(ひとつ前からのつづき)
そんなわけで、
「汚いけど、綺麗。」という、
赤瀬川原平的な意思は
多くの芸術作品のなかに
細胞のなかのミトコンドリアのように
共通して見られる要素である
ことがわかったのだが、
例としてあげた人々の人選が、
いまいちぬるかった。
ヴェンダースや
フィッツジェラルドどころじゃない
うってつけの人を忘れていた。
ベッヒャー夫妻ですよ。
現代における、「汚いけど、綺麗。」思想の
発見者にして
体現者。
・・・
なんて別に知り合いでもないんだけど。
そんな瑣末な話をしているあいだにも
春は着実に兆しているんだろうけど。
投稿者 vacant : 2007年03月08日 23:59 | トラックバック