2005年09月13日

京都東ICに乗ったのは、午後2時過ぎのことだった。
南中をわずかに過ぎたばかりの日差しに見えるのに、
車の時計が「4:50」と表示していたので
一瞬ぎくりとする。
なんだ、狂ってるんだ。

オゾン層も無いような9月初頭の古都の空。
外を歩けばすぐに日光に刺されてしまう。
これから首都まで何キロあるのだろう。
(477.6kmだ。)
しばらくは無音で
おとなしく左端を走っていよう。

だが
すぐに、
手持ちぶさたを引き延ばして耐えてみる遊戯にも飽き、
1枚目「who said "La La..."?」wyolicaを、取り出した
(ESCB-2074)。
これからの400kmのあいだに、
1990年代の終りへ一人旅することにきめたのだ。

どこまでも直線が続く米原辺りも過ぎ、
やがて強い日射しは傾きはじめる。
9曲目are you missin' me?、10曲目渚。

養老か一宮で休んだ。
焼けた塗装に
淡く西日が照りつけている。

気を取り直して
本線に合流。
2枚目「MOMENTS」MOOMIN(ESCB-2010)。
いつもの高速道なら、
不貞腐れたくなるほど
哀しいオレンジ色に染まる陽射しが、
今日はなぜか
薄らとピンク色を孕んでいて
悲しくない。
むしろ美しい。

8曲目雨のウェンズデイ、9曲目RIDE ON。
以前から、
120kmを超えるとバッテリー警告音が鳴るんだよねぇ。

たしか上郷と、
牧ノ原で休み、また富士川でも休んだ。
日は暮れ、闇の中を
恐る恐る、猛スピードで走り続けている。
3枚目「The Very Best of ORIGINAL LOVE」(TOCT-8880)。

10曲目サンシャイン・ロマンス、11曲目ヴィーナス。
1990年代への旅は、
いつのまにかようやく終わろうとしていた。
高速の闇のなかに、
川勝正幸のライナーノーツと
「ポップ中毒者の手記」と
さまざまな記憶が、浮かんでは消えた。

海老名で休み、首都高に突入すると
3号はどこまでも夜間工事中だった。

81.3MZに切換えると
2005年の闇夜に
沖野修也と高城剛の声が
流れていた。

約1時間後
ようやく彼女に会うことができた。


投稿者 vacant : 2005年09月13日 03:14 | トラックバック
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