芭蕉が凡兆を思い切って抜擢した理由は、当時芭蕉が模索しつつあった新風「かるみ」の実践に、凡兆の句風が大きな示唆を与えてくれたからでもあったろう。凡兆の代表作とされる、
禅 寺 の 松 の 落 ち 葉 や 神 無 月 (「猿蓑」)
な が ~ と 川 一 筋 や 雪 の 原 (同)
といった、一見対象をそのまま切りとったような句法に芭蕉は注目したのである。
それは広くみれば、当時の京俳壇における「景気」(景色、状景)の句流行を見据えたものでもあったろう。
(中略)
あるとき、凡兆が「雪つむ上の夜の雨」と句案して、上五字に何と置こうか迷っていた。いろいろ考えあぐねた末、芭蕉が「下京や」と置けばすばらしい句になると提案したところ、凡兆は一瞬「あ」と答えただけで、なお承服できない様子であった。そのとき芭蕉はさらに、もしこの「下京や」以上に勝れた五文字があるようならば、「我二度(ふたたび)俳諧いふべからず」とまで言って、激しく凡兆に迫ったという。
おそらく凡兆としては、春間近な雪深いところの景色などを趣向しようとしていたのであろうが、芭蕉は庶民の生活の匂いのする「下京」の街(京都の下町)のもつ暖かさが余情としてにじみ出てくるような世界を案じたのである。対象の構図を鮮やかに切り取ってしまう凡兆の巧みさを理解しつつも、芭蕉はそうした「景」の中の「情」の大切さを示そうとしたのであろう。
(中略)
凡兆の俳風は、(中略) 客観的で印象鮮明な叙景句に秀でているとされ、また、
灰 捨 て て 白 梅 う む る 垣 ね か な (「猿蓑」)
の句のように、そこに一種微妙な日常感覚の表出がみられ、俳諧表現の庶民性を新しいかたちで発揮していると評されている。それは「景気」の句が流行した元禄期の風潮によく叶ってもいた。ただ、凡兆の句における「景」の具象的鮮明さは、実景のごとく見えて、実景にしては整いすぎているのである。そこに凡兆の絶妙な構成意識の働きを見届けなければならない。
限られた字数で無限の詩的時空間を構築しなければならない短詩型の表現では、対象からある一つのイメージをつかみとってくるだけではどうにもならない。イメージとイメージを組み合わせるなど、そこに知的操作が加えられる必要がある。それが十七字の文芸にとっては表現の本質なのである。そして、凡兆の句には、そうした微妙な構成意識――凡兆独特の趣向の働きが、目に見えないほどの自然なかたちで備わっているのである。
百 舌 鳥 な く や 入 日 さ し 込 む 女 松 原 (「猿蓑」)
肌 さ む し 竹 切 る 山 の う す 紅 葉 (同)
(中略)
あるとき、『猿蓑』編集作業にとりくんでいた去来と凡兆の許に、芭蕉から、
病 雁 の 夜 寒 に 落 ち て 旅 寝 哉 芭蕉
あ ま の や は 小 海 老 に ま じ る い と ど 哉 同
の二句が送られてきて、このうち一句を入集させるとすればどちらかよいと思うかと尋ねられたのであった。「病雁」の句は、夜寒の空を渡る雁の列から一羽の雁だけが急に舞い落ちたのを見て、これに病に臥したまま旅寝をしている自らの心情のわびしさを重ねて詠んだものであり、いわば「景」と「情」が一つになった心境象徴の句になっている。これに対して「小海老」の句は、湖畔の漁師の家の土間か庭先に敷いた筵などの上にとってきたたくさんの小海老が干してあるが、ふと見るとその中にいとど(えびこおろぎ)が一匹まじっていたという嘱目の光景であるとみてよかろう。
さて、この両句の選択について、凡兆は、「病雁」の句も確かにすばらしいが、「小海老」の句の方は「句のかけり(ひらめき・働き)、事あたらしさ(題材の新しさ)」の点でこれ以上ない秀逸な句であるとしたのに対し、去来は、「小海老」の句の題材の珍しさよりも「病雁」の句の「格高く、趣かすか」な点を強く支持して、互いに激しい論戦をたたかわせたのであった。
『猿蓑』当時の芭蕉が求めた俳風には、「病雁」的な主観性の強い詠みぶりと「小海老」的な客観的形象性を重視したものとの両面があったようであり、その意味で二句の優劣はにわかには決着をつけ難い。
(中略)
ただ言えることは、『猿蓑』時代の凡兆が、「小海老」の句のような「景」の句を支持し、題材や着想の新しさ、それに感覚的なひらめきをとくに重視していたということである。
(堀切実『芭蕉の門人』岩波新書 より)
・・・
文中、凡兆の作風を形容した言葉に
共感を覚える。
「対象をそのまま切りとったような」
「「景」の具象的鮮明さ」
「対象の構図を鮮やかに切り取ってしまう巧みさ」
「絶妙な構成意識の働き」
「客観的で印象鮮明な叙景句」
そして、
「客観的形象性」
私が美しいと感じることに近いからだと思う。
芭蕉との「下京や」の論争、および
去来との「病雁/小海老」の論争では、
争点はどちらも、
「景」のなかに「情」が込められていたほうが美しいのか
ということであった。
芭蕉、去来は「情」を取り、
凡兆は、「情」のない「景」を取った。
いまの私だったら、
凡兆に賛同する。
それは、
「情」はいらない等という思想的な問題ではなく、
何を美しいと感じるかという生理の問題だ。
好きこのんで「情」を排したいと思うわけではない。
矯正しようにも治らない体癖のようなものなのかもしれない。
投稿者 vacant : 2005年07月23日 20:38 | トラックバック