(『街角の歌 365日短歌入門シリーズ1』黒瀬珂瀾著 ふらんす堂刊 より引用)
・・・
私には無限の時があるように思える帰りのプラットホーム 小笠原魔土
街の上のビル工事大き帆を張って船出に似たる轟きこもる 高安国世
店先に売れ残りたる寒鮒のうろこ乾きぬ町は風の日 岩波香代子
曇りぞらおほにし垂りて陸橋のうえなるわれは独り笑いす 阿木津英
繁栄のこの夜を熱き涙もて思ひ出す日の来たるかならず 林和清
どちらにもほんとのことは言えないでマツモトキヨシで口紅を買う 岡崎裕美子
暁近く砲工廠の音やみぬ疲れてわれは煙草を吸うも 島木赤彦
東口バスターミナルでキスをして別れるために出会ったふたり 佐藤真由美
駐車場に自動車憩ひそのなかに人のをらざる空憩ひをり 大松達知
「手づくり」のクッキー店とふ不自然が眼にちらつきて歩む街なり 林悠子
子を抱いて歩くこの道ぜったいに触れることないノブばかりある 江戸雪
アルカイダ・アカルイハダカ・千代田區の東京驛が夷艦に視えて 佐々木六戈
セブンティーン愛機を降りてけふの日の澁谷の街の若きに雜じれ 佐々木六戈
水族館にタカアシガニを見てゐしはいつか誰かの子を生む器 坂井修一
西新宿三角ビルの入り口まで二足歩行を疑わず来ぬ 今井恵子
駅前でティッシュを配る人にまた御辞儀をしたよそのシステムに 中澤系
油槽車の大き胴体が町角をじりじりと曲るときに醜し 真鍋美恵子
あり得ざることのごとくに高速路を霊柩車ひとと輝きてゆく 長澤一作
革命を思ひしことさへ遠きゆめカルチュアスクールに読む伊勢物語 秋山佐和子
土に伏して抗ふ者を拉ぎたる空港を軽々と若者ら発つ 沢口芙美
遠くにて消防車あつまりゆく響き寂しき夜の音と思ひき 尾崎左永子
つぎつぎに匂ひことなるなか歩む果実店薬局木材店のまへ 尾崎左永子
ブティックのビラ配りにも飽きている午後 故郷から千キロの夏 早坂類
成増駅前大沢洋品店の看板に男と女がいつから暮らす 高瀬一誌
モナリザを見てかへりくる夕まぐれ給水塔もすぐれて高し 生方たつゑ
扉の奥にうつくしき妻ひとりづつ蔵はれて医師公舎の昼闌け 栗木京子
ブラインド下りたる昼の図書館を浸す水中のやうなる時間 横山未来子
大丸で襟も買いましよ菊も看やう誰が見るやら薄化粧して 青山霞村
黒いシートに包まれたのは何だろうミナミアオヤマ戦場になれ 加藤治郎
紺地にしろき「塩」の看板浜風に揺るる路地ゆく朝ごとにして 上村典子
池尻のスターバックスのテラスにひとり・ひとりの小雨決行 斉藤斎藤
西口も東口もなき宮崎駅人ことごとく一方に出づ 伊藤一彦
事務室の高き窓よりビルデイングの日のあたる面と暗き面見ゆ 堀内通孝
あつきキッス欲りゐる街にあつきキッス売る店舗なくて秋の人妻 新井貞子
あめのひの柳の糸のあさみどり日本人団体旅行者のバス 紀野恵
高く高く偏西風帯笑うとき障害物競走してをり吾子と 川野里子
ひとつ〳〵街燈を消してゆく消燈夫の暗き背をみたり旅館の窓べ 前田夕暮
そっと寄りそつて腋のしたへ無言のピストルをさし向けさうな男の間を通る 土岐善麿
テレビいろにいえいえのまどともりおるわれらひごとに汚辱を生きて 村木道彦
地下鉄の真上の肉屋の秤にて何時もかすかに揺れてゐるなり 寺山修司
丸き家三角の家など入りまじるむちやくちやの世が今に来るべし 前川佐美雄
明け方のガソリンスタンドたとうれば母胎のような明るさに浮く 河野小百合
トラックを恐れわが渡る長き橋自転車に幾組もやすやすと来る 柴生田稔
自転車は走りきたりて小雀町右折禁止を曲りてゆけり 小中英之
永遠を誓いし夜のくるしさにレインボーブリッジ遠花火見ゆ 有沢螢
高橋於伝の名を知る知らぬ三世代谷中の墓地を通りすぎたり 清水房雄
二晩の看病を終えゆうぐれの吉野家が宇宙ステーションに見ゆ 廣西昌也
反戦映画見し夕暮は敷石の一つ一つを踏みて帰りき 佐藤通雅
黄昏の電脳遊戯場エイリアン・ストームに撃つ敵とは誰ぞ 藤原龍一郎
ヒルム切れてうつろな闇に眼をつむりとぎれたるシーンを保ちつつ居る 小宮良太郎
花園神社、とひとこと言へば秋闌けてわれも赤毛になつたるやうな 水原紫苑
壊さるる路地裏の家いま茶の間剥き出しとなり木枯らし浴びる 小川太郎
宇宙ステーション増設されてゆく夜の路地に残った花火の匂い 天野慶
たしかならぬ道しるべ図が掲げある街角に来てふと笑いたり 斎藤史
七階からみおろす午後の がらくたの あのごみどもの 虫けら達の ああめちやめちやの東京の街 加藤克巳
・・・