2006年08月30日

ERNESTO NETO
エルネスト・ネト 展

小山登美夫ギャラリー2006年8月1日~26日
ギャラリー小柳2006年8月1日~31日
(同時開催)


■触る悦び

8月26日の土曜日は、
「エルネスト・ネト展」を見に
清澄と銀座の2つのギャラリーを巡った。

エルネスト・ネトのことは、
何も知らないで、見に行った。

エルネスト・ネトは、「触れるインスタレーション」である。

作品の多くは、
例えばこんな感じ。
メッシュカバーのような素材でできたフクロに
ごく小さな発泡スチロール玉がたくさん詰めこまれており、
それが、小さなサンドバックのように
天井から吊り下げられている。
ちょうどストッキングの足先のほうにだけスチロール玉が詰められて
天井からのびのびにぶら下がっている、そんな感じ。

状態としては、
これは、
まさに「そばがらのマクラ」!

それが、さわれる。

作品によっては、
スチロール玉の代わりに
まさにソバ殻や、ターメリク(?)やシナモンなどのスパイスが入っていたり、

スチロール玉の詰められ方も
固めの作品があったり、柔らかめのがあったりする。
(まさに、固めのマクラがお好みですか、柔らかめですか、って感じ。)

そのほか、
お尻に敷けるサブトン状の作品や、
まるで無印良品の「体にフィットするソファのように
全身をあずけられる作品、

お人形くらいのサイズで抽象的なカタチをした
ソバガラくん(?)たちもいる。
床がテンピュールでできた部屋ごとインスタレーションってのもあったな。

それらがすべて、
自由に触れるだなんて。
なんという悦び!!

・・・

ふだん美術館で作品を見ていて、
「さわれない」ということは、
実はとってもストレスなことである。

だって、見るだけしかできないんですよ。
いくらそれを凝視しても、
それを触ることはできないんですよ!

イサム・ノグチ展のときも、こんな風に書いた。

そのつるつるとざらざらのコントラストが、
見るものの触覚をやけに刺激するのだ。

(これも一種の「共感覚」というのだろうか。)

美術館の監視員がいなければ、心ゆくまで撫でまわしていたことだろう。

・・・

むかしある本に書いてあった。
(バークリだったかな。)
「見る」ことは、「触る」ことの代替だと。

野生動物は
とおくの獲物や天敵を見ることで、実際に押さえつけたり噛み付かれたりすることなく
その体験を予知することができ、
断崖絶壁の存在を、実際に落ちて体験することなく、(見るという代替体験をすることで)
断崖からの落下を回避できる。

まあ、そんな喩えを書かなくても、
たとえば
「なでまわすように見る」とか「視姦」とかのステキな日本語をみれば
一目瞭然なことですよね。

・・・

これが、ロダンの彫刻です。

これが、マチスの彫刻です。

ほほーぅ、なんて四方八方の角度から、ながめまわしたりするけれど、

本当は、さわりたいんですよ!!

だって、

たとえ、いま自分が美術館に居たって、

たとえ、ホンモノの彫刻作品に囲まれていたって、

たとえ、鼻先がついてしまいそうな距離まで近づいたって、

たとえ、1時間その作品を凝視したって、

さわれなければ、

パソコンのモニタで見てるのと

何が違うといえるだろう。

たとえ、いま自分が美術館にいるからといって、

それが「バーチャルな体験」ではないと、誰に証明できるだろう?

(ほんとうに、そう実感することがよくある。)

その作品が、本当に存在すると、誰に証明できるだろう?

その作品が、(例えば)ホログラムではないと、誰に証明できるだろう?

・・・

だから、

エルネスト・ネトさんはエライ!

