デジカメを失くしたかもしれない…どこで失くしたか、さっぱりわからず。
盗まれたり、落っことして液晶が割れたり、ほんとうに
私はデジカメに縁がないようだ。今度のはまだ買ったばかりで
とても気に入っていたので、ほんとうにがっかりだ。
午後から不動産屋さんをいくつも回ったが
貸家はほとんど出てなくて、これだっていう物件がなくて
なんだか落ち込む。荒れた指があまりよくならないこととか、
新しい仕事の面接が先延ばしになったこととか、
いろいろを想って少しだけ暗い気持ちになる。
何も決められない、そういうタイミングだ。
夜は白い野菜ともち粟でスープを作り、それからじゃが芋の味噌煮でパン粉焼きを作った。
野菜を切ったり、ことこと煮たり、オーブンで何か焼いたり、キッチンにいると
それでも平らかな気持ちになってくるものだ。
土曜日のTHE暖会に持っていく料理のレシピを考え始める。
バルサミコとはちみつでドレッシングを作ってみたらものすごくおいしくできた。
彼氏が同居している友だちについて表現するときに
「うーん、なんかね、彼は‘さび’な人ね」と言うので
「???さびしい人ってこと?」と尋ねたら
「ううん、違う、‘わびさび’の‘さび’な感じネ!」
とフツーに言われた。サビ……
ここのところ日本語がぐんぐん上達している彼だが、わびさびの解釈ってどうなってるんだろう。
この間も、けんかした後のごめんねメールの最後に日本語で
「ごめん下さい」
と書いてきたのでものすごく笑えた。惜しい!!
明日は豆の煮るので、豆たちを水に浸けた。
オーガニックの金時豆ってピンクがかったにじんだような赤紫ですごくきれいだ。
あっちゃんととむと、「しょっぱい、すっぱい、玉ねぎ」な料理がたくさん出てくる、ペルー料理の店へ。
オーディオが壊れているのか、CDが同じところで何度も何度も何度でも!繰り返し鳴るので
最初はびっくりしたが、しまいには笑いすぎてほっぺたが痛かった。
そしてとにかくも玉ねぎがどしこと皿に載ってくるので、
胃に刺激が強く、胃の存在をものすごく感じながらおしゃべりに嵩じましたとさ。
結局ペルー料理ってどんな料理なのかさっぱりわからないまま帰ってきたが、
食事は文句なしに楽しかったのでよしとしよう。
(あえて言うと酒のつまみって感じの料理が多かった。しょっぱめの)
結局は誰と食卓を囲むかっていうことがだいじ…愛しい人たちと日々食事ができることはありがたい。
レモンの皮をすりおろして、レモンクッキーを焼いた。
レモンの香りがほのかにして、いい感じ。
でもちょっと焼きしめすぎた。もう少しさくさくした感じを目指していたんだけど。
バター、卵、砂糖を使わないお菓子づくりにもだいぶ慣れて
毎回大成功というわけではないが、大失敗というほどのことはなくなった。
もう少しやってみたら、何か自分にとって絶対的なもののはしっこが掴めそうな気がする。
ひとつのことを根気よく繰り返すことがこの歳になって楽しめるようになってきた。
(裏を返せば、腰が重くなるというか、今の満足や安定を捨ててリスクを取ってまで
新しくチャレンジすることをあまり思いつかなくなるっていう点もあるけれど…)
今日も、「放浪記」。
‘ハリハリと’とかたまにすごく新鮮な表現が出てくる
アーユルヴェーダのマッサージへ。
相変わらず、腕は確かで気持ちいいのだけど、途中のトークでそのお店のあれこれいろいろを
勧められるのが苦手でまた足が遠のく。商魂逞しすぎるよう。
仕事をしているときに、中国でも台湾でも、ありとあらゆるマッサージ屋で
頭が疲れてる!と言われ続けてきた私だが、仕事を辞めたので
頭はすっかりオープンになってるかと思いきや、また「頭使い過ぎですよ」と言われる。
何も生み出していないような今の生活で、もうしわけないくらいである。
どうしたら…?というか、運動不足?
諏訪湖の御神渡りが久々見れるかっていう最近の冷え込み
(朝マイナス12~17度が4日続いたので)だが、
親戚のうちの水道管が破裂した。
ちょうど親戚は群馬に行ってて留守だったので、消防からの連絡を受けて夜中に両親が
出かけたそうだ。家中水浸しで、2階から水が漏れて天井は落ち、
しばらく暮らすこともできないそうだ。気の毒だ。
我が家も凍結防止帯の1本が週頭に切れてお湯が出なかったが、
設備屋さんはともかくひっぱりだこらしく、応急措置に来てすぐ他の現場へ
行ってしまったので、毎朝氷水みたいな冷たい水で顔を洗う羽目になったのでした。
昨日、やっと復旧。やっとこ、寒冷地らしい冬でさ。
夜はくるみでひょんなことから男たちの話し合いに混ざる。
もう最後は「あとはキミたちで、好きなだけ話したらいいさーーー!」と思い、帰ってきた。
男の人のほうが青春って感じがする。
田口ランディの「キュア」読了。
力作だ!
