5月7日(日)の読売新聞朝刊書評面に、「本の森」というコラム欄があり、
石原慎太郎が書いている。
見出しが「現代小説は古典たり得るか」というものなのだが、このコラムが
先日(5月3日)ここに書いた
「アタマの大きな人が身体的・ストリート的・不良的小説を書けるのか」
「時代の先端を描くのに水モノをネタにする必要があるのか」
という問題の参考になりそうなので、
長めの引用をさせていだだく。
「この現代に新しい小説をものにしようと志している若い作家たちに一つだけ確かにいえることは、自らの作品もやがては古典たらんと欲するなら、今まみえている風俗にいたずらに媚びてこだわらぬことだ。特に現代の若者たちの使っている奇矯な言葉づかいをそのまま持ちこむのは控えた方がいい。そんなものは後一年も経てば陳腐を通りこしほとんど意味も成さぬものにしか響きはしまい。言葉の風俗としての腐蝕は往々作品の本質さえ疎外してしまうだろう。
私自身の心得として、私は手掛けた青春主題の作品の中で当時の言葉の最先端風俗だった、私たち湘南族が真似して使ったジャズマンたちのひねった用語を使うことは決してなかった。それは風俗なるものの、実は文学にとって無縁に近い本質を感じてのことだった。言葉の風俗にしきりに媚びている現代の多くの若い作家の作品に私がある疎ましさを感じる所以もそこにある。」