2006年04月05日

「検察の中でも、政治や経済の中枢に関わる場合もある事件を扱う特捜部が、組織として微妙に権力とつながっていることは、おおむね合田にも想像のつく話だった。独立の捜査機関とは名ばかりで、個々に法務省へ出向する形で中央官庁とつながり、上の方は官僚と同じように天下っていくか、弁護士に転身してかつての敵を擁護する立場に回るのだと聞く。それをよしとしないなら、地方を転々として消えていくだけで、自分はその口だと、義兄はよく言っていたものだった。」

「『政治や経済のシステムの根幹に近いところで流れる不正な金については、それが表に出ることを阻む暴力が働くんだ。システムを守ろうとする暗黙の膨大な力だ。沈黙。自殺。スケープゴート。失踪。何でもありだ。』」

(『レディ・ジョーカー(下)』 高村薫 毎日新聞社 ISBN: 4620105805 )


最近は、面白い本を読んだ後には、よくAmazonのカスタマー・レビューを読みにいく。

この本を高村薫の最高傑作と推す声は多かったが、
「あの事件」の真実が書かれている!
という類のレビューは、意外に少なく約1名だった。

私はと言えばそれはもう
「あの事件」の真実が知りたくて読み始めたようなもんだから
8割方ノンフィクションを読んでいるつもりだった。

だから、終章に近づき、物語が映画的になるにつれ
(けっきょく)本当の真実は知りえないことに(今さらながら)気づき、ため息をもらした。

Amazonのカスタマー・レビューでは
この映画的なエンディングを賞賛する声が多かった。


また、同時に、映画版をこき下ろす声も多かった。
とくに監督への罵声が多く、「仕事として撮っただけでは」などと冷静に批判されていたのには思わず注目した。


映画監督になれた人なんて、『ウェブ進化論』の言葉を借りれば、まさに
「ほんのわずかな人に許された特権」を手にした立場。
「仕事として・・・」なんて言われるのは
ふがいないことですよね・・・。

 「文章、写真、語り、音楽、絵画、映像・・・。私たち一人ひとりにとっての表現行為の可能性はこんな順序で広がっていく。それが総表現時代である。ブログとは、そんな未来への序章を示すものである。
(中略)
 メディアの権威側や、権威に認められて表現者としての既得権を持った人たちの危機感は鋭敏である。ブログ世界を垣間見て「次の10年」に思いを馳せれば、この権威の構造が崩れる予感に満ちている。敏感な人にはそれがすぐわかる。」

(『ウェブ進化論』 梅田望夫 ちくま新書 ISBN: 4480062858)

投稿者 vacant : 2006年04月05日 21:20 | トラックバック
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