あらゆる多様な価値観がミックスする東南アジアは世界のバックパッカーにとって、まさにメインフィールドのような存在であり続けている。彼らは旅することで価値観と情報、経験則のシャッフルを引き起こし、そこから生まれる何かを見出そうとしている。
しかし、バックパッカーの生態はIT化が進む世界の中で猛スピードで変容してきた。筆者自身も5年前から旅先で日記を書き、なるべく頻繁にそれを旅先からWEBに更新して、不特定多数の読者と感じたことを共有しているのだが、多くの人々がそうした生活の中に身を置いている。
試みにYahoo!の「リアルタイム旅行記」を見て欲しい。いかに夥しい数の旅人が足で地をまたぎ、頭脳はオンライン上に結びついてうごめいているか、確認できるだろう。バックパッカーは観光地や大きな街に着けばまず、インターネットカフェを探す。誰もが当たり前のようにHotmailのメールアドレスを持っていて、インターネットカフェでは多くの国籍のバックパッカーが自国のニュースを瞬時に見て、自前のBBSで道中を不特定多数の読者に報告する。
(中略)
ユビキタスとは、簡単にいえばいつでもどこでもネットワークだ。不特定多数とネットワークを共有し、いつでもどこでも必要な情報を引き出し、ネットワークの向こう側にいる誰かとコミュニケーションをとることができる。つまり、ユビキタス・ネットワーク社会とは、バックパッキング的なライフスタイルに自由を与えるだけでなく、むしろ積極的に推奨する世界観だとも言えるだろう。プロバイダからもらったアドレスのメールも旅先のPCで普通に見ることができるはずなのに、なぜかバックパッカーは猫も杓子も、ついHotmailを利用しているのも面白い。これを見る限り、Hotmailの概念そのものがビートであり、そのプログラム仕様書が現代版ジャック・ケルアックの『路上』なのかも知れないと思う。
ユビキタスの説明をしているのに、バックパッキングへと戻り着いたのは偶然ではない。所有することに捕らわれず、場所に固執せず、どこでもいつでもという考え方において、ユビキタス思想とバックパッキング思想は実は時代を越えて共鳴していたのだ。
(後略)
(『STUDIO VOICE』2003年9月号 山谷剛史「バックパッカーとユビキタス」より)