2006年08月25日

(つづき)

しかし、よく知りもしない他人様のことを
よくもまあここまで手前勝手に書き連ねられるもんだ。

厚顔無恥とはこの私のことだと思うよ。


を語る、ひとり相撲、つづく。


・・・

いま、Webのなかから、偶然に
ある文章を発掘した。
青森県立美術館が準備期間中に発行しつづけていた通信誌
『A-ism』のバックナンバーだ。

A-ism vol.6 esperanza エスペランサ
青森県立美術館に望む
第3回 奈良美智(美術家)

2002年8月4日、弘前から東京へ戻る列車のなかで読んだ
まさにその文章だ。

4年ぶりに
この文章を読んで、
私の「AtoZ」展に対する煩悶(?)は、答えを得られた気がした。

すでに2002年に、奈良さんがその答えを書いていたのだ。


【煩悶1】
「制作プロセス」や「生活プロセス(?)」を作品としてさらすのはなぜか。

【解1】
奈良さんは、
「作者のリアルな存在を感じてもらうこと」にこだわりたかったのだと思う。

どういうことか。

彼は、原体験として
絵の背後に作者の存在を感じとって激しく感動した経験があったのだ。
そのことが以下に述べられている。

「そこには小さな建物があって県内から出土した縄文式土器やなんかが展示されていた。(中略)
薄茶けた古代のかけらにそれを作ったであろう人という存在を想うという少しロマンチックな気持ちだった。」

「高校卒業後、上京して一人暮らしにも慣れたある日の午後、僕は上野公園にある西洋美術館で一枚の絵の前にずっとたたずんでいた。その絵はヴィンセント・ヴァン・ゴッホの油絵で、彼特有の生き生きとしたタッチと色で郵便配達夫が描かれていたのだけれど、僕をその絵の前に留まらせていたものは、色や構図が良いとかモチーフがどうとかそんな感慨とは違っていたと思う。それは絵の前に立った時の「まさにこの位置に画家が立っていたのだ!」という感動だったのだ。画家はここに絵筆とパレットを持って立ち、このキャンヴァスとその少し向こうで椅子に座ってポーズをとるモデルとを交互に見つめながら描いていたんだと思うと、その場所から動けなかったのだ。絵が掛けられた壁の向こうにポーズをとっている郵便配達夫が確かに居て、僕は彼までの距離すらはっきりと感じられるようで、その奇妙な感覚をずっと体験していたかったのだ。たった一枚の絵が、僕の体をタイムマシンのように時と場所を越えさせていること。それは幼い頃にあのちっぽけな資料館で見た土器、その土器の表面にまとわりつくように動いた縄文人の手を感じた感覚よりもリアルだった。」

「無限とも思われる宇宙の歴史を考えると、人類の歴史はほんの一瞬の瞬きなのかもしれないな、なんて思ったりもするのだけれど、それは決して悲観的な思いではない。逆に今生きているという時間の貴重さを感じるのだ。そう思うと、ちっぽけな縄文土器のかけらすらも、誰かが作りそして使っていたこと、いつしか土の中に埋まりながら長い年月を経て掘り出され現代人と対面することも、いとおしいことに感じる。」


【煩悶2】
では、
「完璧な展示」とは何か。
作者の手を離れて展示されたら、作品は不完全になってしまうのか。
むしろ、作者の手を離れて、作品は完成するのではないのか。

【解2】
奈良さんは
こんな風に考えているんじゃないかと思う。
理想は、
作者が作品を生み出したその場で、作品を見てもらうこと。
(究極は、
郵便配達夫を目の前に、傍らにゴッホが立っている、その場で、彼が描いている絵を見ること。)
しかしそれが無理なら、
見る人が
郵便配達夫や、ゴッホを、リアルに感じられる場で見せるべきだ。
郵便配達夫やゴッホのリアルな存在を感じさせることこそ、
作品の感動につながるのだ。

