モーリス・ルイス 「秘密の色層」
川村記念美術館
2008年09月13日 ~ 11月30日
■美術が体育でもあった頃
川村記念美術館はあなどれない。
自然に囲まれしばしば気になる現代美術展をやる美術館として、
前から気にはなっていながら今日まで行く機会がなかった。
それが、中高時代に美術の教科書のなかで出会った
モーリス・ルイスの展覧会をやっていると知って、
はじめて佐倉の地を訪れた。
駅からの無料送迎バスの車窓には、
都心から1時間とは思えない
黄金色の田園風景が秋晴れの日射しに輝いている。
バスに揺られること30分、
敷地は思っていたよりもずっと広大で、
黄に色づいた雑木林に囲まれるように噴水のある広い池、そして美術館。
無垢でありながら洗練されている。
・・・
モーリス・ルイスの展示点数は16点ときいていたので、
小規模な展覧会なのかなと思っていたのだが、
結果的には見応え充分であった。
最初の展示室は、『ヴェール』のシリーズ。
その名の通り、舞台のビロードのどん帳のようにも見えるし
天蓋付きベッドのカーテンのようにも見える。
フットライトで下から放射された光の帯のようにも見える。
巨大な6つのタブローに囲まれて、
中央のソファでぼんやり眺めていると
展示室内のほの暗さも手伝って、
夢か映画かなにかの世界のなかで、夢に落ちて行くような気分になる。
私のなかのモーリス・ルイスのイメージは、
もっと鮮やかな色合いだった。
水彩のように淡い絵の具で描かれた
カラフルな何本もの縦のストライプ。
この記憶は、
中学か高校の美術の教科書で見た作品でありかつ、
この数年以内に何かの展覧会で1枚だけ目にしたタブロー。
それなのに、この『ヴェール』のシリーズは総じて、
濁った中間色というか、
絵の具を混ぜすぎてできたような暗い色で
私が期待するモーリス・ルイスとは
すこし勝手が違っていた。
しかし、見ているうちに、
まわりを霧につつまれていくかのように
作品に、つつまれていく。
ふたつめのシリーズは、『アンファールド』。
カンヴァスの中央は、ほぼすべて余白。
両端に、飾りのように、鮮やかな絵具を流したストライプの流れ。
・・・
『ヴェール』は、1954年、そして1958-59年に制作。
『アンファールド』は、1960-61年に制作。
あの頃、美術は、体育だった。
カラダを動かして、汗をかき、タブローに体当たりしながら、
見るものにフィジカルに訴える作品たち。
飛び出す絵本さながら、本当に見るものの目の前に飛び出してみせた、フランク・ステラ。
バーチャルなビデオアート時代から見れば、もはや郷愁をさそうような
手づくりのアナログ感。
青い塗料を塗った人間をカンバスにぶつけて描いた、イブ・クライン。
タブローの平面という限界をなんとか超えてやろうともがいた
ジャスパー・ジョーンズ、
ジム・ダイン、
ロバート・ラウシェンバーグ、
ジェームス・ローゼンクイスト。
そして、美術はカラダの運動だと示した第一人者、
ジャクソン・ポロック。
だれの、どの作品も、葛藤したように、塗りたくられ、混ぜられ、濁った色合いに、
現代美術の思春期を見るようだ。
カラダだけが急激に成長していくことへの、戸惑いのような作品たち。
・・・
モーリス・ルイスも同じだ。
そのタブローの前で、
“環境”をつくりだしてやろうと
カラダを動かす
作者の姿が浮かんで見えてくる。
タブローを通して、
うっすらと、体温が放出されている。
・・・
川村記念美術館はあなどれない。
企画展のあとそのまま常設展を見た。
私が中学生の頃から気にしていた
異端の現代美術画家、ヴォルスの作品が
いくつも展示されているではないか。
ただ、
現代美術の思春期がやがておわっていったように
私のなかの思春期もいつのまにかうっすらと消えてしまっていた。
ヴォルスを見て、
あらためてそんなことに気づかされた。
投稿者 vacant : 2008年11月23日 02:26 | トラックバック