2006年03月29日

「物心ついたときには満開の桜のように頭上に民主主義の虹がかかっていた世代の男一人、四十も半ばを迎えて、人生の初っ端から騙されてきたという積年の思いに、いくらか焦りが伴うようになってきたということだ。」

「過去の例を見ても、とくに企業恐喝の場合、警察が発表しない限り、関係者の動きはほぼ100パーセント、闇の中になる。
 それは十分納得しながら、根来はひとり、事件の隅の隅のまた隅にちらつくタレ込み屋や、株屋や暴力団の姿をあらためて思い、今度もまた、そうした地下にうごめく影の方は遠からずあいまいになっていくのを予感した。それはそれでよかった。この国の上から下まで、どこをめくっても出てくる地下茎の一つなどどうでもいいが、現にちらちらしている異物について、とりあえずそれが何であるかを知る役目は、誰が負う?
 戸田とやらを探せと部長は言う。戸田に連なって菊池武史の名が出てきたら、今度は菊池のウラを取り、GSCグループの動きを探り、誠和会から岡田経友会へ、政治家へと探りを入れていくことになる。そうして異物の正体を知っていく自動運動を支えているのは、書けないけども知っておかなければという、新聞の奇妙な使命感だったが、その役回りを引き受けるのは、当然のことながら、日々の紙面を飾るネタを求めて奔走している第一線の記者ではあり得なかった。」

 「誰も飢えていないところへ流れるニュースに、痛みは伴わない。旗を振るような人類共通の関心事などこの世にはなく、全人類を包括するような万能の思想も体制もない。あるのは、人間の小さな群れとそれぞれの生活と、どうでもいいシステムと、物を作って消費する自動運動だけだ。そうして、地震のひと揺れで六千人が死んだ日も、地下鉄に撒かれた毒ガスで五千人が死傷した日も、この多摩堤はジョギングやテニスを楽しむ人で溢れていたのだが、この穏やかな無意識に自らを沈めるなと言うならば、一人一人の個人はかなり孤独な精神のひとり相撲を強いられる。」

(高村薫 『レディ・ジョーカー(上)』 毎日新聞社 ISBN: 4620105791  より)


引き続き、下巻へ。

『ウェブ進化論』(梅田望夫 ちくま新書)と同時進行。

2006年03月21日

「――辛い話ですね。
『本当にねえ。日本には昔――昔っていったって、百年も前のことじゃないですよ――女や子供がそんなふうに扱われる時代があったんですよね』」

「そういう自分本位の人間は確実に増えていると、葛西美枝子は言う。
『今の若い人なんて、みんな八代祐司の素因を持っているんですよ。親のことだって、便利な給料配達人と、住み込みのお手伝いさんぐらいにしか思ってないんだものね。若い人には、八代祐司の気持ち、判るんじゃないでしょうか』」

(宮部みゆき『理由』 朝日新聞社 ISBN4-02-257244-2)


藤原正彦先生が讃えた「日本」も、
生活の現場から見れば
美しいばかりじゃない。

過去にも、未来にも、ひそむ
日本の薄暗い陰。

・・・

ひょんなことから、生まれて初めて、宮部みゆきを読んだ。
まるで落ちている本を拾ったに近いような偶然で。

ずっと前から、この手の本
読もう読もうと思って、
ずっと読むきっかけがつかめずにいた。

この手の本とは、

今の日本の
本好きと呼ばれるフツーの人たちに
広く人気があって
直木賞を受賞してしまうような
ミステリー仕立てや
恋愛仕立ての
小説

のことです。

高村薫『マークスの山』は、平成3年の直木賞。
宮部みゆき『火車』が、平成4年の山本周五郎賞。

もう十年以上前から、
ひとびとはこの手の本に夢中になっていて、
私はこの手の本を読むきっかけを見つけられずにいた。

宮部みゆきも、高村薫も、東野圭吾も、桐野夏生も、
重松清も、角田光代も、江國香織も、
川上弘美も、唯川恵も、京極夏彦も、
石田衣良も、阿部和重も、

私はいまだ、一冊たりとも読んだことはない・・・。


新しい小説との最後の出会いは
もう十五年くらい前に、池澤夏樹を発見したことで終わっていた。

そこから何の進化もとげていない。

吉本ばななと格闘するも女の感性を受けつけられず挫折したり、

『風の歌を聴け』の出だし2行がトラウマになって挫折したり、
(後に『羊をめぐる冒険」』『世界の終わり~』は読了。)