そして読書が捗る。
最近はほとんど両親の家にいるので、高校生の頃読んだ本とかが本棚にぎっしりあって、
いろいろまた読みたい。
今日は、林芙美子「放浪記」を。
高校2年生のときだったか、クラスの女友達のU美ちゃんと、競うように
本を読み漁ってた頃を懐かしく思う。
その頃読んだ本を開くと、木造だった校舎の、教室のなかで
U美ちゃんとおしゃべりしたときの空気とかがくっきりと思い出せる。
すごく頭がよくてかっこよくて正直者でセンスがよくて気取らないすてきな人だった。
今何してるのかなあ。
今日はじゃがいもを味噌煮にして、それから高きびでミートソースもどきを作って
パスタを食べた。冷え込むがおだやかな日々だ。
日曜日で、家には誰もいなくて私はゆうべ読み始めた
田口ランディの「キュア」を夢中で読み進めていて
そしてパジャマ…(つか、寝巻きがわりのネルのワンピース)
朝ごはんを食べているときと、お茶とおやつを食べているときのそれぞれに
新聞の集金が来たので、その格好のままぷらーっと玄関へ行ったが、
「あら?おうちの方お留守?わかります?」
と言われたは傑作。三十路だっちゅーの。
面映い…
まあ、寝巻きで出てくオレが悪いのか…
それにしても最近食事中に限って、来客が多く、食べさしのまま席を立つはめになるので
あまりよろしくないなあ、と思っていたが、どうやら世間一般の食事時間に食べていないっていう
自分が悪いのだとやっと気がついた。
よもぎスプレーを、ものすごい早さで消費したので
これだけのために行くのもなあ、と思いながらハーバルノートへ。
指はまあまあよい。
小さな不動産屋さんに行ったら、おばあちゃんが案内してくれることになり、
おばあちゃんを乗せて細い路地を入っていったら、
おばあちゃんが鍵を忘れたというのでまた戻ったりした。
ひまなので何があってもあれれ~、という感じで楽しめる。
久しぶりにいろんなおうちを見るのは楽しい。
りんごやにんじんと玄米を使って天然酵母種を仕込む。
発酵する前からそのままでおいしい…っていう感じだった。わくわく。
瓶を煮沸して、そのどろどろしたおいしい半液状のやつを詰めて、こたつに入れておく。
なんか実験みたいで楽しい。味噌とか漬物を仕込んで感じたが、
発酵は神秘的っていうかわくわくする。だって、味噌なんて、大豆と塩と麹だけで、
仕込んだときは「しょっぱい。そしてこれは大豆と塩と麹を混ぜたものだね」という
味でしかないのに、寝かせて発酵するとあんな複雑な美味になっちゃうなんて信じられない。
父親が新年会(まだ新年なのね…)に行くのを車で送りがてら、
母とふたりで城のそばのインド料理屋に行く。ここは少し高いのが難点だが
作り置きしないで、本場のスパイスを使っているので本格的でわりとおいしい。
全粒粉のロティとほうれん草のカレーを頼んだら、その組み合わせがとてもおいしかったので満足。
チャイもここでははじめて頼んだけど、スパイスがたくさん入ってて濃くておいしかった。
久しぶりにとしくんとゆーこちゃんのおうちに遊びに行く。
私が着いたときにゲームで遊んでいたとしくん。
「茶子ちゃん、ちょっと待っててね。今セーブするからさあ…!」と言いながら
せっせとゲームを終わりにしようとするとしくんは、入り口はまるで小学生の男の子のように
ゆるいのだけど、今日久しぶりに話をしてみたらとてもバランスよくそしてかっこよく
何度もうなずきながら話をきいた。
グレープフルーツジュースはとしくんの必須ドリンクだが、すこしいただいたら歯がきしきしした。
冬になって冷たいものを飲むことがほとんどなくなったので、こういうの飲むのって、ひさしぶり…。
としくんちは古いお家なんだけど、ストーブが一個しかないから寒いんだよっ
ていう話をゆーこちゃんがしてたら
「実は今はじめて言うけど、ファンヒーターの使ってないやつ、いっこ実家にあるんだよね…」
と、カミングアウトしたとしくん。
それでもまだ追加導入するかは決まってない感じで、こういうliving arrangementを
いいかげんでなく、本当に必要かどうか自分の気分とも相談しながら
考えたり工夫をしてく姿勢っていうのは、私も彼氏から学ぶところが多かった昨今なので、
ああ、ここにもこだわり屋さんが…!と思ってうれしくなる。
(というか、それに慣れてきた自分にも拍手だが…最初の頃はとにかく‘え~、またなんか言ってる!
めんどくさいなあ…もぉ’っていう感じだった。…今もたまにそうだけど。
でも美しく、自分がきもちよく暮らすためにこういう姿勢ってだいじだと今は思う)
そしてひたむきでいつも明るくあろうとするゆーこちゃんの心のきれいさ・かわいらしさにも
また打たれ、すー、といい水を飲んだような気持ちになって家へ帰ってきた。
ほんとうにふたりでいることが必然みたいに感じられるすてきなカップルだ。
出かける予定がなかったので、のんびり家でクッキーなど焼いて本を読みながら過ごす。
離れて暮らしている恋人になかなか会えないので、ときどき焼いたお菓子なんかを
送るようにしているのだけれど、このあいだ年明けに送ったときに、
「あなたは今仕事をしてなくてお金を無駄に使えないんだから、
クッキーを送るためにお金を使うのはよしてね」という趣旨のことを言われていた。
そのときはそうだねー、気遣ってくれてありがとうね!などと無難に答えておいた私だ。
で、ビスコッティがおいしく焼きあがり、
先週引っ越したばかりの彼に住所を聞いてなかったと思って
夕方電話で聞いてみると、きっぱりと送ってくれるなという答えだったので
悲しかった。思い切りへこんで暗い声になる私に
いかにこのあいだのケーキがおいしかったか、とか、焼いたクッキーは友達に
わけてあげればいい、とか、この間話したときはもう送らないって言ってたじゃん、とか
やさしい声で、でも頑なに送る必要はないからねっていうので、ほんとうに悲しかった。
こんなことでぺしゃんこになるなんて、とわれながら情けなく思うが、
焼いたクッキーが食べてもらえないことが悲しいんじゃない。
夜、布団に入ってもまだ悲しい気持ちが続いていて、それにとても寒かったので
もうひとりでいるのはいやだなあと心から思う。
会っていればなんでもないことのいろいろが、
ちょっと今日は無理だって気持ちになって悲しかった。
涙が出てきそうだった。
早く春になればいいのに。
朝から雪。久しぶりに冬の信州らしい景色だ。
でも上雪といって、普通は春先の3月とかになると南信の方がたくさん雪が降るみたいなんだけど、
それがいちばん寒いこの時期に来るっていうのがやっぱりおかしい。
大町のカラマツストーブを使っているお宅に薪を届けるというので、
普及組合の清水さん、山田さん、木こりのりょうくんに同行。
久しぶりに長靴持っておでかけ。
大町のお宅でカラマツストーブに着火するところを見せてもらったが、
すごく、早い!火をくべて、ものの数分でかなり火の勢いが安定して、
部屋がすぐ暖まる。
従来の薪ストーブに較べても着火が容易で効率がよいということ。
カラマツストーブはその熱効率のよさとか、CO2の削減とか、灯油を使わないこととか、
昨今のニーズによくマッチしているので、製品としてもわかりやすく魅力的だが、
バックボーンの理念としてあるのはあくまで間伐材の利用を促進して、
よりよい山づくりをしていくということ。
それには、間伐をする林業の人、それから薪としての安定供給、
それからストーブのユーザーというネットワークを構築していく必要がある。
だから、ストーブの製造・販売だけでなく、そのネットワーク、システムの整備が今後の課題だ。
うまく循環するようになれば、間伐が進み、林業の担い手が必要となり、それにもっと
若い人の力が必要とされるだろう。
・・・・・・
まわりの木こりくんたちを見たり、自分がシャロムに行ったりして思うんだけど、
1次産業って今の若い人が求めてるものに案外にぴったりくるんだろうなって思う。
そりゃあたしかに便利な世の中に育ってるし、随分甘やかされて育ってるから、
めんどくさいなあ、という感じでもあるかもしれない。
でも消費・消費の先のむなしさみたいのにはみんなそろそろ気がつき始めているし、
自分のお金や時間の使い方にもシビアになってきた世代だ。
でも大体の人がなんか違う、これでいいのかなって思いながら手をこまねいてたりとかするなかで、
木こりや畑をやってる友だちは生き生きしている人が多くてすてき。
(ハッピーそうだが、でもそういう選択をしてきているきっかけには、何かつらいこととか
苦しいこととかがあったり、そうでなくとも真摯に悩んできた経緯なんかが
あったりもするんだけど、けして力が入りすぎてもなくてにこにこしたいい感じの人が多い)
自然の本来のあり方に人間が手を加えてきたものをどうしていったらよいのか?
