2007年02月12日

眼がすわったクルマたち、そして、斜光の町。シルエットのパームツリー。

それがLAの印象だった。

北米仕様にデザインを一部変更、なんてフレーズは聞いたことがあったが、
たしかに、走ったり止まったりしているクルマたちの顔つきがどことなく、違う。

あえてどこがと云えば、目つきがすわっている。
薄い眼の暴力団風の男、といった人相描き。
ときどき、鼻が異常にでかい人もいる。
(そういう人は、顔自体がでかい。)

犬種が日本犬とは違う、という感じだろうか。
本物のイヌは、日本と何ら変わらず可愛かったけれど。

ハイウェイでは犬たちが、左側の対向レーンを
わっしゃわっしゃと大勢で駆けぬけていく。

ただ3、4日もすると
そんな顔のちがいも気にならなくなった。
むしろ、どこに違和感を覚えていたのか
思い出せなくなったほどだった。


そして斜光だ。

午前中は黄色を帯びた
午後はやや朱色を帯びた
ひどい斜光。

空はデフォルトで快晴。
それなのに斜光のせいで
ほとんど一日じゅう、若干の黄昏気分をどこかに漂わせている。

斜光を浴びる住宅地。
映画で見たような
道路から地つづきの芝生の庭、そして平屋の家。
家と家、家と道をへだてる塀も柵もない。

今日も、明日も、一ヶ月後も、
考えるまでもなく、晴。
という世界は
「今日の天気」が毎日変わる世界とは
暮らす人間の心もずいぶん変わってくるだろう。
そんなことを思った。


しかし
日本と違っていたのはそこまでだった。


無機質で、無個性な
巨大ショッピングモール(ショッピングビル)、

街路樹に
豆電球がちりばめられた
クリーンなショッピングストリート、

ロードサイドのメガストア、

(アメリカ人も、テレビで見たインド人のように
「買い物しているときがいちばん幸せ」とか思うのだろうか)

おびただしい広告看板からの無節操なメッセージ、

時々目にする
マンションやなんかの意匠が
超簡素化されたヨーロッパ風デコレーション、日本にもある手合いの
なんちゃって○○風デザイン、
(建築学的には、こういうのをキッチュというのだろう
南伸坊的にいえば、ズサン)

人工的な清潔感と
利己的な競争原理、

それらすべてのことを言い当てて、
「つまりは、合理的。」と、だれかが言ってた。


日本の街並みの
無節操さは、
アジア由来だと、
なんとなく勝手に思い込んでいたけど、

そうか、そうだよな。アメリカ直輸入だったんだ。


町では
日本風コンビニ「Famima!」を、いくつも見かけた。
ちょっとしたブームみたいだ。

MOCAのアンテナショップでは、
当然というように、奈良サンTシャツも人形も売っていた。

本屋では、少年ジャンプ英語版が平積みされ
3Dソフトで美少女をつくるパソコン誌が面差しされていた。


夜、ホテルの裏窓からみた
何の変哲もない通り。
空き家になった何かのストアだろうか、
異様に四角いコンクリートの平屋。

夢、とか、憧れ、とかの言葉が似合う眺めではなかった。

ロバート・フランクや、
ヴェンダースに見せてもらったアメリカは
かっこいい荒涼と虚無と哀愁」なのかと思ってた。

ちがってた。

「ほんとうの荒涼と虚無と哀愁」だった。

この国で
英語を操って仕事をしているフリーランスの日本人たちの
充実感と孤独感と
日々を想った。


9日めに、はじめて海を見た。

海では、タバコを吸ってもビールを飲んでもいけない。
犬の散歩をしてもいけない。

そのため、人もあまりいない。

茫漠とした砂丘のような
黄色い砂のエリアのむこうに、西海岸の波打ち際があった。


投稿者 vacant : 2007年02月12日 09:05 | トラックバック
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