というかキモチイイ。

尊敬します。

森のなかで、大きな樹木を見ると、つい、手を回して抱きしめてしまうように、

私はしばらくネトの作品に抱きついたままでいた。


(そういえば、
ギャラリー小柳で、数百万の作品、ひとつSOLD OUTになってたな。

私も、ほしい。)


2006年08月28日

この夏は、

縁あって、

日本映画ばかり観ている。

見た順に。

『チルソクの夏』(2003)佐々部清監督       ★★★

『ALWAYS 三丁目の夕日』(2005)山崎貴監督 ★★

『竜馬の妻とその夫と愛人』(2002)市川準監督  ★★

『トニー滝谷』(2004)市川準監督          ★★★

『阿弥陀堂だより』(2002)小泉堯史監督      ★★★

『有頂天ホテル』(2006)三谷幸喜監督       ★★

『みんなのいえ』(2001)三谷幸喜監督       ★★

『誰も知らない』(2004)是枝裕和監督       ★★★

『東京マリーゴールド』(2001)市川準監督     ★★

「チルソクの夏」と「阿弥陀堂だより」は、
衛星第2の放送をハードディスクレコーダーに
録ったきりになっていたのを、ようやく観た。

それ以外は、DVDを借りて観た。

どの映画もとても良かったし、
(なかでも★★★のものは、特に良かった。)
変な言い方だが、観た時間を後悔したものはなかった。
(古い話だが日本=クロアチア戦は、観た時間を後悔した。)


「共感」の勉強には、日本映画が、いちばんですね。


登場人物は、めったなことでは叫んだりしない。

四季が、いい演技をしている。

空も。

風も。

2006年08月25日

(つづき)

しかし、よく知りもしない他人様のことを
よくもまあここまで手前勝手に書き連ねられるもんだ。

厚顔無恥とはこの私のことだと思うよ。


を語る、ひとり相撲、つづく。


・・・

いま、Webのなかから、偶然に
ある文章を発掘した。
青森県立美術館が準備期間中に発行しつづけていた通信誌
『A-ism』のバックナンバーだ。

A-ism vol.6 esperanza エスペランサ
青森県立美術館に望む
第3回 奈良美智(美術家)

2002年8月4日、弘前から東京へ戻る列車のなかで読んだ
まさにその文章だ。

4年ぶりに
この文章を読んで、
私の「AtoZ」展に対する煩悶(?)は、答えを得られた気がした。

すでに2002年に、奈良さんがその答えを書いていたのだ。


【煩悶1】
「制作プロセス」や「生活プロセス(?)」を作品としてさらすのはなぜか。

【解1】
奈良さんは、
「作者のリアルな存在を感じてもらうこと」にこだわりたかったのだと思う。

どういうことか。

彼は、原体験として
絵の背後に作者の存在を感じとって激しく感動した経験があったのだ。
そのことが以下に述べられている。

「そこには小さな建物があって県内から出土した縄文式土器やなんかが展示されていた。(中略)
薄茶けた古代のかけらにそれを作ったであろう人という存在を想うという少しロマンチックな気持ちだった。」

「高校卒業後、上京して一人暮らしにも慣れたある日の午後、僕は上野公園にある西洋美術館で一枚の絵の前にずっとたたずんでいた。その絵はヴィンセント・ヴァン・ゴッホの油絵で、彼特有の生き生きとしたタッチと色で郵便配達夫が描かれていたのだけれど、僕をその絵の前に留まらせていたものは、色や構図が良いとかモチーフがどうとかそんな感慨とは違っていたと思う。それは絵の前に立った時の「まさにこの位置に画家が立っていたのだ!」という感動だったのだ。画家はここに絵筆とパレットを持って立ち、このキャンヴァスとその少し向こうで椅子に座ってポーズをとるモデルとを交互に見つめながら描いていたんだと思うと、その場所から動けなかったのだ。絵が掛けられた壁の向こうにポーズをとっている郵便配達夫が確かに居て、僕は彼までの距離すらはっきりと感じられるようで、その奇妙な感覚をずっと体験していたかったのだ。たった一枚の絵が、僕の体をタイムマシンのように時と場所を越えさせていること。それは幼い頃にあのちっぽけな資料館で見た土器、その土器の表面にまとわりつくように動いた縄文人の手を感じた感覚よりもリアルだった。」

