「もともと脳は、なるべくエネルギーをかけないように行動を決めていると僕は考えていて、それを『脳における認知コスト』と言っています。
毎日同じことを繰り返していたら脳は何も考えなくていい。そうすると、脳はそっちを選ぶわけです。支払うべき『認知コスト』が低いから、新しいことをやらなければいけないときは、自分も考えなきゃいけないし、周りの人も説得しなきゃいけないから、ものすごく大変で、脳はその分よけいにエネルギーを使わなければいけないので嫌がる。自分が考えなくてもすむシステムを社会がつくっているほうが脳にとってはうれしいのです。
たとえばヒトの脳はチンパンジーの脳に比べて容積は4倍近くもあるのに、脳血流は2倍弱しかない。つまり、ヒトの脳内のエネルギー需給バランスは他の動物と比べても過酷なのです。脳に栄養が足りないのだから、効率化を進めないとうまく働かない。
僕は、昔から自分も含めてヒトっていうのは、どうしてもこんなに楽ばかりしたがるのだろうと思っていました。しかし、血流の噺を聞いて得心したのです。いつもお腹の減っている脳が、常に最も効率のいい方法を選ぶのは当然じゃないかと。
脳内の処理速度を良くするシステムとして、考えなくてもオートマティックにできるシステムを発達させない限り、ヒトは一歩も歩けない。これは、ロボットや人工知能のフレーム問題として顕在化している問題です。
一方、脳が支払わなければいけないエネルギーのコストという視点で考えると、『社会性』は一人一人の脳が支払わなければいけないコストを下げてくれるというメリットがあります。それは、ルールがわたしたちの考える手間を省いてくれるからです。さらにそれを集団に拡張すれば、社会全体が払うべき認知コストが下がるということになります。それは社会にとって望ましいことに違いありません。
何をやっても良いという、自由になったときって以外と一番困るじゃないですか。何をしていいかわからない。そこに社会が『君は今これをやればいいんだよ』『こう振る舞えばいいんだよ』ということを言ってくれると脳にとっては認知コスト的にうれしいわけです。自由度が上がるということは、ものすごく何か価値のあることのように思われるけれども、実は脳にとってはすごく負担になることだということを覚えておいた方がいいですね。」
藤井直敬「脳科学からみたモノづくりの社会性」より
『広告』vol.381 2010年4月号 所収