自然に学び、その土地に昔からある暮らしに学び、年寄りに学び、
それから自分たちの体と頭を使って、今ここで自分にできることを楽しみながら
やってみること。これがよろこびでなくてなんだろうって思う。
自分の人生のポテンシャルを満たす…何をするかがだいじなんじゃなくて、
どうやるのか、がだいじなんだと思う。
・・・・・・
どうして間伐が必要なのかと聞かれることがわりに多かったので、
(私もつい最近まで知らなかったんだけど)興味のある人のために今の自分が
知っていることに触れておきます。
(りょうくん、kozoくん、間違ってたらフォロー、追記お願いします)
戦後のモノがない時代に、成長の早い針葉樹の植林が日本全国各地で行われた。
よってこれらの人工林は樹齢50-60年ものが殆ど。ただ、戦後経済が発展してゆく過程で
建材としてコンクリートなどが主体になり、また木材としてはより廉価な外国産の木材を輸入して使用するようになったため、国内の林業は廃れ、現在に至るまで木材の使用が十分にされてこなかった。
よって、戦後植えた人工針葉樹林が現在では過密状態にあり、
日光が十分に当たらなかったり条件がよくなく、材となるべき樹木の発育が十分でない。
また、針葉樹の間伐を行い、広葉樹の比重を増やしてやることで、本来の里山のバランスを取り戻す必要がある。災害に強い土地づくり(広葉樹の方が保水能力に優れているので)、本来の自然の姿である豊かな里山づくり(落葉による豊かな土壌の再生、水源確保・浄化、熊・猪・鹿・猿などが生息している山に食べるもの(=木の実)がなく、里に下りてくることによる農作物・人的被害などのの軽減、などなど)
→唐松をはじめとした針葉樹の間伐がもっと必要。
→間伐を促進するために、木材としての利用方法の間口を広げてあげる必要がある。
・・・・・・
今日もうひとつ感じたこととしては、その土地土地に見合ったやり方があったり、
個人のライフスタイルによって、より多くの選択肢があるということは非常にだいじだということ。
今日もペレットストーブだとか、いろいろな話が出ていたが、
多様な選択肢があることで、裾野が広がる。
どのやり方にもいい面と悪い面があるが、自分に無理のない形でまずは取り入れていくという
ことはとても大切だと思う。よく、ゴミ問題なんかに顕著だけど、悪い面だけを取り上げて、
極論としては何もやらない、みたいに居直る(?)政治家があまりに多い(マスコミも悪い)が、
トータルバランスで少しでもいいほうへ行けばいいんじゃないのかな。
だから、裾野が広がることが環境問題の解決にはとても大切だ。
諏訪地方でのカラマツストーブの利用は、システムがうまく稼動すればとても
理に適ったものと言えそうだ。このへんの学校では個々に学有林を保持しているので、
学校にカラマツストーブを導入して、学有林で児童たちが間伐のイロハを学んで
薪割りを自分たちで実際にやってみるなんて教育も実現したらどんなにかいいだろう。
針葉樹の人工樹林の問題は日本全国あちこちに見られる問題なので、
ある程度の汎用性があると思う。
ただ、この方法がいいと信じることで他の可能性を否定したりすることのないよう、
広い視野を持つことがだいじだな~、と改めて感じた次第。
いくら従来のものに比べて煙が少ないとはいえ、都市部の住宅密集地で
薪ストーブとかいうのは現実的には難しいだろう。薪の調達にもエネルギーが余分にかかるので
かえって負荷が大きくなるかもしれない。薪を置く場所を確保することもままならないかもしれないし、
持ち家でない人にはストーブ自体の設置も障害がたくさん。
いろんなライフスタイルがある現代だからこそ、その土地や自分のライフスタイルにあった
やり方が選べるような多様性とか選択肢の幅ってだいじだ。情報をやり取りするツールが
これだけ発達してるんだから、その知恵を分け合うことも。
これって、人間についても言えるかな…自分の価値観や、あるひとつのコミュニティで
持っている価値観に固執して、他を批判することではなく、
他をも認めたり、必要な部分は歩み寄ったりすることで、全体としての可能性は広がるということ。
もちろん、ほんとうにだいじな部分では絶対に譲らないということもだいじだが、
もっとすばらしいのは、一見めちゃくちゃに見えても、宇宙は大きく、あれもこれも飲み込んでくれる。
だから恐がる必要はない、一歩踏み出しさえすればいいじゃん。と思う。
・・・・・・
私はメーカーで営業の仕事をしていて、やっぱり土に還らないもの、持続可能性がないものを
一生懸命に売らなきゃいけない、そのことがけっこうしんどかったし、
それがまた飽くなきサイクルでゴミを生み出している、という感じもけっこう苦しかった。
もちろん仕事を通じて多くを学んだしいろいろな経験ができてよかったが、
いつでも忙しすぎたりくたびれてたりして家族や友人との時間が思うように取れないことや、
純粋に自分自身のためだけに与える筈の自由な時間さえもちゃんと持つことができなくて、
いろいろ考えた末、これは自分の人生の中でこんなにがんばって私がやることじゃないよな…
自分の人生にどれだけ確かなものを遺せるかなんてわからないんだけど、
少なくとも、この仕事をするために私生まれてきたわけじゃないよなー。と
思ったら、いっきに辞める決心がついた。それは自分でも驚くくらいに強い強い気持ちで。
何かが自分のなかでバーンと変わった感じがして、見晴らしがよくなったっていう気がして
すごく気持ちがよかったし、わくわくした。そういう感じは今も続いていている。
ラッキー、ありがと!縁だとか、時流だとか、すべてのものに!
カラマツストーブ…今の自分には、こういうものに関わるほうがずっといいのだろう。
プロジェクトが量産に入って新しい商品をグローバルな市場に送り出すことも
なんだかワクワクしたものだけど、自分がゴミ…とかそういう感じを持ってる限りは
後ろめたさがあったものだし、前に進んでいるというよりは後に進んでいるというか
(そこまで言わなくてもいいけど)限界はあるよなあ、というのが素直に感じたこと。
ただ、私が会社に勤めているときに仕事で出会った人たちの何人かは
この日記を読んでいる人もいるけれど、私はけして彼らに仕事をやめて欲しいとも
思ってないし、プロフェッショナルな彼らを尊敬もしているし、要は私は自分自身の
問いに対して自分で導き出した答えを生きようと思っている、それだけのことだ。
彼らととりわけにつき合いを絶つつもりもないし、彼らから学ぶことはたくさんあると思ってる。
営業の仕事って、本来、たくさんの人に会うことができて、コミュニケートすることで
新しい可能性を生むことのできる、すごい仕事だ。そのプロセスも決まったものはないから
その営業マン独自の秘訣とかノウハウとかはあるにせよ、それが誰にもあてはまるわけでも
ないし、自分のやり方を見つけていく過程というのはすごくおもしろい。
それから、最新テクノロジーの恩恵もたっぷり、毎日受けてます。技術者さん、ありがとう!