「無限とも思われる宇宙の歴史を考えると、人類の歴史はほんの一瞬の瞬きなのかもしれないな、なんて思ったりもするのだけれど、それは決して悲観的な思いではない。逆に今生きているという時間の貴重さを感じるのだ。そう思うと、ちっぽけな縄文土器のかけらすらも、誰かが作りそして使っていたこと、いつしか土の中に埋まりながら長い年月を経て掘り出され現代人と対面することも、いとおしいことに感じる。」


【煩悶2】
では、
「完璧な展示」とは何か。
作者の手を離れて展示されたら、作品は不完全になってしまうのか。
むしろ、作者の手を離れて、作品は完成するのではないのか。

【解2】
奈良さんは
こんな風に考えているんじゃないかと思う。
理想は、
作者が作品を生み出したその場で、作品を見てもらうこと。
(究極は、
郵便配達夫を目の前に、傍らにゴッホが立っている、その場で、彼が描いている絵を見ること。)
しかしそれが無理なら、
見る人が
郵便配達夫や、ゴッホを、リアルに感じられる場で見せるべきだ。
郵便配達夫やゴッホのリアルな存在を感じさせることこそ、
作品の感動につながるのだ。

そんな風に。

「日本の高度成長期から雨後の竹の子のように各地方に美術館が建てられ始めたけど、そのほとんどは作品が展示しにくい空間になっていて、展示構成する側にしてみたらかなりの苦労を強いられた気がする。絵や彫刻、作品と呼ばれるものは、いつか見たゴッホの絵のようにそれひとつでも、成立していなければいけないものなのだろうけど、美術館という入れ物があって展示室という箱があるのなら、その中に作品たち自体が相互に気持ちよく納まっているのが理想だろう。しかたなくそこに飾られるのではなく、そこにあることが作品たち自体をも活性化させていなければならない。」

「最近その設計者である青木淳氏とお会いする機会があって、設計図面を見たりしながらいろいろ話すことができた。(中略)
展示室とその空間自体が必然的に抱え込む「建築空間として自立しながらも、展示されて成立しなければならない空間」という根本的な問いの答えが実際にどんなふうに眼前に開けるのか、楽しみにさせてくれる話だった。」

「遺跡を見て感じるリアリティは、(中略)
そこにそういうふうにしてなければならなかったと言い切れるものたちが、そこにそういうふうにしてあったからだ。」


・・・これ、制作部屋を展示する、例の作品のことじゃん!
(「My Drawing Room」2004)

そこにそういうふうにしてなければならなかったと言い切れるものたちが、
そこにそういうふうにしてあった

それが、
遺跡を見て感じるリアリティ

それは、ゴッホがリアルに存在したことを実感する、リアリティ。
名も無き縄文人が、リアルに存在したことを実感する、リアリティ。

そうかぁ・・・。
奈良サン、
「リアリティ」が欲しかったのかぁ。

そのリアリティは、
人間が永遠につかまえられないリアリティ。

影法師がつかまえられないように。

「時間」をつかまえることができないように。

なんでもない人たちが、いまも、世界中で、確実に、生活している。
その、リアリティ。

たくさんの写真家が、映画作家が、

つかまえようとして、

いつも蝶々のように逃してしまう、リアリティ。


他人のリアリティは、残すことができないけど、

自分の生きた痕跡なら、

制作部屋を、そのまま保存すれば(遺跡のように!)、つかまえられる。

そのことが、

見る人に、

ゴッホや縄文人のような、「そのときそこにリアルに存在したリアリティ」を

感じさせることができるんじゃないか。

そう考えたのかも。


「今こうして当時を回想してみても何故か思い出せず、あの小さな小屋のような資料館だけが、あの頃の気持ちそのままに頭の中に浮かんでくるのはなぜだろう。」

(・・・わぁ、「小屋」もまた、2002年にその萌芽が記されてたんだぁ。)