読まないと社会化できないのでは、と強迫観念にさいなまれながら、
出来がいいのかわるいのかよくわからないエッセイ以外は
ついに一冊の小説も読んだことがない村上龍とか、

高橋源一郎も、島田雅彦も、結局一冊も読んだことない。
平野啓一郎や中原昌也だって、読んだこともない。
町田康や吉田修一も、ほとんど読んだことはない。

じゃあ、私はいったい何を読んでいたのだろう。

どんな道をほっつき歩いてきたのだろう・・・。


『スティル・ライフ』で出会った池澤夏樹は、
同じ頃、同じように沖縄へと意識が向いたこともあって、
すべての著作を追いつづけた。

向井敏からは、『文章読本』で数々の本を手ほどきされた。

同じく、中村明(『名文』)や、阿部昭(『短編小説礼賛』)らからも
たくさんの小説を教えてもらった。

10歳で星新一に教えてもらったSFは、
J.G.バラードや、レイ・ブラッドベリとなり、
サキや、南米文学や、泉鏡花、都築道夫のなめくじ長屋捕物帳。

志賀直哉や梶井基次郎をしつこいほど読み返したり、

世の例に漏れず、司馬遼太郎にはまってみたり
松本清張の短編を集めたり。

永井荷風『濹東奇譚』や
内田百閒『東京日記』をいまさら発見して興奮したり、

その合間合間にいくつものエッセイやノンフィクションを・・・

・・・

いったい私の全読書人生を書ききれるはずなんてない。

何を書きはじめるつもりなのだ?

そう。

宮部みゆきである。

初めて読んだ。

びっくりした。

「ひとつのエレベーターの昇降ボタンを押せば、制御コンピュータの働きにより、いちばん近いところにいるエレベーターが反応して昇降してくる。都心のホテルやデパートなどでは当たり前の設備だが、大規模集合住宅で採用されているのはまだ珍しい。」(同上)

ノンフィクションの名手、海老沢泰久でも、本田靖春でも、伊佐千尋でも、こんな書き方をするだろうか。
エレベーターが下りてくる理由が「制御コンピュータの働きに」よることを、小説で語られるとは思わなかった。

感想。

哲学書より、純文学より、数千倍もためになる。

みなさん、この手の本を読んで、社会化しよう。


つぎは、
(『10年後の日本』文春新書 を読みさしながら)

高村薫『レディ・ジョーカー』を読みはじめている。

一橋文也がノンフィクションの筆で書いた世界を、
この手の本は、どう表現してくれるのか。

どう私を、社会化してくれるのか。


2006年03月08日

月曜日、『国家の品格』(藤原正彦著 新潮新書 ISBN: 4106101416)を読了。

全日本国民必読の書!

2006年03月03日

古代エジプトのアレキサンドリア図書館は、
人間のあらゆる知識を同時にひとつの場所に
集めようとした人類初の試みだった。
ではわたしたちの最新の試みはいったいなにか。
それは、グーグルだ
ブルースター・カール
デジタル図書館インターネットアーカイブの設立者


ひとは答えよりも、質問で判断する。
ボルテール


あらゆる摩擦抵抗のなかで、
人類の運動を最も遅らせているもの、それは無知である。
ニコラ・ステラ


広告は商いの心に大きく関わる。商いの世界を鼓舞し高めるという
重大な責任をあなたに負わせるのは、広告という、この強力なパワ
ーであり、それは人類の再生・救済という偉大な任務の一部となる。
カルビン・クーリッジ
広告業界へのメッセージ