・・・・・・
さて、今日はキャンベルの「ジョーセフ・キャンベルが言うには、愛ある結婚は冒険である。」
を久しぶりに読んでいる。対談なので語り口がライトでコンパクトなんだけど、
真摯に人生を生きようとする人へのキャンベルの暖かさやメッセージみたいなものが
強く出ていて勇気づけられる気がします。読んでて楽しいっていうか。
(しかし、すごい魂胆の邦題だな…書店で、恋愛指南本とかの並んでるところにフツーに
置いてありそうだ…原題は「An Open Life」)
ノルウェーのHが諏訪に来たので彼の同僚のAといっしょにランチ。
あっちゃんちの店で。仕事でしか日本に来ないから、なかなかああいう
アットホームなところは行かないんじゃないかと思って。
もう仕事の話をしなくてもいいのでとてもリラックスできてうれしかった。
Hはもうおっさんていう歳だけど独身のせいかおっさん臭さのあまりない人で、
だいぶ前のことだけど、古い日本家屋でやってたお好み焼き屋さん
(今は引越ししてもうない)に連れて行ったら、大はしゃぎでおもしろがって
器用にお好み焼きを焼いてくれ、おしゃべりも楽しくて
酒も飲んでないのに何時間もいろんなことを話して、
そういう楽しい思い出こそが今もわたしたちを繋いでるのだなあと信じたい。
北欧の人のちょっとかくかくした(って表現が合ってるかどうかは
わからないけど、他にうまい表現を思いつかない)英語を久しぶりに聞いて
なんだか懐かしい気持ちになった。北欧の人って、熱の入った交渉になっても、
ほとんどの状況で人をプッシュしなくて、とてもおだやかだな人が多いと思う。
尚且つ、フレンドリーで普通に自然を愛していて、いっしょにいて居心地がいい。
あんまりとがってもなくて素朴でチャーミングでっていうと褒めすぎ?
好きな人が多いです。
Hの鞄…前々からこの人は1-2週間のアジア出張にも50×40cmくらいのサイズの
アタッシュケースに一切合財を詰め込んでノルウェーからやってくるのが
とても印象的だったが、今回はもっと小さい
プロジェクター用のバッグひとつでにこにこしてやってきた。信じられない…
プロジェクター用のバッグって、いったい…!
営業の仕事はまず人を覚えなくてはいけなくて、一度会ったらその人の肩書きや
その会社における力関係や容貌や、を把握して覚えるように努めていて、
その点私は結構しっかり覚えてられるほうだったと自負していたが、
仕事を辞めたらさっぱり、その人たちの名前が咄嗟には出てこなかったりして、
どんどん、あっという間にいろいろなことを忘れていることに気がつく。
仕事をしていたときは毎日のように使っていた、でもその業界特有の言葉だとかも
すぐには思い出せなくてなんだっけってなってる。
こうやって、脳みそは不要な情報を無意識のうちに忘れるようにして、
新しい情報がインプットできるスペースを空けておいてくれるんだか、
いろいろがごっちゃにならないように整理しておいてくれるんだなー。
で、必要なときにはまた名刺なりを見たりすればまた思い出せるのがすごい。
完全に消去したわけじゃないんだよね。これってコンピュータにはできないもんね。
(それでも、脳みそって使っている領域はほんの微々たる量なんだよね)
ランチの後ちょっとだけ時間が余ったので、高島城の天守閣までいっしょに登ってみる。
城の中は外より寒く、驚く。ひさしぶりに天守閣から諏訪を眺めたが、
たいした景色ではない。新しい建物ばかり、目立つはホテル、病院、そんなところか。
諏訪市は諏訪湖があってぐるーり山があっていいところだが、建物はみな新しく
古くからの慣わしや食文化もほんとうに細々っていうくらいで、なんていうか、残念な場所。
外の人は御柱があるじゃん、とかいうけど、あれはすばらしいがあくまでハレの姿だ。
後山も上野のような山間の村にも今は過疎で老人しか住んでなくて、
土地も少ないし、なんだか最近ここ(’諏訪市’というだけで、諏訪地方、というわけではない)には
あまり将来的な展望が見出せず…
指の荒れが悪化。よもぎが肌に合ってたのかすごくよくなってきたので、
調子に乗って料理や皿洗いや家事のいろいろを手袋なしでしたのがよくなかった。
いちばんひどかったときと同じくらいひどくて、昨日はちょっと曲げるだけで
皮膚が割れて血が出るような有様だったので、痛くてあまり寝れなかった。
ほんとうに気が滅入る。そして、何かをするのは、このキーボード打つのさえ、
車のハンドルを持つのさえ、痛むので、本を読んで過ごすことにする。
「戦場でものを食う」というのがすごくおもしろい。
夕方から美濃戸のりょうくんちでご飯会。
カラマツストーブとダッチオーブンを使って
あっちゃんがおいしいパンとピザを焼いてくれました。
あっちゃんちはパン屋さんなので、もう間違いなしというか、
生地がやっぱりお店のあの味でうれしかった。
ピザはパイ皿に載せて、ストーブの上で火を入れたあと、
仕上げにストーブの炉のなかでぐるぐる回しながらちょっと火に
あててあげるといかにもおいしそうにチーズが泡だって、しあわせな気持ちになった。
薪ストーブのある生活ってすてき。
カラマツストーブ、シンプルで玄人っぽく、かっこいいです。
我が家のダッチオーブンもすごく絵的にさまになっててうれしそう。
私もあっちゃんととむに手伝ってもらいながら
野菜や車麩をそれぞれフライにしたのと、
キャベツとレンズ豆の煮込みを作りました。
にんじんソースが好評で、よかった。
圧力のかからない圧力鍋だけが唯一の疑問だったが、
それを除いてはなんでもかんでも上出来でした、すばらしい!
