2005年11月30日

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11月13日(日)

「横浜トリエンナーレ2005 アートサーカス[日常からの跳躍]」
2005年9月28日(水)〜12月18日(日)
会場:横浜市山下ふ頭3号4号上屋ほか

3年に一度という意味の「トリエンナーレ」。
2001年に続く第2回めの開催である。

前回、パシフィコ横浜と赤レンガ倉庫を会場に開かれた
第1回めのトリエンナーレ
あまりにもエキサイティングだったため、
今回は開催前から、前回のような興奮が得られることを期待しつつ、
反面、前回とはどうやら趣きが違うらしいぞ、と
ホームページを見ながらなんとなく心配に思っていた。

「前回とは違うものを」
という思いは、主催者側にも強くあったのだろう。
キュレーターは、現役作家でもある川俣正氏。
川俣氏は、
「キュレーターにはできない、
アーチストがキュレーティングするトリエンナーレを打ち出したかった」
とNHK新日曜美術館で語っていた。

巨大な倉庫の会場に入ると、
中は猥雑な雰囲気。
サブタイトルの「アートサーカス」のとおりだ。

会場内を練り歩くパフォーマンスや
音楽パフォーマンスが多いのも
「サーカス」的な狙いなのだろう。

展示方法は雑然とした感じで
出品作家や出品作品も、なんとなくマイナー感やアジア感が漂う。
大衆的で、見世物的、興行的な作品が
多いように思えた。

展示中、印象に残ったのは、

堀尾貞治+現代芸術集団「空気」の「百均アート」。
バラック小屋のような巨大自販機に百円玉を入れると、
中でアートを制作し、取り出し口から出てくるというもの。
「正しい絵画」と「マネシン絵画」を買いました。

黒田晃弘の似顔絵描き。
期間中、希望者の似顔絵を描き続ける。
抽選のとき、黒田さんと激しく目が合ったけどハズレました。

安部泰輔の作品。タイトルは「毎日森」。
大きな樹を模した柱に、洗濯バサミハンガーで吊り下げられたぬいぐるみは、
古着を使って作家が毎日制作しているもの。
気に入ったぬいぐるみは一体1000円で連れて帰れる。
(目が合ったので連れて帰りました。)

西野達郎の「ヴィラ會芳亭」。
ケルンで行なわれた「教会の尖塔についた飾りが取り込まれた部屋」の
インスタレーションはスゲーッ!この人、今後も要注目。
「ヴィラ會芳亭」には泊まりたかった(涙)。。。

ソイ・プロジェクト(タイ)の部屋で流れてた渋谷系みたいな
ブリット風タイ・ロックに、なぜかキュンときた。(なんてアーチスト?)
小山田圭吾のライブも見たかったな。。。

米田知子の神戸震災後の写真。

などなど。

個人的には、
どうしても前回のトリエンナーレの思い出が甦ってしまい、
(それからなぜか2002年の「JAM展」の思い出が。)
それらとの比較から抜け出せず、全体的に辛口の採点をしたくなった。

◎前回のトリエンナーレのように、
今後も継続して追いかけたいと思わせるアーチストには
出会えなかった。
※前回の、ドミニク・ゴンザレス=フェルステル、束芋、蔡國強、やなぎみわ、折元立身、etc.etc...

◎展示方法が、効果的と思えなかった。
今回、PR活動が奏功したのか、家族連れも多かったのだが
展示を見るために遊園地のように並びながら、ずばり
「なんだか、周りに目を向けたくなるものもなく、退屈だな〜」と
思った。展覧会の会場なのに!

並べ方がなんだか雑然と適当で、
作品にとってベストな場所なのか、なんて思う場面が多かった。

前回は、たとえ同じような内容のビデオインスタレーションでも
それぞれの作品によって、まったく違う「場」が提供されていた。
難解でダウナーなビデオインスタレーションでも、
腰かけるなり、音が遮断されているなり、集中して見ることができた。

◎いま改めて、2001年トリエンナーレのホームページを見て、
単純にそのスケールのでかさも思い出した。
塩田千春の、
「泥で染めた長さ数メートルのドレスを水のシャワーで洗い流すインスタレーション」や
椿 昇+室井 尚の、
グランドインターコンチネンタルホテルの壁面に巨大バッタが張り付いている「インセクト・ワールド、飛蝗」。

・・・

書き連ねても、しみったれるだけである。
自分がセコい人間に思えてくる。

そもそも、コンセプトが違うのだ。
前回は
草間弥生、杉本博司、オノヨーコなどなどを擁し、
海外の作品も基本ハイブローでややスタティックな雰囲気。
そのなかに、スパイス的に会田誠や都築響一、
または東南アジアンな作品が散りばめられている感じ。

今回は
混沌とお祭り。村人たちが家族連れでやってくる
五穀豊穣の村祭り。
あるいは、浴衣姿で射的をひやかす温泉場。
はたまた、だれもが参加できる学園祭の前夜祭・・・
・・・そう、やっぱり「サーカス」なんですね。。。


川俣氏の語っていた
「キュレーターにはできないこと」は、それはそれで楽しかったのだ。
そして、第2回にふさわしいものだったのかもしれない。

・・・でも、逆に、
「キュレーターにしかできないこと」ってあるんだなぁ、と改めて感じた。

なんて言ったら
あまりにも皮肉で乱暴な意見だろうか。

2005年11月09日

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平日の午前中、
快晴の東京都現代美術館。
「イサム・ノグチ展」9/16(金)~11/27(日)

写真は、遊具「オクテトラ(Octetra)」。

会場には、
時代の変遷と共に、さまざまな素材の抽象作品が展示されている。

グアッシュの抽象画に始まり、

師ブランクーシに倣ったような真鍮の抽象彫刻、

縞めのう大理石

鉄板を折り曲げたような作品は、ブロンズ製だ。

有名な「あかり」シリーズは、和紙

しかし、
中でも心動かされたのは、岩石を使った作品群だった。

「この場所(This Place)」1968 黒花崗岩
「オリジン(Origin)」1968 アフリカ産黒花崗岩
「エイジ(Age)」1981 玄武岩
「砥石(Whetstone)」1974 花崗岩、木

黒い石。
その一部分は、徹底的に磨かれ、つるつるになっている。
その他の部分は、いま山から掘り起こされたかのように
ごつごつ、ざらざらと、凸凹としたテクスチャを持っている。
(このテクスチャも後から加工されたものだろうが、とても自然に感じる。)

そのつるつるとざらざらのコントラストが、
見るものの触覚をやけに刺激するのだ。

(これも一種の共感覚というのだろうか。)

美術館の監視員がいなければ、心ゆくまで撫でまわしていたことだろう。

本展覧会の目玉「エナジー・ヴォイド(Energy Void)」1971-72も、
スウェーデン産花崗岩でできている。


以前、直島へ行った帰途、
香川県のイサム・ノグチ庭園美術館へ足を向けたことがある。

そのときは、事前予約制とは知らず、
結局入ることはできなかった。

今回出品されている石の彫刻群は、
すべてニューヨークのノグチ・ミュージアム所蔵とのことで、
香川の美術館のものは無かった。

香川の美術館は、まさに晩年の石の彫刻ばかりを
展示したものと聞く。

次に直島へ行くときには、必ず予約をして行こう。