『もの食う人々』を読んだからというわけではないのだが、
前々から気になっていた小泉武夫先生の
『くさいはうまい』(毎日新聞社刊 ISBN:4620316350)
を読了した。
時を同じくして、
NHKの「クイズ日本の顔」という番組で
先生を特集していたものを
ハードディスクレコーダーで見た。
小泉武夫先生は、東京農大で「発酵学」を研究している教授である。
そして、世界中のくさいもの(=発酵食品)を食べ尽くしている、食の冒険家。
その文体から、勝手に
白髪まじりに眼鏡のシワっぽいご老体をイメージしていたのだが、
テレビで見たお顔は
毛沢東とSBIの北尾CEOを足して2で割ってさらに福々しくしたような
黒髪の若々しい62歳であった。
人間、食にこだわると
中国人のような
ぱんぱんつやつやの頬になっていくのかしら。
「あっという間に胃袋にすっ飛んで入ってしまいます」
「舌に馬力がかかる」
といった魅力的な文章表現もさることながら、
なんといっても眼目は、この人の食べてきたものの数々。
世界三大(?)臭い食べ物といわれる
スウェーデンのシュール・ストレンミング(ニシンの発酵食品)、
韓国のホンオ・フェ(エイの発酵食品)、
イヌイットのキビャック(海鳥を詰めたアザラシの発酵食品)、
中国の臭豆腐、日本のくさやをはじめとして、
熟鮓(なれずし)、魚醤、酒粕、チーズ、
ニンニク、ネギ、甘酒、沖縄の山羊、
パパイヤ、ドリアン、アボカド、はもちろん、
鮭の肝臓の塩辛(メフン)、
フグの卵巣の糠漬け、
発酵肉、発酵魚、馬乳酒、タヌキ、熊、イルカ、アザラシ
カラス、鴨の肝臓を干したもの、カモメ、
屁臭虫の幼虫、蚕の繭ごもり、蝉、カブトムシ、ゴカイ、ゲンゴロウ、赤蟻、コウロギ、バッタ、タガメ、ゴキブリ、イボタノムシ、クワガタ、カタツムリ、ハチ、ハチノコ、クモ、蛾の幼虫・・・
「私も何度も食べましたが、特有の焦げたような虫臭があり、食べ慣れぬ者はその臭みが鼻をつき、しばらくは苦労するでありましょう。」
「ただし、アブラゼミだけは、イカの塩辛が蒸れたような、異様で独特の臭みが残っていて食べるのに骨が折れた経験があり、カレー粉のような、食欲を奮いたたせる香辛料でその臭みをマスキングしてからの方がよかったかもしれないと今は思っています。」
「カラスの肉の臭さを何と表現しようかと戸惑った挙句、その臭みをズバリ説明できるものを思いつきました。すなわち仏壇に供える線香であります。肉を線香で焚き染めた、そんな異様な臭みなのです。」
「五位鷺の臭みなどは、カラスの肉の線香のにおいのようにトーンの高いものではなく、屍を思わせる陰湿な臭さであるといわれます。」
しかし、
そのようなゲテモノ食いだけがこの本の、小泉武夫先生の魅力ではない。
発酵とは、
食料を保存するための知恵であり、
つまりは「生きるための知恵」だ。
文中によく、「そのつくり方は・・・」と
発酵食品の作り方の手順がさらさらっと書き述べられているのだが、
もともと「食」にうとい私には
字を目で追ってもイメージがわかない。
それよりこんなに複雑な段取りの「つくり方」を
だれが
いつどうやって
生み出していったのか。
食えないものを食えるようにする知恵、
保存できないものを保存する知恵。
途方も無い試行錯誤の積み重ねであろう
「知恵」の歴史に、
気が遠くなっていく。
いつもの
この日記っぽい言い方をすれば、
そうした、
はるか先人たちから伝わる「生活の知恵」を
少しずつ、身につけていくことが
「社会化」なのだ
といえるかもしれない。
私は、といえば、
「字を目で追うだけ」なのは、
食に関してだけではない。
食べ物の名前、
その食べ方、つくり方、
魚の名前、
鳥の、花の、木の、動物の、虫の名前、
どんな季節にどんなことが起こるのか、
コメは麦は、どうやってつくられるのか、
私はなにひとつ知らない。
成人して職業に就いているというだけで
社会人、という名前になっているが、
人間がずーっと長い間知っていたことを
私はなにも受け継がずに、
ただ
生き続けている。
「腐っているものと発酵しているものを見分けられない人というのは、人間あるいは動物としての肝心な機能を喪失していることになるのですね。」
「非常に面白い実験がございまして、日本のご夫婦、イギリスのご夫婦、アフリカのご夫婦、モンゴルのご夫婦を対象に行われたものなのですが、それぞれの奥方に同じ下着をはかせて、その後彼女が脱いだ下着を男性諸君に嗅がせて、自分の奥さんのにおいを当てられるかどうかを試したことがあるそうです。すると面白いことに、文化水準の高いイギリス人や日本人は当たらない。ところが、モンゴルやアフリカなどの方は、何度やっても当てることができたそうです。」
「特に、インドール、スカトール系、つまり人間の糞を乾燥させたようなにおいを、日本人はいいという人が多いんですね。肥桶の糞尿を田んぼに撒いて、乾燥させたにおい。(中略)
そういうふうに、それぞれの民族によって、好きなにおい、嫌いなにおいがある。(中略)
あるいは、パンを主食に食べる人たちは、麦の焦げたにおいに強烈に惹かれます。(中略)
そのために食べ物を燻製にしたり、コーヒー豆を焦がしたり、ウイスキーの原料までもスモーキーフレーバーにするために焦がしてしまう。
一方、日本人は米を炊いてきました。(中略)炊きあがった時に温泉卵のようなにおいがします。つまり、硫化水素を代表とする含硫揮発性化合物のにおいです。日本人はあのにおいに抵抗はないけれど、外国人はダメな人が多いんですよ。
(中略)子どもの時にお尻に青い痣がある私たちモンゴロイドの人たちは、どちらかというと酸っぱいものが苦手なんです。ところが、ゲルマン人は猛烈に好きです。あちらでは、早くからビネガーが発達していましたからね。つまり、好き嫌いには、その民族の食の履歴が関係しているのです。」
「日本を含め、東南アジアや東アジアの地域は、湿度が非常に高いので、カビ文化が発達しました。そういした地域ならではの食品が、魚醤や納豆、熟鮓、味噌、醤油などです。いずれも湿度が高いところに似合うウェットなにおいといえるでしょう。
一方、ヨーロッパなどの乾燥地域では、もっとドライなにおいが好まれます。(中略)例えば花のにおいとか果物のにおい(中略)パンの焦げるにおい、(中略)ウェットな空気の世界とドライな空気の世界では、においの嗜好も変わってしまうわけです。」
(引用はすべて、『くさいはうまい』小泉武夫著 より)
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