池澤夏樹のメールマガジン 『異国の客』
その78より引用。
喩えてみれば、十五歳までは人生の質感は粘土だった。
まだ形はない。
手でひねればいくらでも変形する。
しかし一つのまとまったものとして、重さと体積のある塊として、自分の手の中にある。
それがそこにあることでとりあえずは安心していられた。
今の生活は仮のものだけれど、いずれは正式のものが送られてくる。
自分が何者かになることは決まっていて、今はまだそれが知らされていないだけ。
運命の台帳を信頼してただ待っていればいい。
しかし、十五歳を過ぎると、その信頼感が揺らぎはじめた。