長年の懸案であった村上龍の小説を、ついに、生まれて初めて読むことにした。
図書館で、阿部和重の本と一冊ずつ借りた。
『五分後の世界』(幻冬舎 ISBN4-87728-004-9)
1994年に書かれた村上版「国家の品格」とも言えるかもしれない。
パラレルワールド手法を用いて、
絶望的世界ながら、ある種村上にとっての理想の日本が描かれている。
・日本は、本土決戦し分割占領されたが、大敗したことで多くを学んだ。
・日本は、「アメリカ価値観の奴隷状態」になることなく、「世界にむかって勇気とプライドを示しつづけ」ている。
・日本は、「いかなる意味の差別もない」唯一の国として、国際的に認められている。
・日本人は、自国文化にプライドをもち、自律的に節度を持って生きている。
・日本人の兵士は、どの国の兵士にもまさる身体能力と、「生きのびることだけを考える」生存能力を鍛え上げている。
日本人の兵士の敏捷さ、タフさを執拗に描いているくだりを読みながら、
ふと昔村上がどこかで語っていた言葉を思い出した。たしか、こんなコメントだった。
「テニススクールとかで、動きのどんくさいオヤジとかを見てると、ブチ殺したくなる。」
種としての生存本能がそう思わせるのだ、とか言っていた。
戦争になったとき、そのオヤジのせいで自国軍が全滅するかもしれない、
そのリスクを考えると殺したほうがいいのだ、とか言ってた気がする。
坂本龍一との対談『E.V.cafe』(講談社文庫 ISBN: 4061843591)だったかな。
己の心と身体と国家にプライドを持って、サバイブしろ。
村上の考えをひと言でいうとそんな感じか。
「こいつらはそういう間抜けではない、地下で暮らしているせいで顔色はみんな白いが筋肉のつき方が間抜けの代表とは違う、身長は平均だろう、だが肩とか尻とか脚の筋肉がよく発達していてしかも締まりがある、女子も同じだ、手足がしなやかで手首や足首がキュンと締まっている、全員がスポーツ選手のようだ、先生にちくるのを生きがいにしている間抜けの代表のクラス委員は大体からだつきが変だった、キャバレーのボーイみたいに尻が小さくて蹴りを入れると折れそうな腰をしているか、スポンジや風船みたいなブヨブヨの、締まりのない肉の持ち主だった、養殖魚とかブロイラーとかそういう類の肉だ、ごくまれに、学年に一人いるかどうかという割合で、まったく別のタイプがいた、放っといても勉強ができて、脚が速く、不良のグループにも平気でオハヨウと声をかけてくるような奴だ、先生にくってかかることもあるし、冗談もうまい、そういう奴は手に負えなかった、集団でしめにかかっても決して屈しないし、そのうちこっちがみじめな思いに陥ってしまう。こいつらは、と小田桐は次の発着スペースで降りていった生徒達を見て思った。全員、その手に負えないタイプなのだ。」
(『五分後の世界』より)
村上の小説を初めて読んだのだが、その文体についても感想を持った。
この小説がSFだったからかもしれないが、
すでに存在する世界が言葉で描写されている、という感じではなくて、
一文一文から世界が作られていく、という感じを受けた。
白紙の原稿用紙に世界を作り出そうと、四苦八苦している様子が伝わってくる感じだ。
一文書かれるごとに、接ぎ穂が伸びるように、原稿用紙に世界が書かれるのが見える。
「がんばって描写してやる」という意気込みが伝わってしまう感じ。
変な言い方だが、私が自分で(世界をつくりだそうとして)書いている文章みたいだ、と思った。
つい先日読んだ、宮部みゆきや高村薫の「フィクション」とは、ずいぶん違う印象だ。
(この比較に意味はないかもしれないが。)
・後半、盟友坂本龍一を模した「ワカマツ」が登場するあたりから、だれた。
・主人公の発言が、カギカッコでくくられないのは新鮮だった。
それから、
もうひとつ気づいた点。
「異様に速く」とか「恐ろしいほど素早く」とか「信じられないスピードで」とか、ずいぶんポピュラーな修飾語が多用されていたのにも驚かされた。一気呵成に書き上げたという感じは伝わってくるが、工夫された日本語という感じはしない。
もしかして、主人公小田桐の表現力の無さを表現しているのか?
もしかして、この人は、「美文」とかは軽蔑しているのかもしれないな。
もし訊いたら、こんな風に答えるかもしれない。
「もちろん母語としての祖国語は上手に使えなくてはならないが、目的は的確な伝達だ。美文なんてものは、室町時代の貴族化した武士みたいなものだ。」
大蔵省出身の三島由紀夫は、筋肉と国防で、自らを武装した。
佐世保の村上は、さしずめ、筋肉と経済か。
そういえば、村上の新刊は「盾」っていうんだった。
「わたしは一つの仮説を立ててみました。わたしたちの心とか精神とか呼ばれるもの
のコア・中心部分はとても柔らかくて傷つきやすく、わたしたちはいろいろなやり方
でそれを守っているのではないか、というものです。そして守るためのいろいろな手
段を「盾・SHIELD」という言葉で象徴させることにしました。さらに「盾」には、
個人的なものと集団的なものがあるのではないかと考えて、それをわかりやすく伝え
るためにこの絵本を作りました。官庁や大企業のような強い力を持つ集団・組織へ加
入することで得られる盾もあるし、外国語の習得、いろいろな技術・資格など個人で
獲得する盾もあって、わたしたちは常にそれらを併用しているのではないかと思いま
す。たとえば日本国籍は、日本に居住している大部分の人が持つ盾で、海外に行くと
そのことがわかります。
この絵本のテーマは、官庁・企業に代表される集団用の盾に身を寄せるのは危険だ
から止めて、個人用の盾を獲得すればそれでいいというような単純なものではありま
せん。どのような盾を選ぶにしろ、それに依存してしまうのは危険です。いずれにせ
よ、盾はとても大切なものを象徴しています。自分はどんな盾を持っているのか、あ
るいは持とうとしているのか、読者のみなさんが考えるヒントをこの絵本で得ること
ができればと思います。」
(『盾・SHIELD』幻冬舎刊 「おわりに」より ・JMMより引用)
おわりに、
パラレルワールドつながりで、ぜんぜん関係なくひとネタ。
だれかに教えてあげようっと。