つまり「小屋」とは、

「制作部屋遺跡」の代用品であり、メタファーなのだろう。

奈良さんにとって、

究極の美術館、

それが「制作部屋」なのでしょう。(極論だけど。)


・・・


この半月間、だらだらと書いてきたことが、

けっこう

一気に氷解している気がしている。

かなり、

長丁場のひとり相撲です。


・・・


でもね。

(と、また思う。)

ゴッホや、縄文人を、実感することは、

確かに、体が震えるような感動だけど、


反対に、

ゴッホや、縄文人を、実感しないことも、

これもまた感動なんですよねぇ。


「匿名性(anonymous)」の感動。


はるか昔、
中学生の頃に読んだ新聞に、
志賀直哉の言葉として引用されていた文章が
思い出された。
曰く、

仏像を見るとき、人は、その作者に思いをはせたりはしない。
「これは誰がつくったのか」などとは思わない。
ただ仏像が、みずからここにいるかのように眺めるのである。

続けて志賀直哉は、
自分もそのような作品をつくりたい、と述べていた。


杉本の作品は、
志賀のその言葉のように
荘厳な匿名性を帯びはじめていた。


・・・



2006年08月24日

(ひとつ前からの、つづき)

弘前の展覧会で勝手に煩悶した私の気持ちは、
雑誌『ART iT』のインタビューを読んで
少しだけ、腑に落ちた。


私を煩悶(?)させた
奈良サンのFEVER状態。
(=チームの制作プロセスを、作品として見せたがるFEVER状態)
これは、どこからやってきたのか?

もしかしたら、奈良サンは、自身の「社会化」にFEVERしてしまったのかもしれない。

「リアル」と「社会化」に目覚めてしまったのかもしれない。


(以下、カギカッコ内引用はすべて『ART iT』vol.4 No.3 (ART iT co.,Ltd.)より)

「やっぱり、人間は社会的な存在で、ひとりでは生きていけないということ、共同体として生きているんだってことを実感できた。」

「たとえ会うことがない人たちも、実際はみんなつながっているんだって。たとえばどこか外国の農村でつくられた小麦が日本に輸出されて、それを日本の工場でパンにして、コンビニでそれを手にとるという連鎖が、すごく実感できるし感謝できる。ペンキを塗っているボランティアの人も、その最初の一粒の麦みたいに思えるの。」

「結構、自分のやりたいことって、(中略)
本当はみんなの汗と労働を伴うことだったんじゃないかと思う。生きている実感っていうか。」

「文明社会では平和な世の中なのに、大人たちが幼稚化して、バカらしいほど子供っぽくなっているでしょう。アメリカ人とか特にそうだし、日本人だってそう。でも、人っていうのは、自由な発想が生まれる前に、まずご飯食べたり、生きていかなきゃいけない。そういうことを自分は見ていなかった。長いこと忘れていた。」


自分って「社会化」してなかったんだなぁ、という気づきは、
すなわち、
自分って「社会化」したなあ、という感慨でもある。

社会化してなかった人(?)が
自身の社会化に気づいたことによる、興奮状態。
それならば、すこし共感できる。


ではなぜ
奈良サンは「社会化」したのか?
(アフガニスタンに行ったから?)

このインタビューを読むと、その「社会化」のきっかけこそ、grafとの共同作業経験だったようだ。

ではなぜ
grafとの共同作業がここまで続くことになったのか?

