(つづき)
「ほんとうの荒涼と虚無と哀愁」って書いたが、
これはいったい何のことなのだろうか。
どういうことをさしているんだろう。
日本の地方都市で
ビジネスホテルの裏窓から外を見下ろしたとき、
涸れた日常の眺め
といったものを感じることがある。
あきらめ、や、おざなり、といった人間たちの気持ちを
反映しているかのような町並み。
「ほんとうの荒涼と虚無と哀愁」というのは
こういうイメージをさしているのか。
いや、
それよりももうすこし、冷酷で、根本的で
鋭利で、救いがない匂いだった。
「あいつは変われないよ。残念だけど。」
そんなふうに突き放されたような、
あきらめと、孤独のような匂い。
ディスコミュニケーションの匂い。
そうかもしれない。
だから少し、息が詰まる感じ。
情で解決されないから、まじめに競争しなくちゃいけない感じ。
日本なら、
涸れた町並みも、赤瀬川原平の視線が救ってくれる。
仕事ができなくても、情状酌量が救ってくれる。
それがない感じ。
すこし息が詰まる匂い。
緑地のない都市のように。
そして退屈の匂い。
すべて満たされているが、何の拠り所もない。
飽和してグラスのふちから溢れつづけるような
何の変哲もない日々。
スチャダラパー的な、永遠につづく日常。
そんな、
日本の専売特許かと思ってた退屈の匂いを
かの地で嗅ぎ取ったような気がする。
それらすべての匂いがまざって
「ほんとうの荒涼と虚無と哀愁」の匂いになった。
・・・
ふうん。
おいおい、
そんなことに
いまさら気づいたなんて、どうかしてるんじゃないか。
アメリカ映画を見てごらんよ。ぜんぶその匂いでできてるじゃないか。
投稿者 vacant : 2007年02月13日 23:59 | トラックバック