神になりたければ、責任を引き受けろ。
クリストファー・エルクストン(英国人の俳優)
テレビドラマ「再臨」(2003)より


マーケティング予算—企業国家アメリカで、最後まで説明のつかない支出。
エリック・シュミット グーグルCEO


「それはいつまでも、おまえの記録に残るんだよ」
小学校の校長


強い力を持つものは、それを優しく使うべきだ。
セネカ


すべてのデータは集め終わり、もはや集めるものはなにもない。
しかし集めたデータの相互関係をすっかり明らかにし、
できる限り関係性に基づいて、整理しなければならなかった。
そのためには、果てしない時間がかかった。
そしてACは、いかにしてエントロピーの方向を
逆転できるかを知ることとなった。
アイザック・アシモフ『最後の疑問』

(『ザ・サーチ グーグルが世界を変えた』ジョン・バッテル著 中谷和男訳 日経BP社 ISBN: 4822244873  より)


この本のどこにも、はっきりとは書かれていないが、

私たちは、
世界の全ての知識を集結した「全知」の誕生に
生きているうちに立ち会えるのではないか。

そんなことが、この本全体からほのめかされているように感じた。

何を質問しても、必ず正解を答えてくれる。

そんなコンピューターに、人々が「真理」について質問するさま、
そしてそのコンピューターが人間を超越した存在として暴走するさまが
SFのように目に浮かんだ。

ビッグバン以来、すべてのものは拡散し、散らばりつづけていた。
物も、人も、情報も。
このエントロピーの法則の流れを、
真逆にねじ曲げ、全世界の知識をひとつに集結し、再統合しようとするもの。
それがグーグルなのかもしれない。


本書の最後に、さらりと書かれた
エピローグのこのくだりが、しばらく心に残った。

 わたしは「不滅」という文字をグーグルに打ち込み、「I'm Feeling Lucky」ボタンをクリックする。
(中略)
 そのページによれば、ギルガメシュは「人類の願望の不死へのあらわれ」と「嫌々ながらの有限性の受容」を物語っているという。「これこそ人類の永遠の試練である」と。
 ビンゴ!なぜか分からないが、それこそわたしが求めていたものだった。不滅のコンセプトを理解したいというわたしの漠然とした思いから、ギルガメシュの物語に導かれたのだった。
(中略)
粘土に刻まれて不滅となることは、ビットとなりウェブに移されて不滅となることは、果たしてなにを意味するのだろうか。
 これこそ、みなが憧れ、熱望することではないのか。

(同上)

2006年03月02日

近頃、何もしない時間って、あるんだろうか。

ひと昔前、何もせずに過ごしていた時間を、

いま、みんなは検索して過ごしているような気がする。

あの頃、日曜日の夕方、窓からの西日が部屋を染めるころ、

本当になにもすることがなかった。

FMラジオから流れる曲も、曲名を検索することはできなかったから、

1ヶ月も、1年も、3年も、わからないままだった。

いまでもわからないままの曲もある。

哀しいオレンジ色の室内に、不毛に散らかった曲が流れる。

オーネット・コールマンや、P.I.L.、あるときはサンディニスタ、
またあるときはザ・スミスなどなど。

このあいだ聞いたNUMBER GIRLもそんな音だった。

僕ではない、今のだれかが、部屋でなにもせずに、聴いているのだろうか。

・・・

「なにも起こらない」ストーリーを観てみたい。

小説でも、映画でもいい。

ただし、フランス人や、明治の日本人の話ではダメで、

今の、日本人の、若い人の、「なにも起こらない」ストーリーが観たい。

犯罪も、愛憎も、不登校すらいらない「なにも起こらない」ストーリー。

深夜、タクシーに乗るたびに、

車窓の流れを映像に記録しておきたくなる。

春の小雨、あるいは雨上がりの闇のなかに

あるビルでは人が働き、あるマンションは死んだように灯りも無い。

だれも覗くことの無い路地。半分消えたタワー。

高速道路で左側を滑るように追い抜いていく、

巨大なトラックのタイヤ。

・・・

「なにも起こらない」ストーリーの、断片だけは、今、

wwwの中に無数に散らばっている。

Technoratiの中に。(テクノラティプロフィール

いじめではなく、いじりを受けたが、夕飯は好物のものだった。とか、

今日友人が言っていた言葉への抽象的な反論。とか。

・・・

薄水色の夕方の空気。

下校中の子供たちの声や、

遠くを車が走り去る音が、湿り気を帯びて聞こえる。