そんな風に。

「日本の高度成長期から雨後の竹の子のように各地方に美術館が建てられ始めたけど、そのほとんどは作品が展示しにくい空間になっていて、展示構成する側にしてみたらかなりの苦労を強いられた気がする。絵や彫刻、作品と呼ばれるものは、いつか見たゴッホの絵のようにそれひとつでも、成立していなければいけないものなのだろうけど、美術館という入れ物があって展示室という箱があるのなら、その中に作品たち自体が相互に気持ちよく納まっているのが理想だろう。しかたなくそこに飾られるのではなく、そこにあることが作品たち自体をも活性化させていなければならない。」

「最近その設計者である青木淳氏とお会いする機会があって、設計図面を見たりしながらいろいろ話すことができた。(中略)
展示室とその空間自体が必然的に抱え込む「建築空間として自立しながらも、展示されて成立しなければならない空間」という根本的な問いの答えが実際にどんなふうに眼前に開けるのか、楽しみにさせてくれる話だった。」

「遺跡を見て感じるリアリティは、(中略)
そこにそういうふうにしてなければならなかったと言い切れるものたちが、そこにそういうふうにしてあったからだ。」


・・・これ、制作部屋を展示する、例の作品のことじゃん!
(「My Drawing Room」2004)

そこにそういうふうにしてなければならなかったと言い切れるものたちが、
そこにそういうふうにしてあった

それが、
遺跡を見て感じるリアリティ

それは、ゴッホがリアルに存在したことを実感する、リアリティ。
名も無き縄文人が、リアルに存在したことを実感する、リアリティ。

そうかぁ・・・。
奈良サン、
「リアリティ」が欲しかったのかぁ。

そのリアリティは、
人間が永遠につかまえられないリアリティ。

影法師がつかまえられないように。

「時間」をつかまえることができないように。

なんでもない人たちが、いまも、世界中で、確実に、生活している。
その、リアリティ。

たくさんの写真家が、映画作家が、

つかまえようとして、

いつも蝶々のように逃してしまう、リアリティ。


他人のリアリティは、残すことができないけど、

自分の生きた痕跡なら、

制作部屋を、そのまま保存すれば(遺跡のように!)、つかまえられる。

そのことが、

見る人に、

ゴッホや縄文人のような、「そのときそこにリアルに存在したリアリティ」を

感じさせることができるんじゃないか。

そう考えたのかも。


「今こうして当時を回想してみても何故か思い出せず、あの小さな小屋のような資料館だけが、あの頃の気持ちそのままに頭の中に浮かんでくるのはなぜだろう。」

(・・・わぁ、「小屋」もまた、2002年にその萌芽が記されてたんだぁ。)

つまり「小屋」とは、

「制作部屋遺跡」の代用品であり、メタファーなのだろう。

奈良さんにとって、

究極の美術館、

それが「制作部屋」なのでしょう。(極論だけど。)


・・・


この半月間、だらだらと書いてきたことが、

けっこう

一気に氷解している気がしている。

かなり、

長丁場のひとり相撲です。


・・・


でもね。

(と、また思う。)

ゴッホや、縄文人を、実感することは、

確かに、体が震えるような感動だけど、


反対に、

ゴッホや、縄文人を、実感しないことも、

これもまた感動なんですよねぇ。


「匿名性(anonymous)」の感動。


はるか昔、
中学生の頃に読んだ新聞に、
志賀直哉の言葉として引用されていた文章が
思い出された。
曰く、

仏像を見るとき、人は、その作者に思いをはせたりはしない。
「これは誰がつくったのか」などとは思わない。
ただ仏像が、みずからここにいるかのように眺めるのである。

続けて志賀直哉は、
自分もそのような作品をつくりたい、と述べていた。


杉本の作品は、
志賀のその言葉のように
荘厳な匿名性を帯びはじめていた。


・・・



投稿者 vacant : 2006年08月25日 21:55 | トラックバック
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コメント

ほんと、いつもおもしろくて、貴方の顔の表情を思い出しながら読んでいます(35歳・男性)

Posted by: 六ヶ所村ズドラマー : 2006年08月26日 11:03

外国の(ベルギーの)ビールでも飲みたいですねえ。できれば空の下で。可能であれば陽の落ちる前から。

Posted by: vaca : 2006年08月28日 22:42
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