奈良サンは、
自分の作品を、自分が納得できる環境で展示したかったらしい。

展示する環境も含めて完璧な作品をつくりたかったらしい。

その環境をつくれたのが、grafの「小屋」だったようだ。

「2001年に横浜美術館で個展をやったとき、自分ひとりでは弱い存在だなと思ったの。絵を描くことはできるし彫刻をつくることもできる。でも、それを展示する環境をつくるのは、すごい労力がいるんだと実感した。あのとき、いまの小屋の原型となる、壁だけの稚拙なドローイング小屋を自分でつくったんだけど、いま思えば、自分が帰れるいちばん確かな場所を本能的につくろうとしていたんだと思う。」

「それから数年して、graf media gmで展覧会をしたときに豊嶋君と出会って、もっとうまく作品が存在する環境がつくれるんじゃないかって思った。」

「何て言うか、完璧な単体作品って自分の中ではありえなくて、どこかがいつも欠けている。それは画面の中だけではなくて、周辺5メートルで欠けているものかもしれない。そういうものを補ってひとつの身体にするのが、小屋というシステムなんじゃないかな。」

「だから、最近は無謀なことに、小屋ごとじゃないと売らないの。そうしたらその環境がキープされて、循環するビオトープのような機能を小屋が果たす気がして。」


そして、
展示環境への執着と、
社会化を自覚したことによるFEVERが、
彼を今回の「AtoZ」展へとつき動かしたのかもしれない。

「いままでは全部巡回展だったから、経験者がつくった展覧会を受け入れればいいだけでやりやすかった。でも、今回は最初の企画からすべてを自分たちでやっていて、そんな自覚が最初はなかったし、すごくとまどったよ。いかに自分がギャラリーとか美術館とか、既存のシステムの中で展覧会をしてきたか痛感した。」

・・・

奈良美智は変化したのだろうか。

2002年8月5日に予感したことと、つながって

奈良さんは、オトナになったのかもしれない。

奈良サンは、社会人になったのか。


奈良さんが大人化することで、
アーチスト奈良美智がどう変わっていくのか。
それは前から期待していたことなのだけど、
実際それを目の前にして
私が、インディーズバンドの応援から降りた女子のような気持ちになってしまうのは、なぜだろう。

(知るか。)

・・・


もっと考えると、

無垢であっていいアーチストが、
無垢でいられない時代なのかも知れない、と思う。

無垢であっていいはずのアーチストが、
世の大人たちのバカっぷりを心配しなければいけない、そんな時代なんだろう。

(坂本龍一とか、AP BANKとか、のんきでいられない人たちを思い出してしまう。)

4月12日の日記で引用した、鷲田清一氏の論説を思い出した。

ひとはもっと『おとな』に憧れるべきである。そのなかでしか、もう一つの大事なもの、『未熟』は、護れない。


アートとか、アーチストという存在の『未熟』さを、まもれない時代。
そんな風にも読める気がする。

もともと「大人」だったものが「未熟」になり、
そのかわりに
もともと「未熟」でよかったもの(アートもそうかもしれない)が、その貴重な「未熟さ」を放棄して「大人」化を心がけてしまう。
文化全体の
アダルト・チルドレン現象とでも言うべきか。


(危機の時代って、いつもそうなのかも。
ピカソの「ゲルニカ」を見るまでもなく。)

(それに、アーチストによっては、憤慨する意見かもね。
「オレらを未熟扱いするな!」「エコは人として当然のこと」
みたいな、ね。)


私はただ、「中心と周縁」の「周縁」が、
「オレが中心やらなきゃ!」とあせるってことは、
中心がちょっと壊れ気味なんだろうな、と思うのです。


・・・

雑誌『ART iT』の短いインタビューの最後に
奈良サンはこう言っている。

「そう考えると、この展覧会はお花見かもね。でも、ひとりになるってことも大事なことだからさ、お花見が終わったらひとりで散歩もしなくちゃね。」

2002年の弘前で、奈良さんの次の一歩を期待したときのように
今また、この一文を読んで、
私はひそかに期待をしはじめている。

成人式で仲間とFEVERしたあと、
ひとりになってなにを思うのか。

ほんとうに今の世の中に必要なのは
むしろ今よりもっと「無垢」なものなのかもしれない。

???

