2006年04月12日

 「こんな幼稚なふるまいが通る社会というのはしかし、皮肉にも、成熟しているのかもしれない。とくに何のわざを身につけることがなくともなんとなく生きてゆける。自活能力がなくても、『一人前』にならなくてもまあそれなりに生きてゆける…。大半のひとがそのように感じながら生きてゆける社会は、セーフティネットがほんとうに完備しているならの話だが、たぶん成熟しているのだろう。とすれば、『一人前』にならなくても政治にかかわれる、経営もできる、みんなが幼稚なままでやってゆける、そんな社会こそもっとも成熟した社会であると、苦々しくも認めざるをえないのだろうか。

 働くこと、調理すること、修繕すること、そのための道具を磨いておくこと、育てること、教えること、話し合い取り決めること、看病すること、介護すること、看取ること、これら生きてゆくうえで一つたりとも欠かせぬことの大半を、ひとびとはいま社会の公共的なサービスに委託している。社会システムからサービスを買う、あるいは受けるのである。これは福祉の充実と世間ではいわれるが、裏を返して言えば、各人がこうした自活能力を一つ一つ失っていく過程でもある。ひとが幼稚でいられるのも、そうしたシステムに身をあずけているからだ。このたびの事件の数々は、そうしたシステムを管理している者の幼稚さを表に出した。ナイーブなまま、思考停止したままでいられる社会は、じつはとても危うい社会であることを浮き彫りにしたはずなのである。それでもまだ外側からナイーブな糾弾しかない。そして心のどこかで思っている。いずれだれかが是正してくれるだろう、と。しかし実際にはだれも責任をとらない。
 『われわれは絶壁が見えないようにするために、何か目をさえぎるものを前方においた後、安心して絶壁の方へ走っている』。十七世紀フランスの思想家、パスカルの言葉はいまも異様なほどリアルだ。

(中略)

ひとはもっと『おとな』に憧れるべきである。そのなかでしか、もう一つの大事なもの、『未熟』は、護れない。」

(鷲田清一「現代おとな考」より引用 読売新聞2006年4月12日(水)朝刊に掲載)

投稿者 vacant : 2006年04月12日 23:59 | トラックバック
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