8月が終わって、
9月1日に
玄関のドアをあけると、
外の空気のなかに
わずかに秋の風を感じる。
夜、電車の熱気でほてった身体を
風呂場で冷やしたあと、
浴びる湯の熱さに喜びを感じるようになる。
Shadows on the ground
Parspective
Key
Cue
Kai-Koh
などの曲があたまのなかで鳴り始める。
Ongaku
の前奏と間奏が沁みてくる。
「AFTER SERVICE」(MHCL-213 )の
Fire cracker
を聴いて何かを思い出していた自分のことを
思い出している。
寝る前に
長袖と長ズボンをはくことに
喜びをおぼえた。
そんな記憶が
燈が灯るように、ぼんやりと浮かんでくる。
9月24日(土)ハナレグミ フリーライブ“hana-uta festival”
於:小金井公園
日比谷野音では、太陽が傾いて月が出て風が心地良かった。
今回は入場料無料のフリーライブ(どこからお金が出ているのでしょう??)。
台風17号迫る雨天のなか小金井公園に集まった大観衆と一緒に
永積タカシ君は舞台上から記念撮影していた。(おじいちゃんに報告するために。)
感極まったタカシ君の「忘れらんねーなーっ」の一言が忘れらんない。
一夜明けて、SBDのライブアルバム『ラ』(TOCT-24802)を聴く。
「メロディーの毛布にくるまって」「Yo!兄弟」「アサガオ記念日」・・・。
今のハナレグミみたいな感じで、再開したSBDを見てみたい。
京都東ICに乗ったのは、午後2時過ぎのことだった。
南中をわずかに過ぎたばかりの日差しに見えるのに、
車の時計が「4:50」と表示していたので
一瞬ぎくりとする。
なんだ、狂ってるんだ。
オゾン層も無いような9月初頭の古都の空。
外を歩けばすぐに日光に刺されてしまう。
これから首都まで何キロあるのだろう。
(477.6kmだ。)
しばらくは無音で
おとなしく左端を走っていよう。
だが
すぐに、
手持ちぶさたを引き延ばして耐えてみる遊戯にも飽き、
1枚目「who said "La La..."?」wyolicaを、取り出した
(ESCB-2074)。
これからの400kmのあいだに、
1990年代の終りへ一人旅することにきめたのだ。
どこまでも直線が続く米原辺りも過ぎ、
やがて強い日射しは傾きはじめる。
9曲目are you missin' me?、10曲目渚。
養老か一宮で休んだ。
焼けた塗装に
淡く西日が照りつけている。
気を取り直して
本線に合流。
2枚目「MOMENTS」MOOMIN(ESCB-2010)。
いつもの高速道なら、
不貞腐れたくなるほど
哀しいオレンジ色に染まる陽射しが、
今日はなぜか
薄らとピンク色を孕んでいて
悲しくない。
むしろ美しい。
8曲目雨のウェンズデイ、9曲目RIDE ON。
以前から、
120kmを超えるとバッテリー警告音が鳴るんだよねぇ。
たしか上郷と、
牧ノ原で休み、また富士川でも休んだ。
日は暮れ、闇の中を
恐る恐る、猛スピードで走り続けている。
3枚目「The Very Best of ORIGINAL LOVE」(TOCT-8880)。
10曲目サンシャイン・ロマンス、11曲目ヴィーナス。
1990年代への旅は、
いつのまにかようやく終わろうとしていた。
高速の闇のなかに、
川勝正幸のライナーノーツと
「ポップ中毒者の手記」と
さまざまな記憶が、浮かんでは消えた。
海老名で休み、首都高に突入すると
3号はどこまでも夜間工事中だった。
81.3MZに切換えると
2005年の闇夜に
沖野修也と高城剛の声が
流れていた。
約1時間後
ようやく彼女に会うことができた。
あらゆる多様な価値観がミックスする東南アジアは世界のバックパッカーにとって、まさにメインフィールドのような存在であり続けている。彼らは旅することで価値観と情報、経験則のシャッフルを引き起こし、そこから生まれる何かを見出そうとしている。
しかし、バックパッカーの生態はIT化が進む世界の中で猛スピードで変容してきた。筆者自身も5年前から旅先で日記を書き、なるべく頻繁にそれを旅先からWEBに更新して、不特定多数の読者と感じたことを共有しているのだが、多くの人々がそうした生活の中に身を置いている。
試みにYahoo!の「リアルタイム旅行記」を見て欲しい。いかに夥しい数の旅人が足で地をまたぎ、頭脳はオンライン上に結びついてうごめいているか、確認できるだろう。バックパッカーは観光地や大きな街に着けばまず、インターネットカフェを探す。誰もが当たり前のようにHotmailのメールアドレスを持っていて、インターネットカフェでは多くの国籍のバックパッカーが自国のニュースを瞬時に見て、自前のBBSで道中を不特定多数の読者に報告する。
(中略)
ユビキタスとは、簡単にいえばいつでもどこでもネットワークだ。不特定多数とネットワークを共有し、いつでもどこでも必要な情報を引き出し、ネットワークの向こう側にいる誰かとコミュニケーションをとることができる。つまり、ユビキタス・ネットワーク社会とは、バックパッキング的なライフスタイルに自由を与えるだけでなく、むしろ積極的に推奨する世界観だとも言えるだろう。プロバイダからもらったアドレスのメールも旅先のPCで普通に見ることができるはずなのに、なぜかバックパッカーは猫も杓子も、ついHotmailを利用しているのも面白い。これを見る限り、Hotmailの概念そのものがビートであり、そのプログラム仕様書が現代版ジャック・ケルアックの『路上』なのかも知れないと思う。
ユビキタスの説明をしているのに、バックパッキングへと戻り着いたのは偶然ではない。所有することに捕らわれず、場所に固執せず、どこでもいつでもという考え方において、ユビキタス思想とバックパッキング思想は実は時代を越えて共鳴していたのだ。
(後略)
(『STUDIO VOICE』2003年9月号 山谷剛史「バックパッカーとユビキタス」より)
「そもそも思考とは何でしょう?理論的には、思考とは一連のニューロンの活動であり、視覚を必ずしも伴わない『心像』と呼ばれるものをさします。思考は最初、意識されることなく生じ、私たちの行動に影響を及ぼし続けることがあるにもかかわらず、そのほとんどは潜在意識に留まります。私たちは時折、自分が思考を抱いていることに気づき、それを自覚して意識することこそあるものの、それでも思考が生み出されるに至るまでの、一連の流れを正確に理解しているわけではないのです。」
(『広告』2005年6-9合併号 ジェラルド・ザルトマン インタビュー「脳がそれを欲しがっている」より)