2006年06月27日

長尺-3

曲名: Perdido
収録: 「Live at Carnegie Hall」 Charles Mingus
尺数: 21'57"
録音日: 1974.1.19.
(Rhino - ASIN: B0000033QY)


夜が白みはじめていた。

ほのかに青白く
おぼろげな解像度で
ものがかたちを帯びはじめていた。

二階の窓から見下ろすと、
目の前の広い幹線道路はがらんとして、ときおり車が流れていく。

粗い空気の粒。
薄紫の麻の生地ごしに
かすめてものを見るような。

大きな交差点の斜向こう側には
こちらと同じように
角地に立った店があって、
白みはじめた空気とはちぐはぐに
ねっとりと濃く赤いランプがビロードの照りのように
終わりゆく夜を哀しんでいるように見えた。

店内には、まだ夜が居残っていた。
空気は、流れない。
それでも窓外の露光の変化は
古時計や使われないギターや
棚のうえに山のように積まれた立派な古道具(ガラクタ)に
うっすらとちりが積もったような
白い光を与えていた。

もう客は、
われわれだけかもしれない。


さっきから
長い長い曲が、続いている。
夜も終わりだよ、さあ、

店内のわれわれに告げているように
聞こえる。

昨日から続いてきた長いひと晩の大団円を締めくくる
ファンファーレのような、
それとも
夜が終わってしまうことが惜しくて
すこしでも引き延ばそうと
もだえている
断末魔のような。

そんな曲だ。


さすがに長すぎる。
それにしても気になる曲だ。

トイレに立ったついでだったか、
店のTATOOに曲名を訊いた。
TATOOにものを尋ねたのは初めてだったが
彼女はアルバムのジャケットを手に
きちんと教えてくれた。


こうしている今夜にも、
あの街で
この街で
人間の種類だけ
あんな夜や
こんな夜、
数えきれない種類の夜が過ぎている。

ある年齢だけが
過ごす夜がある。

ある季節の人間だけが
過ごすことができる夜がある。

もう二度と過ごすことはない夜の過ごし方がある。


毎晩酒を飲み続けていると、
やがて
どんな夜も
いつもと同じ
ただ過ぎてゆくだけの夜になってしまうのだろうか。

なぜだろう。
あの頃、
すべての夜が
特別な夜だった。


人生には真理があると思っていて
その真理の一端は
「AKIRA」に書かれていると思っていた。

読書灯のついた棚のうえに
乱暴に積み重ねられたその中に。

傷だらけの卓球台をつかったテーブルに
何かの証しを刻みつけたくて、
サインを彫りつけた。

曰く、
NEO JAPANESE BEATNIK
島嶼派
古い話。

夜は
明けることはないだろう。
この曲も
いつまでも永遠に終わることなく
ローランド・カークは
闇のなかで呻りつづけるだろう。

山手通りと目白通りの交差点に
陽が昇ることはないだろう。

1階のファミリーマートの蛍光灯が消えることはないだろう。

d-kenに連れられて登った店の階段の入り口から
2台のバイクが消えることはないだろう。


移転したその店(b-girl)には、結局一度だけ行った
その店も今はもう無いと聞く


投稿者 vacant : 2006年06月27日 02:07 | トラックバック
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