よくみんなで集まるけど料理がしたいから集まろうって感じは
今まであんまりなかったので、こういうのもいいかも…
もうすぐ満月。
高いところに月が圧倒的に輝いてて、まっしろに雪の降った美濃戸は
うつくしく…帰りの運転はちょっとスリリング…
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=687402991&owner_id=1643621
記事中より
一、本格稼働が2008年2月に予定されている青森県の
「ロッカショ工場」(六ヶ所再処理工場)は、
原子力発電所が出す放射能1年分を1日で
海や空気中に出します。
二、その放射能は青森のりんごに届き、
さらに海流に乗って、ほたて、カキ、うに、さんま、
鮭、いくら、ホヤ、あわび、わかめ、ひらめ、
あいなめ、などがとれる岩手県三陸の海に届きます。
三、影響は岩手だけではありません。
北海道、東北にも及びます。ゆたかな東北や北海道の
食材が、将来たべられなくなってしまうなんて困ります。
*さらに*
●国際的にも批判の声●
すでに再処理を実施したイギリスではヨーロッパ諸国を
巻き込んだ国際問題になっています。
●坂本龍一さんも立ち上がった●
坂本龍一さんがウェブサイト「STOP ROKKASHO」を
立ち上げ、元LUNA SEAのSUGIZOさんなどと本も
出版するなど、著名人にも反対運動が広がっています。
http://stop-rokkasho.org/information/
●かかり過ぎるコスト●
再処理には11兆円かかります。このコストは私たちの
電気代として徴収されています。
●使い道がないプルトニウム●
高いコストをかけても、「再処理」で取り出す
「プルトニウム」は使い道もなく、資源の節約には
ほとんどなりません。
●こんなことをしているのは日本だけ●
日本以外の海外の再処理工場はほとんど軍事施設です。
核兵器を持たないのに、こんなに巨大な再処理工場を持って
いるのは日本だけです。
●報道を待つより、私たちから知らせよう●
マスコミは政府や電力会社の情報を大きく扱い、
情報過疎がおきています。報道を待つより、私たちから
知らせましょう。すべての人に賛同してもらう必要はなく、
すべての人に知ってもらう必要があるのです。
上記の詳細が載ったチラシは↓からダウンロードできます。
http://www.daichi.or.jp/mamorukai/news/071225/index.html
=============================
前の日にくるみでKOZOくん、じゅんじくんと明け方まで話し込んでしまい、
あまりにいい話をいろいろしたので、嬉しくてなんとなくすぐに寝たくなくて、
帰ってKOZOくんに借りた村上春樹とか読んでたら完全に朝になってしまった。
最近寝起きの時間がめちゃくちゃなので、そろそろリセットしたいよ~。
ところで、私たちの世代って尻拭いの世代だとはほんとうに思うが
私はやっぱりどうしてもそれを怒りだとかうらみだとかには思えない。
こうして今この時代にここに立って考えて体をつかって行動できること、すべて有難いと思う。
親の世代ってとにかく消費に駆り立てられてたわけだし、すごい早さで世の中は
どんどん変わっていって、そのメンタリティや価値観が負の遺産をも
たくさん残したに違いないが、その親たちに育てられて、また社会や家庭としても
共存しながら、支えたり支えられたりしながら、私たちの「今、ここ」がある。
私が今ここにこうして立って、こういうふうに考えられて
少なからずのすてきな仲間とも出会えて、それはこの前の世代のねじれがなかったら
もっと違ったものになってただったろうし、ありがたいことだなあと思う。
起きたことはもう元に戻せないから。今そうあることはそうあることだから。
幸か不幸か、しわ寄せがこれ以上ないところまで来ていて、考えられないような殺人事件や
アトピーや精神病や温暖化や食品表示偽装や格差問題や原油高や戦争や、世界はこんなにも
いろんなことをいっぺんに表わしていて、私たちはメディアや政治化にいっぱい騙されながらも、
そういうものを見ながら、あるいは囲まれて、今ここに立ってるし、ここまで来た。
いつか年月を経て、私たちの子どもに、私たちの世代ってどう映るんだろうねって話を昨日した。
「‘おバカ世代’だな、きっと」って笑いながら言ってたけど、
そうであるならどんどんバカになったろうと思う。
まわりにいる友達も含めてなんだかポテンシャルは爆発しかけてるし、
どこまで行けるんだろうってわくわくする。少なくとも私のまわりの友だちは
てっぺんなんて誰も狙ってないし、自分にできることをめいっぱい体と頭を使って楽しくやるだけ。
そうやって生ききりたい。
それが私たちの責任でもあるし、人生において遺せる何かへのgolden keyだと思う。
怒りでなくうらみでもなく、こんなふうに考えられるようになったのは、
きっと千葉でマスターとマダムという骨のある大人に会えたからと思う。
そういう意味で、あのタイミングで千葉に行ったことは、私のなかでどうしても
必要なことだったんだな、きっと。ああ、逃さなくてほんとうによかった。
カラマツストーブの事務局の山田さんとくるみでお会いする。
営業やってる人ってやっぱりなんとなくすぐ雰囲気でわかるものだなあと思う。
すごく気さくな関西出身の方で、うちとけやすい人でうれしかった。
そして、ひさしぶりに新しい人に会ったなあって感じ。
仕事をしているときに較べて新しい人に会う機会は減ったし、
最近はずっと諏訪にいてたいしたことはしてないし。こうやって新しい人に会うのは
新しい風が吹くようなもので、いいものです。
新年明けて、ちょっと自宅でのんびりが多かったですが、そろそろいろいろと
やるべきことも増えてきました。まだこれだってとこまで見えていないけど、
ともかくも手足を使ってるうちに決まってきそうな感じです、目の前のことに
集中して、ちょっと先の将来は時間にゆだねてみようと思う。
ほんとうに最近は野菜を愛しているといっても過言でないくらい野菜を
料理していただくということに心が傾く。ストックしてある野菜がほとんどなくなりつつ
あるので、夕方カンビオに買出しに行った。私の買い物袋がぱんぱんになるくらいたくさん。
この大根はステーキにしてあげたらおいしいかな、とか、
この青菜は茹でてあげてくるみと和えようかとか、さつまいもとりんごを煮てパイを作ろうかとか、
考えてるだけで楽しい。それに今は時間がたっぷりあって、手は好きなだけ、いつでも動かせるし、
おいしいって食べてくれる家族も近くにいて、ほんとうにしあわせだなあと思う。
こういう日々の繰り返しの楽しみをほったらかしにして自分は何してたんだろ、
こういうことが好きだったのにね。とおかしいような気持ちで思う。
これで来年畑始めたら毎日楽しいだろうなあ…くっくっくっ。
踊りたくなるっ。
まきちゃんじゃないけど、毎日が感謝でいっぱい。
ありがたい、ありがたい…
夕方車を走らせていて、踏み切りで停車しているとき、
最近連絡を取っていなかった人をわけもなく急に思い出した。
新年の挨拶もしてないし、今日あたりメールしてみようかな~、と思ってて、
帰ってメールを見たら、ちょうど私が彼を想ってたのと同じくらいの時間にメールが来ていた。
