7月の日本でやる結婚式は子どもは連れてかない前提で、
こちらの家族の同意が得られたので、予定通りになりそうです。
でも日本で写真撮ってる時間とかもうないので
台湾で写真と、当日のドレスなど借りる手筈をちゃちゃっと
…かどうかは知らないが、ともかくも1日で決めちゃった。
3時間半も交渉に費やして(試着とかもありだけどね)、ものすごい
鬼のようなパッケージにしてくれました、すごいようちの彼。母親譲り…。
といっても、衣装選び自体はこれからで、まずはパッケージが決まったということ。
何着着るかとか、アルバムはどのサイズで何枚写真が入るかとか、
サービスでつけてもらえるあれこれとか。日本と違って交渉次第で
オリジナルなパッケージになるので、値段もみんな全然違うと思う。
台湾、本当にドレスのレンタルは日本に較べたら相当値段が安い。
それでもヨーロッパから輸入のものなんかも選べるし、種類もかなり豊富なので
台湾で写真撮影っていう日本人がいるのもうなづける。渡航費含めても
断然安いし、着られるドレスの数もほんとうに多い。
というわけで撮らないだろうなあと思ってた台湾の結婚写真もなんだか
撮る運びになったし、あれよあれよの展開に頭がぐるぐるしとります。
来週は撮影のときの衣装選び。これは単純に、楽しみ。
・・・・・・・・・・・・・・・
震災からこっち、離れててもやはり日本のことがいちばん、
思ってる以上に気になるのだなあという、あたりまえだけどもこんなに意識したことないから、
輪郭のはっきりしたこと。
平たく考えると震災も日本に身を置いてない私にはバーチャルな体験でしかない。
ましてや情報源の大半はインターネット、ますますバーチャル。
想像する力…ときどき今ここにある現実と、情報との間でひきさかれそうな気持ちになる。
(最近は、落ち着いてきたけど。逆に忘れないこと、自分にできることを少しずつ
落ち着いてすることはずっと心がけてるし、ますますそういう強い心になってきた)
でもニュースばかり追ってふわふわしてるわけにいかず、
現実にここでの生活やここでの人々のものの見方考え方があって
ここでこの場所で私の毎日は進んでく。
それから、結婚するって決めたことで、やっぱりよくも悪くも台湾社会が私のベースに
なっていくのだった。
今までも仕事も台湾企業だし、同僚もすべて台湾人だし、生活圏内に日本人がひとりもいないので
結構どっぷり台湾に漬かってる環境なんだけども、でもどっかで日本人だから、とか
なんか線をひいてたというか。付合いとか、あわせないのね。
いつ帰るかもわかんないし、もともといい相手がいたらそのままいたりはあるかもだけど、
仕事的には3年やってみて分岐だなあとか思ってたわけです。
それが結婚するってなって、ますます日本よりも台湾が
私の今後の人生を過ごすであろう場所になる可能性が高く、
でもすてきなパートナーもいるし、ますます広げていけるといいなあと。
でも前よりも今自分のことは少しゆっくりで、
今はまず仕事もちゃんと自分が満足ゆく程度にはしっかり実績を積みたいし、
あとは自分がどうしていきたいか、彼がどうしていきたいか
ビジョンを共有することがだいじと思う。今は仕事以外の時間は殆ど彼と過ごしている。
こんなの他の人と絶対できない。と思う。楽しんで、育ててね。
って今日マダムから。もちろんもちろん!それができる人と巡りあえたことの幸せよ。
日本と台湾のふたつの文化というか社会を常に行き来する感じはもうついてまわるのだろう。
ご縁をいただいたのだから、楽しんでいこうと思う。
今日は不可抗力だけどプロジェクト完全にスムーズにいかず、
でも打てる手は全部打ったんだけど全然だめでなんじゃよな気分。
家に帰ってのんびり料理でもしよう。
今日はキムチ鍋リクエストでござーる。また…!?
淡水へ。
昨日ははるの2歳の誕生日で、袁家にお呼ばれ。
シュタイナーのプレイグループに通い始めたという、はる。
そこの先生と、友達の子どももいっしょにお祝いということで
みおさんが考えたのは庭でよもぎを摘んで草もちを作るというもの。
子どもたちも楽しみながら摘んでたけど、なんかしゃがみこんでよもぎを
摘んでたら笹原に住み始めたときに、馨さんちのおばあちゃんの土手で
よもぎをたくさん摘ませてもらいながら、ばあちゃんとおしゃべりしたこととか、
いろいろを思い出した。草もち、お母さんと子どもの頃作ったあの感じとか。
大きなすりこ木で、ついてゆく。よもぎの香りがたちのぼって、ほかほかしたお団子が
緑に染まって、つやつやしている。きまって、台所の床に座り込んでやるんだった。
毎年そういう習いができることってやっぱりいいなあと思う。
今台湾で住んでる環境ってほんとうに自然と遠いし、彼氏は自然の近いところで
育ってもなく、田舎の家とかをみるとひと気がなくて恐いなどという。
将来、どんなところに住むことになるのかな~。
小さくてもいいから、庭のあるおうちがいいなとまた思った。
長野じゃそんなにむつかしいことではないけど、桃園じゃそんなのなかなかない。
…ので、今のところ一生懸命働こう!と思うよ。
元気で働けるのってありがたいなーと最近ほんとに思います。
草もちは、食べなれない2-3歳児(とうちの彼氏)には苦いということでしたが、
私はたいそううれしくいただきました。よもぎ、大好き!