・・・


ところで、

私のいまの住処には、奈良さんの作品が一枚飾ってある。

展示方法は、
かなり、適当。
でも、
作品は、もはやそこに根をおろしたように
とても居心地よさげに、私には見える。
私は、満足している。

完璧な展示を目指すと言う
奈良さんのコメントを読んで、
「完璧な展示」って何だろう、と思ってしまった。

作品を完成させるのは、
鑑賞者。

だという考え方もある。

いまも世界中のいたるところで
奈良作品が、
鑑賞者の好きなように飾られながら、
それでも
鑑賞者に満足を与えていることだろう。

ビオトープのように完璧な展示を目指すと言った
奈良さんにとって、
そのことは果たして耐えられないことなのだろうか。


・・・



2006年08月17日

清少納言風に言えば、

「夏は、夜。」

であり、

かつ

「夏の夜」は、「知らない駅」。

ということになるのだろうか。

夜になって

降りてきた

湿気のせいか、

がらんとしたホームに

心もとない

黄色い蛍光灯は、

いくつ灯しても

なんだか青白く

明るさが足りなくて

ものの輪郭は

かげろうのように、じんわりとしている。

向かいの

ホームのコンクリートは、

現像液から途中で引き揚げた

8×10のよう。

さっき歩いてきた駅前は

公団の立ち並ぶ人工の島。

おもちゃのような商店街に

飾りのついた街灯が

映画のセットに見えた。

その下を、本物の人々が

歩いている。

8月14日、月曜日。

昼間は、ことし唯一の、入道雲を見た。


こんな夜の駅に

特別な感情を持ってしまうのは

むかし、夏にこんな

じめじめとした静寂のなかで

なんども一夜を過ごしたから。


ここがどこかもよく知らないけれど、

きょうはここからもう何処にも往かない。

電車が滑り込んでくるのを

がらんどうのホームで待っている。


数時間後、

DVDで市川準の『トニー滝谷』(GNBD-1051 JAN:4988102122034)を見た。

2006年08月11日

(つづき、)

7月29日(土)午後、 弘前、 初日。

Yoshitomo Nara AtoZ 奈良美智1.JPG

Yoshitomo Nara AtoZ 奈良美智2.JPG

Yoshitomo Nara AtoZ 奈良美智3.JPG

Yoshitomo Nara AtoZ 奈良美智4.JPG

Yoshitomo Nara AtoZ 奈良美智5.JPG

Yoshitomo Nara AtoZ 奈良美智6.JPG

(「ART IT」奈良美智インタビューからの引用は、また次回・・・)

2006年08月07日

(つづき)、

一枚の絵を見るとき、
よく4つの映像が目に浮かんでくる。
(まるでレイヤーのように。)

1)いま、この場にある、この「絵」

2)描かれた当時の(19世紀だったり、昭和初期だったり)、その「絵」。

3)そのとき、その絵のモデルとなった、静物なり人物なりの、「現物」。
 作者の眼に映った、その当時の、リアルな現実。

4)その、リアルな現物と向き合っている、作者の姿。

たとえば
1)は、
2006年の今日この日、この展覧会会場に飾られている、このセザンヌの絵。(たとえばね。)
今日の、この私にとってのリアル。私の目の前にあるこの現物の絵。
「ほほぉー、絵筆のタッチが・・・」とかいう感じ。

2)は、私の想像が時代をさかのぼる。(ぞくぞくする。)
ヴァシリー・カンディンスキーが、描いたばかりの、そのときの、大きなカンバス。
今の時代とは違う服を着た男女が道を行く、今の時代とは違う街並み、そんなアパートの一室で。
いま、また筆が入り、いま、描きたてのほやほやが、いま、誕生した。