こういうのってその人と自分の間に何かあるみたいでうれしいなぁ…
彼は会社員のときに知り合ったちょっとユニークなノルウェー人のおじさんだが、
すごくすてきな人で、来週日本に来るというので、時間を空けておいてくれてるとのこと。
楽しみ。
ちなみに、ノルウェーも雪があまり降らず、雨とのこと。
諏訪湖は今年も、凍らず…
仕事してたときの知人が各国にいるわけだけど、みんな暖かいとか
雪が降らないとかだいたい似たようなことがよく話題に上ってるなと思う。
山のほうの家を見に行った。ちょっと頼りなさげだな~と思った不動産屋の兄ちゃんは、
案の定、懐中電灯も持たずに電気の来ていない家に私を案内し、室内は日暮れで
まっくらで何も見えず。絶句し、その後すみませんを繰り返す彼に
「怪我でもしても困るので、明日また見に来ましょう、ね~」と明るく声をかける私。
うーん、何かまちがってるな。たぶん、ものすごく若いのだろう。
最近、自分って気がつけばそれなりに歳とってきたなあと思う。まだまだ若いんだけど、
そう若くもないね。このことはけっこう嬉しい。
歳を重ねることはますますよろこばしい気がする。体がもっと不自由になったりすれば
そうも言ってられないとか、いろんな想いがあるかもしれないけれど。
あと、仕事を辞めてから多分服装とか、まあリラックスしてるとかいうのもあるんだと思うんだけど、
人に歳若く見られることがすごく頻繁にあるが、話してて
「ああ、見た目若いけど話するとそうでもないね」と言われるのはけっこう嬉しい。
不動産屋の女社長さんが話がわかる人でサバサバ、てきぱきしており、とても頼りがいがあった。
明日また見に行こうと思う。気まぐれで入ってみた不動産屋なんだけど、
ちょっとワクワクしています。
昼までぐうぐう寝て、それからすばらしい見晴らしの温泉に連れて行ってもらった。
曇りだったのだが、山の稜線はくっきり見えて、その少し上の空からカーテンみたいに
雲がかかってるんだけど、山はぐる~り、ばっちり見えてご褒美みたいで嬉しかった。
コウヅマさんとサッキーとはそこで別れて、女の子だけで諏訪へ。
着いたらお腹がぺこぺこで、落ち着けるのでこの間の古民家カフェバーにまた行く。
それで、4時間以上とか、ゆっくり食事して、お茶して、ほんのりと通路をわざとらしくなく
ライトアップした庭はロマンティックで、おしゃべりも楽しくて、しあわせな気持ちになる。
気がついたら私たちが最後のお客さんで、閉店の時間にも近づいていたので、
そろそろだね~と店をあとにしたが、そうでなかったらもっといれたかもっていうくらいに
居心地がよかった。
家に帰る前に立石公園で夜景見て、家に帰ってまたお茶して。
みんな本読んだり、マーガレットズロースのDVDを見たり、おしゃべりしたりする。
そしてついにじゅんきちゃんとわたしは徹夜でおしゃべりして、もう見つめ合ったら
それだけでお互いにわかるっていうくらいに愛を育んで(?)、
なかじ~も起きてきて明け方には(これは私のダブルベッド史上初の試みだけど)
3人で川の字でくっついたままおしゃべりして、そのうちに朝日が出てきてやわらかい
日差しがカーテンから射して、あ~あ、朝が来ちゃう!ってほんとうに思った。
でも心のなかはすごく静かに、‘満たされた’という感じで、それはじゅんきちゃんと
なかじ~のおかげだった。ありがとう。すばらしい夜でした。
午後は松本のほうまで出かけて、快医学って、代替療法の一種みたいだけど、
そこの先生に指の荒れの原因を診ていただく。
紹介制のとこで、はじめてだったが、先生は赤ワインが好きだよと
あらかじめ入れ知恵をしてもらってたので、お土産にちょっとした赤ワインを持っていって、
わたしは治療用のよもぎやら、びわの葉やら、これは治療用でなくてお楽しみ用に
無農薬のたくさんのりんごとかを持たせてもらって、うれしく帰りました。
昔の村のお医者さんって、きっとこんな感じなのかなあ。
原因が明確になったのと、自分に合う対処方法をいろいろ、
しかもかなりばっちり教えてもらって、それにケミカルなものが一切ないので、
すごくうれしい。話もいろいろ聞けておもしろかった。
家もまさに百姓家なんだけど家具の感じとか布の使い方とかがゆるくおしゃれで
居心地がよくて、帰る端からまた来たいっていうところだった。
夜、なかじ~と再び落ち合って、ごはんを食べてから駅で見送る。
電車に乗ったなかじ~を見つけられず、とまどい気味に手をとりあえず
振ってみたが、なかじ~からは見えていたようで「まりちゃん、フライングしてなかった?」と
あとでメールが来ていた…
まきちゃんはゆうべのうちに、さくらちゃんは今朝、それぞれ帰ったので
朝起きたらさみしくてたまらないってきもちになって、朝からうだうだした。
もちろん、そのうちにまたすぐ会えるもんね~、とか、夕方になれば
じゅんきちゃんが来るもんね~、なんて言ってけろっとするんだけど、
あまりにあっという間で信じたくないような気持ちだった。
昇仙峡へ。
このメンバーでロープウェイに乗るなんて意外だとか言いながらぐんぐん
登って、降りたとこではめ込みの写真(なんていうの?)撮って、
ポーズをとろうとしたサッキーが上を見上げたら、
「あ、虹だ!」って最初冗談かと思ったけど、雨も降ってないのにほんとうに虹が出ていた。
空のプリズムだなあ、すごくきれいでうれしかった。
上に行ったらやっぱり展望台からどんどん登っていきたくなり、
サッキーはうれしくておさるさんと小学生のin-betweenな感じで走っていってしまうが
(そしてそれはシャロムのナイトウォーキングのときの葉月ちゃんにそっくりだった)
私はといえばどうも二日酔いで空腹なので、くらくらしていて、
あと2岩くらいってとこで、岩の上に腰掛けてみんなを待つ。
ひとりぽかんと岩に座って、ものすごい山並みを見ていたら涙が出そうだった。
それから、崖のへり…というか、もはや崖のほとんど落ちてもおかしくない位置に
サッキーが立っているのを見て、ほんとうにほんとうに泣きそうになるくらいに恐かった。
自分が一歩も動いてないのに、彼が動くたびに落ちたらどうしようと思って
最近でいちばん恐かったと思う。自分じゃないのに!
天然酵母のパン屋さんに寄ったり、それを車のなかでつまんだり、山に水を汲みに行ったり、
それから駅までなかじ~と歩いてじゅんきちゃんを迎えに行く。
じゅんきちゃんとだったらいつまででもしゃべり続けてられる自信がある…
さっそく、ずーっとずーっとしゃべり続けて。
夜はなかじ~とじゅんきちゃんと川の字でロフトで寝袋で寝た。
ロフトっていうのと、寝袋っていうのがお泊り感をさらに助長しててすてきでした。
なんていうか、子どもみたいなことが嬉しいっていう感じ。
雨の中、八ヶ岳のふもとの農業大学校を見学へ。
どの先生も親切で、畑や家畜など時間をかけて見せていただく。
冬に希望すれば、間伐や炭焼きなんかも習えるらしい、すてき…
お昼に小淵沢まで出て、蕎麦をいただく。
適当に入った店だがすごくおいしかったのでうれしかった。
甲府へ。
シャロム同窓会?
来れないと思ってた、まきちゃんにも会えてすごく、嬉しかった。
まきちゃんの意思とか感情の揺れはいつも切実でなんだかきゅんとしてしまう。
そしてみんなに会えてにこにこしてるまきちゃんはとてもとても、かわいかった。
というか、レディース、みんなかわいすぎですよ!!!