そして初めて食べるマクロ仕様のケーキに彼は「甘くないケーキ、初めて食べた!」と
びっくりしていたが、私は充分甘いと思ったぞー。台湾のケーキは通常とても甘いので
そう感じるんだろうね。
ここのところ滅多に作らないマクロのお菓子だが、ひさしぶりに作ってみようかな。
ひさしぶりに食べたけど、ほんとうに食べたあとにもたれたり気持ち悪くなったりしない
こういう感じはやっぱりいいなあと改めて思う。
ところで、シュタイナーの先生の娘さんがかわいいバーバリーのコートを着ていた。
それを帰り際に見たはる、なんだかコートがうらやましくなったようで、
かわいいうさとのワンピースをぐるぐるっと脱ぎ、上着をママに要求していた。
うさと、かわいいよ、はる!でもコートがうらやましかったのかな。
そのあと夜、はるってでも要求が通らならくてもごね続けるとかなくて
いい子だよね~と私が言ったら、
「いや、あるよ。はるは食べ物関係だけは唯一ごねるよ」とパパコメント。
ほんとうに半日いっしょにいたが、相当な食いしん坊なはるさんでした。
でも、喜んでたくさん食べる子ってほんとうにかわいい。
みおさん、子どもにも旦那さんにも質のいいものを日々丁寧に
料理してるからだろうなあ。自分はそういうふうにできたら理想だけど
働きながらやるのかどうか、働きながら、できるだろうか。どうだろう。
台湾は大体女性は出産後2ヶ月で職場に復帰するので、
奥さんが働いている家ははおじいちゃんおばあちゃんが面倒をみるケースがかなり一般的。
うちも多分面倒は喜んでみてもらえそうだけど、いい面悪い面、もちろんいろいろあるので。
こうなっちゃうと、自然育児とかいってられないってなところがあるけども
私は自分が身を置かれた環境のなかで最もいいと思われる答えを
そのときどきで選んでゆくしかないなあと思ってるので、
無理のない範囲で取り入れつつ、というスタイルになるだろうな。
できるだけ。できるだけ。
そういう楽チンな気持ちで。
でも流されに流されたりは、しないように。ひきしめて。毎日、ちゃんと選ぶこと。
夕方ほかの子どもたちを送り出し、また昼寝のなかったはるはすっかり寝てしまい、
私とみおさんは気になっててしようのない都知事選の結果を見るためインターネットとNHKへ。
結果、ものすごくすぐわかったので、たいそうたいそうガッカリしつつ、パスタを作って夕ごはんだった。
twitterばかり見てるとひょっとして小池さんの票、かなり伸びるのかも…なんて
期待をしていただけに、ほんとうにガッカリした。
でも、震災復興も世の中の変化も、長期だね、とみおさんと言い合い、
気持ちをわけあった。外国で、日本人としてこの気持ちをわけあえる人がいてよかったなあ。
2歳って、自分の誕生日とかって、まだわからないみたい。
マクロ仕様のピカッとした(って光ってるわけじゃなくて、なんていうのか
愛情のかかり方が見た目からして違うんでなんか感動してしまった)ケーキを
前に、みんなでハッピーバースデイの歌を歌いはじめると、きょとんとしていた。
イチゴしか見てないね~。なんつって。
みおさんの旦那さんが「2歳はわかんないけど、3歳はわかるぞ絶対」とにこにこ。
私達カップルにも「子ども持つのはほんとにいいよ、おもしろいよ」と言ってくれた。
一日子どもと過ごすなんてほんとうに慣れないわたしたちは、淡水をあとにすると
どっと疲れがでて、それでも子どもができたらどんなふうな教育がのぞましいかとか
いろいろおしゃべりしつつ、帰る。台北からの高速での夜の帰り道っていつもじっくり話ができる
いい時間だ。それでもビオワインをいただいてほろ酔いの私が
「子どもできたらさ…」「こういうふうにしたいね」などと
夢中で話をしてたら「っていうか、まだ結婚してないんですけど」と釘をさされて
そういえばそうだったと、驚いた。
そうだった…。そして原発事故の影響を心配して
7月に日本でやる結婚式は延期したほうがいいと、
こちらのお母さんはまだ思っているようだけど、彼としては早いとこ形をとりたいようで
延期はしたくないと。私は父の選挙終わるまで待とうと、この件にはあえて触れないでいる。
そもそも台湾の結婚式、なんでこんなに遅くしたんだろうなあ。
と、今更遅いけど。笑。
いずれにせよ6-7月くらいまでは今やってるプロジェクトが量産に入るんで
仕事に集中したいってのがもともとの考えだった。というわけで、そうします。
まずはモリモリ働こう。最近、部下の力を借りてすこし上のレベルの仕事に
集中できるようになってきて、質があがってきた。ほんとうにありがたい。
この調子でがんばろう。
2008年に青森の六ヶ所村に行ってきたときの日記。
興味のある人は読んでみてください。
「六ヶ所村に行ってきました」
6/10-13がその部分。
震災以降、何度も思い出す。
吹越烏帽子から見た光景。
ひとりの人間として、ひとりの日本人として、学んだことを日々の生活に
活かしていきたいと思う。
少しずつ人事になっていく感じってすごくよくわかるから恐いけど
人は必ず成長する。
何度も起きたことを振り返って、起きたことの意味を考えて
今ここで自分に何ができるかを考えよう。
っていうことを、まずは隣にいる好きな人に伝えようと思って
まだ苦労しているけど、こういうことがだいじなんだと
たしかな気持ち。