3)は、たとえば、
岸田劉生の『道路と土手と塀(切通之写生)』を見ながら、この坂が、そのとき、たしかに存在した。目の前に。リアルとして。
その現物を想像する。
風とか、湿度とか、日差しとか、産毛や皮脂とか、土踏まずの疲れとか。
『麗子像』の本人を想像してしまうのも同じ感覚だ。

作者の眼が、それをどう見たのか、についても想像する。
まるで、『マルコヴィッチの穴』のように、
作者の眼を通して、当時のリアルを見ている気になる。

そして、4)。
作者はどんな顔で、どんな服を着て、どんな部屋で、どんな気持ちで、この絵を描いたのか。
どんな生活をして、どんな恋愛をして、どんな悩みを抱えて、どんなものを食べて、どんな音楽を聴いて。。。

この4)が、今日の問題です。

ピカソが、ゴッホが、シャガールが、ダリが、ウォーホールが、その他大勢の画家が、
鑑賞者やファンたちから、その制作プロセスを想像され、
そればかりか、生活プロセス(?)までも詮索されてきた。

作者はポップ・スターになり、
舞台裏、伝記、ポートレート、書簡、日記、名言集、恋愛遍歴、メーキング映像、etc.etc.が注目を浴び、
果てはその生涯が映画化され(J.M.BASQUIAT?)、
作者のキャラクター性が、
その作品に多大な付加価値を与える。。。

そんなケースが往々にしてある。


・・・


さて、奈良さんである。

今回、僕が弘前で見せられたものは、

(誤解をおそれずに暴言すれば、)

「オレと

豊嶋くんと

仲間たちの

思い出物語」

という

「制作プロセス」

と「生活プロセス(?)」

だった。

(あー、言っちまった。)


いつからか、

奈良さんは、

「制作プロセス」を公開したり、

「生活プロセス(?)」のような表現をすることに、

大きく魅せられてしまったらしい。

もともと、そういう気質の人だと思うけど、

(≒えふりこき。)

大阪のgrafで「S,M,L」展を見たときに、その萌芽を感じた。

ワープロで打ったエッセイのようなストーリーが掲出されていたり、
メーキングDVDが売り出されたりしはじめた。
現在、原美術館にパーマネントコレクションされているような、「制作部屋」自体を作品として見せるスタイルも、確かこのとき生まれた。
楽屋裏を作品として見せるスタイルが、
このときはとっても新鮮だった。

2002年の「I DON'T MIND IF YOU FORGET ME」展のときには、薬味程度でいい味だしてた「プロセス表現」感が、
2003年の「S,M,L」展では、芽を吹いて、
「From the Depth of My Drawer」展のころには、(そのタイトル、そのコンセプトからいっても、)
作品価値の25%くらいに膨張し、
今回、「AtoZ」展で、体感50%を超えた。


会場のカフェで流れていた映像は、
韓国、台湾、タイを巡る、
「オレと豊嶋くんと仲間たちの思い出の」メーキング映像。

展覧会の冒頭、
壁一面に
「AtoZ」というタイトルの解説が書かれている。
「何から何まで」という英語辞書のような訳の次に書かれているのは、
「オレと豊嶋くんと仲間たちの思い出の」キーワード集。
50ワードくらいあったかな。

はっきり言って、
知らんよ!タイのビール銘柄にかかわるセンチな思い出なんて!
共有できないよ!
と、
思ってしまった。

(ああぁ、ついに言っちまった、吐いちまった。)


ファイン・アートの世界に居ながら、
ロックン・ロール・ユース・カルチャーを愛する、
そのスタイル。
とっても格好いい。ユー・アー・ファイン・アート・ポップ・スター!

でも、好きなレコードジャケットだけで四方の壁を埋めただけの展示って、何?

見せたいのは、あなたの「生活プロセス」??ですか?