温泉に行ってたくさんおしゃべりして、さきさんちでシェフふたりの特製ほうとう鍋と
タスマニア土産の美味ワイン。すてきすぎる…。小さな新年会みたいだったけど、
シャロムのときはいつだってやっぱり明日の仕事のこととか考えなきゃならなかったし、
職場兼住居って感じなので、どっかでピシッとしなきゃね、という部分があったと思うんだけど、
ここではみんなリラックスしてて、それにみんながまた会えて嬉しいっていうので
高揚していて、なんだかものすごく楽しかった。
お酒を久しぶりにたくさんいただいて、気づいたらサッキーのベッドを占領して寝ていた。
ご、ごめんなさい…
やっぱり昨日の腸内洗浄は失敗だったのかもしれない。
朝起きて目の周りがむくんで腫れていた、水分、全然出し切れてない感じ。
やり方が間違ってたのかもしれないけど、いずれにせよ、もうやらないかも。
頭痛もする。
とむさんとランチ。
茅野にある古民家を改装したカフェなんだけど、冬の陽射しが柔らかくて
お料理もていねいに作ってあって、ああこういう感じとっても好きだ…
のんびりおしゃべりしながら食事できたのでうれしかったです。
お庭がまためちゃくちゃいい感じで。
とむといると落ち着くなあ、ペースが合うっていうか…
とむってなんだか植物っぽいっていうか、細いすっとした木みたいなイメージ。
…そしてとむが小さなことに喜ぶとなんか私もうれしい。
好きってこういうことだなあ、と思う。
ハーバルノートへ。
切実にひどくなってきた右手指の荒れをどうケアしたらよいか、エリ子さんに相談をする。
考えられる原因やなんかお話して、よもぎスプレーを薦めてもらった。
とむの膝の具合もよくないらしく、マッサージジェル用の精油を選ぶ間、
久しぶりにエリ子さんとたくさんお話できて、とてもうれしかった。
環境の変化が著しいので、精油の産地とかもだんだん…以前採れていた産地で
その植物がとれなくなるようなケース増えているみたい。
とはいえ、やわらかい空気とやさしい香気に包まれてほんとうにリラックスした!
エリ子さんに言われてそうか…と思ったんだけど、
そういえば最近、油をほとんどとってないなー、と思い、車麩のフライを作る。
でも揚げ物って一度やるともう何度かは揚げ物続けないとって感じだからやっぱり苦手だ。
それと、キャベツづくし。なぜなら、カンビオでキャベツ特売だったので。
夕方、ばあちゃんの具合が悪く、帰ってごはんを食べようとした母が慌しく
出て行く。安定剤を飲んで寝かしつけたということだったけれども、心配。
最近、なんだか目に見えてエネルギーが落ちてるっていう感じがするので、
もう91歳だからしかたないけど、それに本人も身の周りの物あれこれを人に
分け始めたりしてて、こういうときって思いたくないけど、ああそろそろだ…と
どうしても、やっぱり思ってしまう。
だからあんまりそばを離れたくないなあっていう感じはする。
ガンジーの自伝読み始めたらけっこうおもしろくて(というか、この人の若いときは
よくいえばまじめ、悪くいうと随分不器用で…)はまってて、なんだか寝れない。
超ブアツイこの本、文庫本なのに1400円くらいする、ということに気がついてそれもまた驚いた。
でも文庫で500ページくらいある本を読むのはかなり好きだ。
身体が冷えてしかたないと思ったら決まって紅茶を飲んだ後と気がつく。
身体がどんどん敏感になってて食べ物による変化もすごいです。
匂いにもすごーく、敏感になってきた。
あまり神経質になりすぎる必要はないが、自分がどういうものを食べたときに
身体がどうなるかを知っておくといいように思います。
それで、身体が冷えるとやっぱりunpleasantというか、心もちょっと悲しくなるので
暖まる食べ物は~、お風呂はこんなで~、とかちょっと調整したりして。
昨晩は、新月。
すのすのとデニーズで…なんだ6時間くらい、仕事のこととか、人生とか、パートナーの
こととかおしゃべりして。楽しかった。
なんかやっぱりきちん考えてて、自分のことを受け入れる作業をしてきた人とは
言葉が通じるのかな、なんて思いましたけど。男の人は特にね。
女の人はなんかそういうことをポーンと越えちゃってる人とかも多いから
男の人とはそのへんがちょっと違うように思う。
そして、理系の人の話(とくに理系っぽい話題とか、その理論立てた話し方とか)を
ちゃんと楽しんで聞けるようになったことを再認識した。
これは、前の仕事をやっててよかったこと。
昔はそうだと思うだけで、苦手意識が先に立ってあまり耳に入らなかったかも。
あまりにくだらないんだけど、ほんとうにそうだったと思う。
今日はヨーガの腸内洗浄にチャレンジ。ああ、ダメかも、あまり向いてないかも…
終わった後に疲れてしまうのは身体がひと通りの循環と排出をするのに
がんばった証拠だから仕方ないにしても、きもちがよいというよりは、
もともと水はけがいいほうでないのでつらいほうが少し勝った。
終わった後、なんだかくたびれきって病み上がりのような顔になってた。
ということも、やってみないとわからないことなんで
ひとつお勉強になりました。
それにしても合計で小さじ4杯の塩が体内に入るので、ちゃんと排出されてないと怖い。
七草…土鍋で時間をかけて炊いた温かいおかゆをいただく。
はと麦を少し入れて炊いたら素朴な感じが強くなっておいしかった。
もち粟とかでもきれいだったろうなー。淡い黄色が、草の緑とあいまって。
編み物や料理や読書や家のことばかりしていて、ほんとうに無職らしい
…無職生活。家にいることが多いので、少しイライラしているような
自分に気がついた。なんていうか、気がこもってるっていうのか。
ここのところあまりにも外界と接点がないし…
それで、すかんとした景色を見たいっていう気がして
諏訪湖の見渡せる、神社の敷地内の露天風呂目指して出かけたら、
冬季は通路が凍結して危険なので露天風呂は閉鎖だそうだ…。がっかり、けどしかたない。
せいぜい内風呂にゆっくり浸かる。
その間に湯気で曇った窓にゆらゆらと、夕日が沈んでいってきゅんとした。きれいだった。
じゅんじくんにいただいた玄米の炊いたのをすこし残しておいて
玄米おかゆパンを作ってみました。シャロムの朝食の定番、なのでちょっと懐かしい味です。
ああ、なんか今全てが恋しくなってきた…まみさんの石釜焼きのパン、薬草茶、野菜いろいろ、
りんご、和風のスパゲッティ、玄米コーヒー…すべてが手作りで生き生きした食べ物の
エネルギーに満ちてて、シャロムのごはんは本当においしいのです。
さて、玄米おかゆパン。
キャベツの芯とか、大根のしっぽなんかのくず野菜と、だしを取った後の昆布をこまかく刻んだものと
塩を加えて玄米がゆを作ります。私は炊いたごはんから作ったけど、生米から炊いてもOKです。
できたおかゆが冷めたら、粉(全粒粉と薄力粉)を混ぜ込んで半日~一晩寝かせたものを
オーブンで焼きます。生地は適当で大丈夫と思う。天板にのばせるくらいもったりしてれば。
好みで干しぶどうを入れて、トッピングはごまとか、くるみでもいいと思います。
210℃で40分くらい、おいしそうなきつね色になるまでです。
焼き色は十分につけていいけど、パリパリにならない程度に、少しやわらかさを残すほうが
おいしいように思います。
焼き上がりの表面のとこがほんとうにおいしそうな色になるのです!!
