June 11, 2008

六ヶ所村へ行ってきました2

朝ごはんの後、花とハーブの里でスタッフさんやウーフの方と草取り。

自分の畑は「草刈り」だけだし、花苑ではポットのミクロな草をちみちみピンセットで
抜いたり、なので、背丈の大きい草をばんばん抜くのはなんだか新鮮だ。

どうしてチューリップなんですか?
と菊川さんに尋ねたら、菊川さんがUターンで帰郷して、就農しようとした時点で、生協でも六ヶ所村の農家とは取引できないと
言われたそうだ。

村産の野菜の放射能数値が実際に危険なレベルだという確固たるデータがないのに…
風評の厳しい現実…。

お昼ごはんに、牛小屋(といっても今は改装されて2階がゲストの宿泊スペース、
1階がチューリップまつり期間にオープンするカフェになってます)を
一緒に建ててくれたという近所の大工さんが来ていたので、
みんなでごはんをいただいた。

まきちゃんが

「この辺りの郷土料理というか、昔からある保存食とか、どんなものがありますか?」

と尋ねたところ、大工さんはしばらく考えていたが思いあたらない風で、
少し間を置いてから、

「この辺り、開拓で入って、昔はその日食えるか食えないかってなもんで、
なにしれ食べるものなかったでさぁ。特にそういうもの…記憶にないけどな」

とおっしゃっていた。

六ヶ所の歴史として菊川さんに教えていただいたが、
この辺りは戦後に開拓された土地だという。
そこへ高度成長期に石油コンビナートを誘致する話が持ち上がり、
当時やっと食えるようになりつつあった開拓民の人達も
苦労して開拓した土地を手放したくはなかったが、

“企業がくれば仕事に困らない”
“冬場の出稼ぎにももう行かなくてよい”
(↑これは殺し文句だったらしい…うちもお百姓だったじいちゃんが
冬場はずっと静岡まで出稼ぎに行ってたからわかるけど)

あげくは札束積まれて、テレビでも洗濯機でも冷蔵庫でも、
好きなものがなんでも買えて幸せな暮らしが手に入ると言われ、
自分たちの切り開いた土地を売り渡した。

が、その後オイルショックで、計画が頓挫し、誘致予定の企業は来ない、
土地を手放した農民に仕事はない、売却した土地は宙に浮く…。

そこへ核燃の話が持ち上がり、開発がされ現在に至るということ。

ときどき、村の人はたっぷりお金もらってるんだとか、
金に目がくらんだとか
(ひどいのになると六ヶ所村では電気代が無料だと思ってる人もいるらしい!)、
いやな言い方をする人がいるが、
自分が、家族が、子供たちが食ってけない状況のなかで
誰が村の人を責められるだろう。

第一六ヶ所のケースでは核燃施設の構想が上がった時点で
すでに土地の所有権は県にあったから、争うこともできなかった。
裁判は軒並み敗訴だったそうだ。

NOが言えない、他に選択肢のない状況を作って、開発を進める典型的な構造だ。

これは六ヶ所村に限ったことでなく、日本全国の原発やその他もろもろの大規模
開発、のみならず政府開発援助という名のもとに多額の借金を負わせ、
大規模プランテーションに小作農が取って変わられた途上国も同じ構造だ。
あたしたちはそういった原発の村や途上国の痛みの上にあぐらかいて生活してるんだ…。

昨日見た延々と続く単一作物、慣行農業の大規模農地と、
その間にところどころ見えた朽ち果てた農機具小屋の風景が、繋がった。


お昼ごはんをいただいて、原燃のPRセンターへ。

予約しておいたガイドつきで、館内を見てまわる。

入口のところで最初に自然界に存在する放射能というのが目で見えるようになっていて、

「自然界に存在する放射線量は年間平均2.4msv、
それに対して六ヶ所村の再処理工場周辺から放出される放射能は0.022msv、
紙一枚で遮断できる量であり、絶対に安全です」

と言い切るコンパニオン。

海に制限なく捨てている放射能のことや、試運転の段階で原発の
制限値の2800倍ものトリチウムが検出された日があったことなどには
一切触れない。

その後もお姉さんの

「絶対に安全です」

を何度も聞くことになる。

地震は?活断層は?

「絶対に安全です」

………。

高レベルの核廃棄物をガラス固化する工程の説明部分で、

「ガラス熔融するのに相当な熱量が必要になると思うが、
CO2の排出量はどれくらいか?」

と尋ねたらコンパニオンが

「調べて後でお答えします」

とのこと。

終わってロビーにいたらその人が来て、

「確認をしましたが、そのようなデータは公表されていません」

と言うので

「原発はクリーンなエネルギーというが、再処理の過程にもCO2排出されているの
ならその点加味して評価すべきでは?」

と返すと、

「再処理に必要な電力は(運営母体の)日本原燃ではなく、各電力会社が供給し
ているものですから、日本原燃には回答する義務がありません」

ととんちんかんな回答。

その後ご丁寧に

「こんな資料なら用意してございます」

と各発電形態によるCO2排出量を比較したグラフを見せて、

「この通り、原発では発電過程におけるCO2排出はゼロで、その他のCO2排出量は
全て輸送運搬など間接的なものです」

と言う。

ズッシリ重苦しい気持ちで趣味の悪い建物を後にする。
つらい、本当につらい…。


吹越烏帽子へ。

前の晩にりえさんたちに吹越烏帽子に行きたいというと、

「おお!六ヶ所の聖地へ…!どこで聞いたの?」

って言われたが、尚子さんが行く前に教えてくれた山。

すごいすごい天然林…
きれいできれいで、気持ちがよくて。

重苦しい気持ちがすうっと軽くなって、楽しくうれしくなだらかな道をゆく。

山の八分目くらい、急に傾斜がついて笹ヤブが目立つようになり、
そこを抜けると山頂まであと一息っていうあたりからガレガレの山に急変する。
そこで下界への景色が一気に開く。

振り返った私たちの目に飛び込んできたのは、
再処理工場、ウラン濃縮工場、風力発電のファーム…
それから太陽の光を反射してきらきら輝く海と山々の緑……。


何度もその景色を振り返ってはショックで言葉少なに山頂まで。

山の頂上には祠があったのでみんなで並んでお祈りをして、
それから大地に寝転んだら太陽の光がまぶしく、
風がすごく強くて自然の全てにすっぽり包まれたみたいだった。

それからまた景色を眺めたら泣けてきた。
つらいけど、これがここの現実…。
しっかりとこの風景を心に刻もうと思う。

吹越烏帽子にはどうしても行ってよかったのだと、下山しながら、
また今でもそう思う。

あのとき一緒にいた4人それぞれが、それぞれに何か大きいものと
つながっていてありがとうと思っていて、誰も口には出さなかったけど
みんながそのことを互いに知っていた。
あの感覚はきっと忘れないだろう。

生きる勇気がもりもりと出てきた。
…ありがとう。人のつながり、大地のつながり…。

六ヶ所温泉でなかよく汗を流し、沈む夕日を眺めて、道にもしっかり迷って、
花とハーブの里へ帰宅。

りえさんが親切にも苫米地さんに連絡を取ってくれて、
明日は十和田へ行くことに。

夜は12時近くまで、りえさんやまゆちゃんを交えていろんな話をした。
いい夜。

からだはくたくたで

「野菜食べ過ぎてうんこが緑だよ~」

と口々に言い合い、興奮を静めるように寝た。

投稿者 chaco : June 11, 2008 12:00 AM
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