(ああ、もう止まらない。)


2階に上がっても、そのことが気になって

巨大な夜の海のような「新作」も、素直に見れない。気が散って仕方ない。

2階の後半は、

「オレと豊嶋くんと仲間たちの思い出の」集大成。

豊嶋くんからのFAX、サムネイル、たくさんのペンキボトル、

木の切れ端にメモった、ビッグ・アイデア。。。

スケジュール表。あと00日!!ああ・・・・


ごめん、

私の心は、そんなわけで、曇天。のち暴風。

これは、嫉妬? 羨望? アンビバレント?

なら、いいんだけど。

それとも、この「プロセス表現」こそが、『現代』の『美術』なのか。

もしそうなら、少しは気が休まる。
私の左脳が、私の心臓を、少しなだめてくれるだろう。

そして、1階に戻る。

休憩室を装った、小スペースは、

なんと、

どこからどう見ても

奈良サンが、この展覧会の会期中に挙式しようともくろんでいる

結婚式会場。

唖然&絶句。ご自身の展覧会に、ご自身の結婚式場がビルドインされている!

11人いる!


・・・


7月16日の日記で、「」のホームページを見たとき、

なんだかこうなる予感はしていたんだ。

ホームページににじみ出ていた「プロセス表現」全開モードに対しての、
私の複雑な思いが、あのような日記を書かせたのだ。

だから、いみじくも「学園祭」なんてコトバが出てきたのさ。今思えば。


そして、7月14日の日記を遠い目で見る。


2002年の
「I DON'T MIND IF YOU FORGET ME」展を記録した
『HIROSAKI』
というタイトルの大判の写真集がある。

吉井酒造煉瓦倉庫と、奈良さんのかけがえのない作品とが
はじめて出会った瞬間。

ただ、作品。ただ、『絵』。

それが、吉井酒造煉瓦倉庫という、夢の中の思い出のような場所に
ただ、展示されている。

感動的で、感傷的な光景。

幼少時の思い出の結晶が、
その故郷へ、帰ってきた。

そこには、たくさんの思いがつまっている。

ただ、それは、その場所で『絵』をみれば、わかる。

展覧会場で
「プロセス」を説明してくれる必要なんか、ない。

そんなの、

よけいなお世話なんだよっ!!


(響くエコー・・・・、安達哲のとりかえしのつかない絶交シーンのような。↑)


・・・

「横浜トリエンナーレ」日記につづき

また「昔のほうが良かった」的日記になってしまった。

ちぇっ。

応援してたインディーズ・バンドが、メジャーデビューして、
複雑な気持ちになっている女子のような。。。

要するに、

嫉妬だよな。

これは。

そうであってほしい。


・・・

」会場で、雑誌『ART IT』のインタビューを

立ち読みして、

この複雑な気持ちは、

ちょっとだけ、

腑に落ちた。

そのインタビューの引用は、次回。

2006年08月04日

駅のトイレから出ると(つづき)、

同じ電車に乗ってきた人々の姿はもうなく、

切符を回収する駅員すらいなくなった改札を抜ける。

近代的な駅。

西側の出口には、高い天井から、巨大な「AtoZ」展の広告幕が下がっている。

それをケータイで撮影している女性がひとり。

バスターミナルに出る。

クーラーのような風が吹く。

行き方の表示なんて、どこにもありゃしない。

29日、土曜日、初日の13時過ぎ、弘前。

閑散とした街。

しかし、私はこの町がきらいじゃない。

むしろ好きだ。

たとえば、高松のような、往時の面影を失った中年のホステスのような、哀しい街とは違って

この町は、

和服の似合う、小さなおばあさん。どことなく上品で、涼しげな顔。

タクシーで会場へ向かう。

煉瓦色の、見憶えのある建物が見えてきた。

真っ白なアルファベットが並んでいる。

若草色の芝生。クーラーのような風が吹いている。

吉井酒造煉瓦倉庫の前には、椅子代わりの、プラスチックのビールケースが並んでいる。

そこにぱらぱらと人が、思い思い座ってる。

閑散として、クーラーのような風が吹いている。

初日、弘前。