ごまをトッピングしたのはシャロムのと同じですが、もうひとつはひまわりの種にしました。
ちょっと苦味が出てこれもおいしい。
このままでもおいしいけれども、シャロムでは通称「ゴマペ」=ごま味噌ペーストを付けるのが定番です。
こちらは、白ごまペーストにお味噌を混ぜたもの。このゴマペはパンにはもちろんですが、
蒸し野菜・焼き野菜にもよく合う、さつまいもとか、芋類は特におすすめです。
くず野菜や残りごはんが活きてすごーく甘くなるこのパン、片手間でできちゃううえに
とてもおいしいので、気軽にやってみてください。前の晩の夕ごはんを食べてる間におかゆだけ
コトコト炊いておいて(うちはストーブの上にかけておく)、お風呂入ってる間に冷まして、
寝る前に粉を混ぜて、朝起きたら焼くという感じでやると時間に無駄がなかったな。
いろいろ、工夫してみてください。
あけましておめでとうございます。
今年もこの体と脳みそをめいっぱい使って、楽しみながら、
自分を磨いていきたいと思います。
それから、みんなが平和のうちに、幸せでありますよう。
大晦日の晩は、とむ、あっちゃんとKOZOくんとで2年参り(←というのは、ここらへんだけと聞いたけど、
まだ年が明ける前に神社にでかけ、年を越して詣でることです、、、)に出かけました。
もの好きなわたしたちは、岡谷に住むとむを迎えに行ったらもう少しで年が明けそうに
なったので、近場の下社秋宮で年を越し、おびえるとむの手をひいて
どういうわけか万治の石仏を見に行き、それから手長神社を詣で
(ふるまい甘酒にも、間に合わず…でもすこぶる雰囲気のよい神社だ)
それから上社本宮を詣でるというもの好きなフルコース…参道で甘酒やお蕎麦をいただいたり、
ほうぼうで焚き火にあたりながら森のことやいろいろ、おしゃべりしたり、
熱すぎるワンカップをふうふうしたりしてて、帰宅は4時頃。その頃にはKOZOくんの車の
後部座席のドアがついにかちんかちんに凍りついてて3人がかりとかでもびくともせず、
助手席から乗り降りした私たち。
上社の鳥居の前の茶屋に立ち寄ると、すでに焚き火のおきになってたのを、
寒いからと、なんと、、、新しい割り箸をくべて火をおこしてくれました。
それは近所のつぶれたお店の箸袋に入ってたのですが、割り箸は
未使用の新しい割り箸で、あんまりびっくりして、隣にいたとむをぎゅっと抱きしめてしまったが、
そのあと火を見つめながら、年末考えていたように、センチメンタルになりすぎず、
自分にできることを地道にずっとやってくしかないなあ、とまた思いました。
KOZOくんが、
「自分の箸を持ち歩くなんて、10年前とかさあ、そんなの想像つかなかったよね」
というようなことを言ってたけど、ほんとにそう。
ばかばかしい原油高で、有用な燃料資源としての薪や、
薪ストーブや、唐松ストーブなんかが脚光を浴びるようになって、
世の中にもだんだんに変化が見られるようになってきました。
多くの人の関心が高まるということは、まずたいせつなことなあと思います。
薪など国産材の利用率を高めることで、行き過ぎて古くからの生態系に
影響を与えている唐松や杉の人工林の間伐を、効率よく進めていくこと。
日本の森林にもっと手を入れて、国産材を利用する率を増やして、
広葉樹林の割合を増やしていくこと、ダムに頼らない豊かな水源の保全と確保、災害への対策、
海外の森林の大規模伐採を減らしていくこと…。
林業をやってる友だちは実際に山に入って木を切っているわけだけれども、
その材木の利用方法を考えることとか、効率よく利用するための運用システムを
考えることとか、自分の使っている木や紙はどこから来てどのように作られたものなのか
調べてみたり、木材を実際に使うことや、または選んで使わないこと…
いろいろな関わり方ができるなかで、自分はどのように関われるかと、知恵を絞ること…
どのように在るか、どのように生きるかって、
食べるもの、着るもの、住む場所、どう行動するか、
ひとつひとつ試行錯誤しながら実践して、考え考え自分なりの選択をしていくことって
人生においてとてもだいじなことと思います。そして、もちろん、ものすごーく、楽しい。
めんどくさいなと思うことや煩わしいこともあるし、時間もかかるのだけれど、
やってみると意外になんでもないこともあったり、いっしょに楽しめる
友だちがいたりすればよけいに楽しくて手間も感じなかったり、
何よりも安心で気持ちがよいということが自分にとってはたいせつだったり、
できることが増えていく喜びがあったり。
(あまりにも自分が何も知らなかったりできなかったりすることに往々にして気づきますが)
生きるということへの、自分の想いみたいなものって、
ここ半年くらいで大きく変わったなあと思います。出会い、導き、時間、自然、
…ありがたいことです。
なかじ~とまきちゃんがタスマニアから送ってくれた絵葉書が、
まるで年賀状のようなタイミングでぽろっと届きました。どうもありがとう。
おだやかなお正月です。毎日、天気がよくて。
昨日は小淵沢まで出かけましたが、富士山が立派に見えました。
それからゆうべは家族といとこ一家とで新年会でした。
米沢の山の入り口らへんの、しし鍋屋さん。
お肉を食べるのをやめているので、ご主人が特別に手間をかけて山女を
焼いてくださいました。立派でおいしかったこと。
毎年、ここのお母さんが料ってくれる先付けをすごく楽しみにしているのですが、
今年はじこぼう、青トマトのカレー味ピクルス、蕗味噌、こごみのくるみ和え、
蜂の子の甘露煮、など。蕗やこごみはこのシーズン、
猟の最中に、土からやっとでたところを見つけていただいてくるのだと
言ってました。くるみは、鬼くるみ。シンプルで手間ひまかけた、山の幸がごちそう。
今日は夕方、本家に行ってばあちゃんとおしゃべりしてきました。
うちのばあちゃん、91歳になります。
「今年が最後だから」なんて言って、お年玉くれようとしたりするが、
昨日立ち寄ったときにお年玉を渡し忘れたことを悔やんでたり、
孫の結婚式の写真をまだ見てないとすねてみたり、ちょっと鬱みたいなとこも
あるんだけど、かわいいばあちゃんです。
おばちゃんの蕪の味噌漬けがあんまりおいしいので作り方を聞いたら、
ここらへんで、「すわいち」という味付け味噌があるが、あれだって…。
さて、3が日も終わり。いいお正月でした、ありがたい。
アパートの片付けとか、これからの算段をどんどん進めていこう。
年末にアパートにある大量の本、一冊一冊帯を見つつ、売るものと残すものを見定めたが
ほとんど残すもののほうになっちゃって、本はもう手放せないのかと覚悟を決めかけたが、
2年参りでひいたおみくじに「古いものを手放して新しいほうへ」と書いてあり
なんだかポンと背中を押された気分です。気が変わらないうちに、仕分けをもう一度
やってみよう♪…そしてもはや2年越しのあの人とのことも、まっさらな気持ちで
もう一度考えてみている私です。思い込みとかかけてきた時間とかに人間どうしても
自分で思ってる以上にとらわれてるもので、なかなかニュートラルな気持ちになれないものね…
信じているものがどんどん細分化されて強くなってきているから、それに比例して
できるだけニュートラルでいられる視線を持つことがだいじだなあと思う。
自分ひとりだけで生きてるわけじゃないからね。