『酒呑みの自己弁護』山口瞳(ちくま文庫) より引用
真面目な話(補遣)
私は酒場が好きである。それも小さな酒場が好きだ。一杯呑み屋も好きだ。だいたい、そういうものがなければ、小粋なフランス映画も、久保田万太郎さんや川口松太郎さんの芝居も成立しないのである。そういうもののない人生なんて、とうてい私には考えられない。
小粋な酒場をつくるために、私が努力をしなかったということはない。
昭和三十年代のはじめに、トリスバー・サントリーバー・ブームというものがあった。私はそのお先棒をかついだ一人である。
トリスバーとサントリーバーの第一条件は、女のいないバーということであった。女がいても席につかないバーという規約があった。
そういうバーを、当時私が勤務していた洋酒の寿屋は応援したのである。清潔なバーを育て、優秀なバーテンダーをつくるために、会社も力をつくし、私も必死になって働いた。そうして、大いに成功し、一時代を画し、トリス文化が囁かれるようににさえなった。
いまは昔日の勢いはない。
どうしてそうなったのか。バーテンダーがいなくなったのである。
むかし、小さな酒場がバーテンダーを募集すると、二百人とか三百人とかの若者が押しかけてきたのである。当時、バーテンダーは憧れの職業であり、大学を中退してバーテンダーになる人も多かった。いまは、新聞広告をだしても二人か三人という程度だろう。その原因は、どの業界にも通ずる人手不足のためである。
では、私たちの育てた優秀なバーテンダーはどこへいったのだろうか。
トリスバー・ブームのあとにホテル・ブームが続く。すぐれたバーテンダーはホテルの酒場に引き抜かれたのである。あるいは郷里に帰って自分で開業した。いまは案外に中小都市にいい酒場が残っている。
女がいなくて、バーテンダーの質が落ちれば、その酒場はうまくいかない。従って、女を置くか、スナックやお茶漬屋に転業するかのいずれかとなる。
まことに残念な状況となった。
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この項の最初に書いたように、私は、いまの若者を理解することが出来ないが、彼等を信ずるのは、ただ一点、私たちの世代の者のような馬鹿な酒の飲み方をしないということである。
彼等は、酒場に置ける疑似恋愛なんかは、チャンチャラオカシク思い、鼻の先で笑うだろう。その点は非常にたのもしい。小学校以来、男女共学で育ち、もちろん赤線をしらずという男たちは、女に対する理解度がまるで違う。
彼等が、青年紳士、中年紳士になったとき、もう一度、小粋な酒場が復活するのではあるまいか。すくなくとも、酒場へ行って、女給にさわらなければ損、抱かなければ損というような考えをもつことはないだろう。これは私だけでなく、心ある酒場経営者の見通しでもある。
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最後に、私の好きな酒場を銀座で一軒、新宿で一軒だけあげておこう。
銀座では、帝国ホテル裏のガードを越したところの「クール」。緑の丸い看板が出ている。説明は不用。まあ行ってごらんなさい。
新宿では、区役所裏の「いないいないばあ」。小さい店であるが、グラス類も上等で、凝ったカクテルをオーダーしても大丈夫。パンも最高級品を置いているから、サンドイッチもうまい。
「クール」の古川さんも、「いないいないばあ」の末武さんも、強情っぱりで頑張っている感じが何よりも有難い。