May 30, 2011

日本で。

出張と、そのあと休暇もとって、1週間日本へ帰ってました。
震災後に、初めて帰国した。
台湾近いし、仕事もあるので、3~4ヶ月に一度は帰ってるようだけど、
今回は正月以来だった、すこし長く感じたな。

facebookとtwitterだけ見てるとものすごく原発や放射能のことって考えられてるようだし、
考えさせられるが、実際に日本に行ってみたら、誰もそのことを話題にしないし、
マスクしている人もいなくて、飲食店では普通に「東北を応援しよう」と
特に説明もなく、被災地の食材を売りにした品々のメニューが出てくる。

東京はところどころが節電で暗い(っていってもこのくらいでいいじゃないかと、
私なんかは思う。実際に電気が足りるかどうかとは別の話、震災なくても、節電はするべき。
スーパーやコンビニの灯りがあれくらいだったり、エスカレーターが部分的に止まってても、
誰も本当の本当には困らない筈)が、それ以外は取り立てて、変わったところがないように思う。

大手電機のお客さんのところにいくと、ああ、それ今日ちょうど会議で通達あったんですけど
夏休みは分散ということで、2回になりましたねえ。その代わりお盆は返上です。
とおっしゃってらした。なるほど。

夜は日々交友を暖める。お酒をたくさん頂く。
やっぱり震災の話も、原発のことも話題に上らない。
なんでなの、と聞いたら「日本人は考えることをやめちゃってる」っていうのと、
「考えたところで空気も食べ物も、毎日のことだから、答えの出ないことに対してそればっかり考えてられない」、
とは話をした人たちから出たコメント。

震災って変わるチャンスかと思ったけど、この国ってやはり変わらないのかな、と思った。
「これで変わらなかったら終わりよね」というひと言に、私と友人「変わらないような気がするけどなあ」
なんか、変わるのかなって気がしたけど、行ってみたら何にも変わってなくて
ビックリした。喉元過ぎれば、にならないといいと思うのだけど。

ただし、話題にするかしないかは別として、考えてないわけではないんだろうなあと思う。
何ができるんだろうと考えてる人やできることは小さくもしていたり、
祈ってる人はいると思う。でもやっぱり大人しいっていうか、やっぱり政治がこんなに
めちゃくちゃなのに誰も何にもいわないのはおかしいんじゃね?と思うわけですよ。
自分たちが選んだっていう意識があるから黙ってるって、そういうこととも違うように、感じるんだけども。

風評被害とかいう前に測定値が明確にされないことを追求しなくていいのかな?
安全な食べ物を手に入れることと、被災地の農家に対する保障とは、別の問題として
片付けるべきだ。もう汚染はされているのだから。
風評被害という前に、原発被害を明らかにすること。

その上で、農家や漁師への保障は、買い上げを基本に、
国家が削れるところ=政党助成金と米軍思いやり予算、をまず削って捻出して、
それでも足りないなら国民が出し合うしかないじゃないか。
この政府を選んだのは、国民なのだから。
汚染された食べ物を、政府が大丈夫といってるからって、内心びくびくしつつ、
子どもに食べさせることで、東北の農家さんが救われるわけじゃない。
ダメなものはダメだ。一度汚染されちゃったんだから、その事実を受け入れて、
何ができるかを考えなくちゃ。

日本で仕事を追えた日に、彼が台湾から合流してくれて、
会いたかったマダムとマスターと、ときこファミリーと聖子夫妻と新宿で食事会。
2次会は3丁目らしい、ビルの4階にあるちっちゃな、ソウルのかかってるバー、で
すっかり午前様。彼氏、唖然としてましたが。

自分にどこまでも正直に生きていると、会話としては一般的でなくなり、
(言ってることはまっとう)みっちゃんが目を白黒させてたのがおかしかったが、
こういうふうでありたいことよなあ、気骨のあることよなあ。と
うれしくうれしく、ふけてく夜だ。

生活はますますきびしい。ひとりで生きてた頃よりもっとどうにもならないことってあるんだなというのが
最近やっとわかり始めた私だが、信頼をもって、この人とともにあることを前提に、
それぞれの人生を続けていくことに、人生の価値があると思いたい。
というようなことを想った、4組のカップルナイト。みんな祝福してくれてありがとう。
ほんとうに、うれしかったです。

翌日の葛西臨海水族園。
取り留めない想いと寝不足。ゆるゆると、水のなかでどこの社会にも属してないような
中途半端な自分の立場を思う。日本人だけど。これは絶対だけど。
ペンギンはものすごくかわいかったし、エイと小さなサメに触れるようになってるのも、すごかった。
水族館ってすごいなあ、あれを維持していくひとたちのすばらしさよ。

実家に帰る。台湾から帰ると、なんて諏訪は夜は暗くて暗くて静かなところなんだろうと驚く。
その暗さに浸されて、何かが始まったような感じがした。

結婚式の準備はお願いをしたホテルのプランナーの方と、
写真やさん(衣装もそこでお願いすることに)が非常に良心的で
また実務に長けていて、1日で全て決めるって結構大変だったが、
かなり協力して頂いて、1日でほんとうに全てを決めてしまった。

お料理、式の段取り、引き出物、テーブルの誂え、ペーパーアイテム、お花、衣装、写真、席次…etc
しかも日本の式のことは彼に殆ど相談できないので、自分でどんどん決めるしかなくて、バサバサと、
こんなに金のかかることをほぼひとりで決めたのは初めてだ。
ある意味実業に関わってるからこそ、その場でどんどん決めることに慣れるんだろうけど、
それにしてもなかなかタフな1日でした。

諏訪での二日目は神社へ神前式の申し込みに。
自分がやりたかった形式なので、やっぱり実感がでてきてうれしい。
そうして、いろいろと準備を進めていくなかで、やっぱり親戚にちゃんと彼を紹介できる、
こういう形にしてよかったと思う。普段いないだけにね。

3日目はkozoくんとあっちゃんの結婚式@片倉館へ。
なんだかすべてがほんとうにすばらしくて、ふたりを囲む人の祝福でまあるい大きな気が
ぼわーんと広がってくような、ほんとうにいいお式と、披露宴だった。
あらためて、このふたりのことを大好きだ!!と強く思ったし、
ずっとまわりの人をだいじにしてきたふたりだからこそ、できた披露宴だったと思う。

何より、一日私と一緒に披露宴やくるみでの2次会に参加した彼も
感じるところが多くあったようで、かたや自分の台湾での友達づきあいを
考えたときにドライだなって、軽くショックを受けたようにもみえたけれど。
いろいろ話してもなかなかわかってもらえないことが、伝わったような。

次は台湾に来てもらえるの、ほんとうに楽しみだなあ。
今回、bちゃんともkozoくんとも、震災後に宮城に行って感じたこととか、
話しているような時間はぜんぜんなかったのだけど、伝えたいと思ってることが
たくさんあることは伝わったし、なにより日々の暮らしのなかで試行錯誤しつつ
重ねてきたものが等身大の人の大きさとして、グンと伝わってきて
それを、たまたま結婚式という機会にひしと私は感じて、
友のそのあり方をうれしく思うとともに、私もがんばらないと、と背筋の伸びる思いでございます。

あっちゃんとkozoくんが自分たちの藍染めた素敵な服を着て歌った歌を
彼とふたりで何度かきいては、とてもいいものをわけてもらったように
そう思うのです。それにしてもあっちゃんってなんて素敵なんだろう…。
なんかもとから好きだけど、ますます好きになりました。

お幸せに。これからも、よろしく。ふたり。
それからみんなーも!

投稿者 chaco : 01:16 AM | コメント (3)