
「ベトナム→中国→シンガポール→東京→ニューヨーク→ヨーロッパ、と見て歩くと
人間の進化の過程を見ているようですよ」と言われてほほうと思ったけれど
世界がこれだけ破綻を示しているなかでもはやそのことが正しいとは
誰にも言えないような気がする。

多くの文化がひとつの土台のなかに流れ込みとても混乱していて、
そのなかのあらゆる変化に見込みがある状態。
だからこそ自分の属する文化にしかと根づきつつも、
そこに横方向の大きな視点を持ち込むことが
前向きな創造力の源になるような気がする。

投稿者 chaco : February 16, 2008 12:00 AM
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