コロンビア大学の日本語教授であり、戦後の日本の極右にくわしいアイバン・モリス氏によると、1947年と48年には、この国の右翼勢力に対する「とてつもない」アメリカの財政支援が決定的な重要性を持っていた。
当時日本の政治はまかり間違えば別の方向に向かう可能性があった、とモリス教授はいう。
「それを阻止するために多くのことが行われ、そして結局それに成功した」
と彼は述べた。 (『ニューヨーク・タイムス』)
(中略)
戦争中、ドイツ陸軍には「東方外国軍課」の名で知られる参謀本部第十二課があり、ゲーレンはその課長をつとめていた。ここは、東方に関する情報活動の総元締でその守備範囲は、全東欧諸国から、スカンジナビア諸国、バルカン諸国にまでまたがっていたが、主たる対象はむろんソ連だった。ゲーレンは巨大なスパイ組織をソ連に張りめぐらすとともに、情報を解析する専門家集団を持ち、膨大な情報を常に最新のファイルに整理蓄積していた。
ドイツの敗北が目前に迫ったとき、ゲーレンは自分の機関の活動を停止させて休眠状態におき、重要資料をバイエルンの山中に埋めて保存しておいた。
ゲーレンの予測では、米ソの同盟関係がくずれるのは時間の問題に過ぎず、いずれ米ソ対立の時代がくる。その日になれば、アメリカは対ソ情報を得るために、旧ドイツ軍情報部の力を頼らざるをえない、なぜなら、ゲーレンがすでに持つ情報能力と同じものをアメリカが独力できずき上げるためには、数年の時日が必要で、それでは対ソ戦略上、時間的に間にあわないだろうというのだ。
(中略)
旧日本軍の特務機関は、ドイツのゲーレン機関のように、アメリカにとって利用価値のあるものだったろうか。
答えはイエスである。
対ソ情報、特に東部ロシアに関しては、関東軍がたくわえていた情報は世界でも比類がないものだった。ロシアは明治三十年ごろから日本陸軍の仮想敵国であり、そのころから対露諜報特務工作がはじまっていた。日露戦争の勝利の陰には、そうした特務機関の活躍があったことはよく知られている。
本格的に特務機関がスタートするのは、1918年から22年にかけてのシベリア出兵時である。ウラジオストック、イルクーツク、ブラゴベシチェンスク、チタなど占領下のシベリア各地に、住民宣撫、情報収集、政治工作、謀略工作などを目的とする特務機関が置かれた。
これらの特務機関は、シベリア撤兵後、再結集されてハルビン特務機関となる。ハルビン特務機関はやがて、満州、蒙古はおろか、パリ、ベルリンにまでその触手を伸ばし、機関員三千名を越える世界的な規模の特務機関を作り上げる。
(中略)
中国においても、事情は同じだった。
(中略)
昭和十二年、盧溝橋事件とともに、支那事変という名の日中戦争がはじまる。これと相前後して、中国全土にわたって、特務機関が雨後のタケノコのように生まれていく。軍部の正式な機関だけでも、まず各省ごとに中央特務機関がおかれ、その下にいくつかの支部が作られた。例えば、山西省の場合には、中央の太原機関の下に陽泉、雁門、汾陽、臨汾、路安の支部機関があるがごとくにである。
しかし、これ以外にも軍の出先機関が勝手に特定の特務機関を作ったり、有力参謀将校が大陸浪人を利用して私的な機関を作ったり、外務省や海軍の独自の機関があったりという具合で、全容は誰にもわからぬほど複雑な特務機関の網の目が香港、マカオを含む中国全土に張りめぐらされていた。
これらの特務機関はそれぞれに独特の性格を持っていた。軍事情報収集をもっぱらにするものもあれば、ゲリラ戦専門もある。謀略工作を担当するものもある。中共工作専門もあれば、蒋介石への働きかけをもっぱらにするものもある。汪兆銘の南京政府擁護のために働いているものもある。
日本軍特務だけではなく、国府の特務も、中共の特務も、アメリカのOSSも、イギリスのMI6も、ソ連の諜報組織も中国で動いていた。
それに加えるに、中国の暗黒社会を支配する伝統的秘密結社、青封、紅封などというものもこうした特務たちの世界と接触を保ちながら動いていた。密輸商人、阿片のブローカーなども同じ世界の住人だった。
要するに、日中戦争期の中国では、誰が敵で誰が味方かわからないような虚々実々の政治的経済的取引がそこここでおこなわれ、暗殺、誘拐、恐喝、暴行、強奪、詐欺などの犯罪行為が日常茶飯のごとくなされていた。とりわけ、国際都市上海では、各勢力の特務機関が入り乱れて活動しており、国際謀略都市の名をほしいままにしていた。
(中略)
倒産した企業の有能な技術者たちがアッという間に競争会社にスカウトされてしまうように、旧軍特務機関員たちは戦争が終わるとすぐに米情報機関にスカウトされ、主人こそちがえ、質的には同じような仕事に従事してきた人が多いのである。
(中略)
児玉と児玉機関の戦後史を追っていくと、そこには米軍の手によって再編された旧軍特務機関が複雑に入り組みながら登場し、さまざまの事件を起こしてきたことがわかる。
(立花隆「CIAと児玉誉士夫」より 『田中角栄研究 全記録(下)』講談社 所収)