おとついのこと。
10年くらい前に自分の身に起きたことと関係のある話をしていて、
じゃあ今の自分がそのときの自分になんか言うとしたら
なんていう?って聞かれて、ほう。なんていうのだろうなあ。としばらく
考え込んでしまった。
でもふと、今思うのは、あのときもそれからもずっとひとりで私は決めてきた。
なんでも。仕事のことや恋人のことや住む場所のこと、
誰と一緒にいるか、全部全部。台湾で仕事することもひとりで全部決めた。
あたりまえだけど、そこにほんとうに「偶然そういうふうになって」みたいな要素は
あんまり私にはなくて、いつでも結構きっぱりと「こうしたいから、これをやめて、
あちらにいく」みたいな来し方をしてきたなと思う。
人の意見も聞くけど(それに影響はされやすいけど)、でも最終的に
どうするかは、自分でなんでも決めてきた。
誰に止められても、自分がやりたいことはどうしてもやってきたし、
やめることもしてきたし。
ここで、初めて相手と一緒にいちばんいい方法を選ぶ、みたいなことを
やっているような、そんな感じがしている。
譲るということも学んでいる感じ。それは私には新しく、容易なことじゃないんだけど、
楽しくいることがだいじだから、がまんしすぎず、ストイックになりすぎず、
この人生をドライブしようと、そう思う。つくる、っていう感じに近い。
いっしょにつくること。
どこまでいけるか、いろんないろんなかせをはずして、その先にあるもの。
けちけちしないで、ひとりで小さくならないで、いっしょに楽しんで。
じわじわとだけど、そういうことを、始めようと思う。
ゆーこさんが、にこにこと「そうね~、茶子ちゃんもそろそろいいんじゃない」って
言ってたけど、そういうことかなって気が、自分ではしている。
昨日は、お好み焼き。
お好み焼きの鉄板をはさみながら、新しい家のテレビをどうしようかっていう話をする。
なんとなく、方向としては大画面のフラットパネルにしそうな感じ。
私、香港行けるかな。ここのところ、何かと出費。
昨日の中国語のレッスンで「月光族」って習った(月末=給料日前になると
すっかりお金を使い果たしている人のこと)けど、私がまさにそれで、
けっして収入が少ないわけではないのだけど、貯金がさっぱりできないのは
どういうわけだ。
熱かったのだろうか、熱いの苦手な彼があまり機嫌がよくなかった
(お好み焼きは好評だった)ので、ごはんを食べて早々に帰る。
じゃあ、今日は自分の家で寝るねってさらりといったらそれにはなんにも
言わなかったけど、それから「じゃあ明日は俺んちで寝よ」っていってて
うんうん、と思う。
最近は疲れていてちゃんと寝れない。
ゆうべ茨木のり子の詩集を開いたまま、(詩のおかげで、すこしキリリとしたまま)
寝てしまい、起きたら電気をつけたままの午前2時半だった。
それから4時くらいまで、なんとなくインターネットで時間をつぶしたり、
キッチンまできて、柚子(台湾では柚子、日本の文旦)をむいて少し食べたりした。
台湾の家で、キッチンに果物があって、しずかにでも確実に熟れてゆく感じは
いつでもいいなあと思う。南国の感じ。
自分の感じ方だと思うけど、日本というか、私の生まれ育った長野の家とは違う。
まあ、りんごとか、みかんだものね。空気もこんな濃密じゃなくて、さらっと、きりっと
かーんとしている、そういう感じ。
部屋は相変わらず、ごたごたとしたまま。
身動きがとれず、なんだか汚ない。
早く引越しを終えて、ふつうの、ゆったりした日々を送りたいものだ。