読売新聞2012年9月23日(日)朝刊 書評欄より引用
『政党支配の終焉』 マウロ・カリーゼ著
評・細谷雄一(国際政治学者・慶応大教授)
日伊の近似した道のり
まるで鏡を見ているかのようだ。冷戦後のイタリアの政党政治で起こった変化は、日本でのそれと符合している。双子のようだ。
冷戦構造のなかで、イタリアでは中道右派のキリスト教民主党による長期政権が続いた。ところが冷戦が終わるとこの政党は、日本の自民党の退潮と符合するように、勢いを失っていった。1990年代のイタリアでは小選挙区制が導入され、イギリスのウェストミンスター・モデルの二大政党制が目指された。まさに、日本と近似した道のりを歩んだ。
本書の著者、マウロ・カリーゼは、イタリアを代表する政治学者であり、政党研究の権威でもある。90年代には、「オリーブの木」による左派連立政権成立に際するブレーンともなっていた。このカリーゼが本書で検討しているのは、全ての主要な民主主義国で進展している、政治家の「人格」が表出される「大統領制化」であり、首相権力の強化、すなわち政党の「人格化(パーソナリゼーション)」である。
もはや、合理性に基づいた近代的組織としての政党は解体した。政党は、指導者個人のためのパーソナルな機関となってしまった。それは、ベルルスコーニ元首相の「フォルツァ・イタリア」であり、最近の日本では橋下徹大阪市長の「日本維新の会」もそれに含まれるだろう。著者の比喩を用いれば、イタリアの政党は「粘土の足をもつ巨人」に成り下がってしまったのだ。なんとも弱々しい。そして、「イデオロギー」ではなく、「個別主義的な利益」がいまの指導者と支持者の紐帯となっているのだ。
著者のカリーゼは、まるで死体解剖をするように、イタリアにおける「恐竜」としての大政党の衰退を冷徹に分析している。その隙間に、ベルルスコーニのような新しいタイプの指導者と政党が登場した。民主主義はどこに行くのか。政党支配の衰退は、あらゆる民主主義国の抱える問題といえる。日本もまた、その問題を克服しなければならない。村上信一郎訳。
◇Mauro Calise=1951年生まれ。ナポリ・フェデリーコ二世大学教授。
法政大学出版局 3000円