「僕の場合、いつも商品が目指しているターゲットから言葉が出てくるんです。僕のマーケティングは広告する商品を他の商品と差違化するのではなくて、マーケットの中を差違化するマーケティング。今はほとんど商品に違いがないから、広告の受け手の方を差違化していくわけです。これを使うと知的に見えるとか、オシャレに見えるとか。受け手に『この広告は自分のことを言っているんだな』と思ってもらえたら、そこでコミュニケーションが到達する。次第にブランディングが出来てくる。その商品を使うと自分がどうポジティブに見えるかということが、僕のブランディングの一つの方法論なんです。インフラというマーケティングがしっかりしていれば、言葉なんていくらでも出てくる。そこから出てくる言葉であって、僕が出してる言葉じゃないんですね。」
(『ブレーン』2006年6月号 「伝わる広告とコピーを求めて Vol.16」 秋山晶インタビュー より)
「孤独はイメージの核みたいなものだと思います。なぜなら、孤独は非常にポジティブなものだから。孤独自体は決して不幸なことではなくて、孤独に気づいていないことが一番の不幸なんです。隣に人がいるとか、愛する人がいるということは関係ない。孤独というのは自分自身のものだからね。孤独から生まれたコピーは深層心理から出てきたものだから、時代も性別も人種も関係なく、人間の共通したものであるはず。そういうのが優れたコピーだと思います。大事なのは、いかに具体性を持たせるかということ。だから僕はライブ感を出したいと思っているんです。過去のことを語っても、いま“この瞬間”を持っていることが大事。文章を読んだ人の中に浮かぶ映像、それこそがコピーにおける一番のライブ感といえるでしょうね。」
(同)
・・・
文章が上手な人は、しばしば
段取りっぽい書き方をしない。
理屈のステップを飛ばしたりする。
それなのに、
書き手のペースに読み手を巻き込んでいく。
そういうのもライブ感と言える気がする。
AはBである。BはCである。ゆえにAはCである。
と、行きつ戻りつ、説得のステップを歩まない。
AはBだ。CはDだ。EはFだ。
と書き進めていくのだが
読み手は、まるでAからFまでつながっているように読めるのだ。
以前ある人が言ってた
「斜め読みできること」というのも、そういうことなのだろうか。
・・・
「間を開けているけれど、一切説明はしていません。そうすることで、読む人は文章の間を補填しながら読んでいくわけです。いわばデジタルですね。デジタル録音は音と音の間に隙間がある。しかし、脳は音は連続していると理解しているから、音と音が連続して聞こえるのです。文章でもそういったデジタル式で書いたものの方が、今の人たちには読みやすいのではないかと思います。」
(同)
「『生きてるうちは未来だ。』というコピーは、全体の文章よりも先にできました。いま僕は70歳で、世の中と接触できるのはせいぜいあと10年。だからポジティブでいたいと思っているんです。未来は有限だけど、自分が死ぬまでは未来。『新聞を読むようになって、僕は老人になった。』という言葉から始めたのは、老人であるというスタンスを限定しないと『生きてるうちは未来だ。』という言葉が実感として伝わらないと思ったから。若い人が言っても伝わらないけど、老人が言っていると思うと意図が伝わりやすくなるでしょう。」
(同)
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年齢をとって、私は、他人を尊敬することを覚えた。
投稿者 vacant : 2006年06月16日 21:14 | トラックバック