夜歩く。
もしもあなたが、日本橋とつく町名をひとつでも知っているのなら、
むらむらとした夜には
其処へ出掛けてみると好い。
大きな通りは避けて、
升目の様な一方通行の路地に入れば
平日の夜更けに
そんなところを往く自動車も人影も
目にしない筈だから。
新聞屋の軒先に植木鉢が積み上げられている。
柳が遠くで揺れている。
外灯が閉じたシャッターを青白く照らしている。
動いているのは、むら雲、そして猫の影。
そこからあなたは
東へ向かって歩きはじめる。
どの路を往ってもいい。いずれ大きな橋を渡る。
その先が、墨だのひがし、
濹東だ。
橋の頂から、月を見上げれば、
闇に溶けた群青色の河が
青魚が身を翻したときに見せる腹のように
その表面を光らせている。
橋を
夜の底へと下りていく。
地面が沈下したような路地。
アスファルトは、灰色の発砲ウレタンのように
ぐわん、ぼごん。
先程までより一層がらんとしている。
そのときだった。
月が語りはじめた、
百五十年も前は、この路に自動車なんか一台も走っていなかったのだ。
卵色の鏡のようないつもの月だ。
成る程。
がらんどうの路地。
幅はこんなに狭いのに、自動車を忘れて
路の真ん中を歩いてみれば
こんなに広くがらんとした道になる。
それどころか、
玄関の引き戸の前を植木鉢で埋め尽くしても、
縁台に団扇をのせて道端に出そうとも、
はたまた
洗い桶に西瓜を入れてを出したって、
まだ人々が行き違うのには充分すぎる道幅がある。
人間が
道の真ん中を歩いているからだ。
月明かりと見紛う
薄い卵色の外灯。
気をつければ自分の足音が聞こえる。
一年程前、世間を
飲酒運転が騒がせていた頃、
読売新聞に或る不思議な論評が載った。
飲酒運転反対が声高に叫ばれていた時期だから、
飲酒運転反対の論文が載ること自体に、不思議はない。
奇妙だったのは、
その論旨だ。
端的に言えば、
「悪いのは酒の存在ではない。悪いのは自動車の存在だ。」
というものだった。
月の声がした。
そうだ。
自動車など無用の物なのだ。
どうして自動車が無くならないのか、考えてみるがいい。
巨大な自動車産業が
自分達の存在を否定するとお前は思うのか。
己の欲望を自動車などに投射する
自分達を愚かだと思ったことは無いのか。
言い終わると、また月は鏡のような顔になった。
自動車は見えなくなった。
さっきまで
路肩にひっそりと駐車していた車たちも
一斉に消え失せていた。
車の音がする大通りに出てみたが、
そこにも車の影は無かった。
歩いていた足は
駆けはじめた。
たくさんの車が唸り声をあげる大通りの真ん中へ
踊り出た。
たくさんのクラクションが
鳴り続けたが、
大通りの真ん中を
走り続けた。
そうして
行方に小さく見える
光る橋に向かって点滅しながら消えていった。
或朝の事、自分は一疋の蜂が玄関の屋根で死んでいるのを見つけた。足を腹の下にぴったりとつけ、触覚はだらしなく顔へたれ下がっていた。他の蜂は一向に冷淡だった。巣の出入りに忙しくその傍を這いまわるが全く拘泥する様子はなかった。忙しく立働いている蜂は如何にも生きている物という感じを与えた。その傍に一疋、朝も昼も夕も、見る度に一つ所に全く動かずに俯向きに転っているのを見ると、それが又如何にも死んだものという感じを与えるのだ。それは三日程そのままになっていた。それは見ていて、如何にも静かな感じを与えた。淋しかった。他の蜂が皆巣へ入ってしまった日暮、冷たい瓦の上に一つ残った死骸を見る事は淋しかった。然し、それは如何にも静かだった。
・・・
「窓を大きく開け、夜のあいだに積もったほこりや、いろんな汚れを外に出した。それらは静止した空気の中に浮かんだり、部屋の隅っこや、ブラインドの隙間に潜んだりしていた。机の角には蛾が羽を広げて死んでいた。羽をいためた蜂が一匹、窓の敷居の上を、木枠に沿ってよろよろと歩いていた。羽を動かしてはいたが、その音にはいかにも力がなかった。それが無益な試みであることは本人にもわかっているようだった。終わりが近づいていた。これまであまりに多くの使命を果たしてきたのだ。巣に戻るだけの力はもうない。」
(『ロング・グッドバイ』レイモンド・チャンドラー 村上春樹訳 早川書房 より)
村上春樹を読んでいたあいだ、途中、ふとしたキッカケで
開高健を読む機会があった。
二人の文体の
あまりのコントラストに
因縁すら感じた。
例えば
短編集『ロマネコンティ・一九三五年』。
力強いが、独白的。
断定的なのに、苛ついているような文章。
まったくナンセンスな喩えだけど、
NHKで「世界地獄めぐり紀行」なんて番組がもしあったら
そのレポーターの
モノローグを聞かされているような感じ。
旅、半分。地獄、半分。
香港の『玉、砕ける』、サイゴンの『飽満の種子』、ヴェトナムの『貝塚をつくる』
と読みすすめる。
NHKと書いたのは
ある意味、皮肉だ。
まだ日本ではあまり知られていない
諸外国の文物を、
遣唐使よろしく
日本の善良な一般大衆のもとに届け、
刺激と興奮を与えるのが
この作家の使命にして取り柄のようにも見えてくるからだ。
そうした後に、4つめの短編
『黄昏の力』が出てくる。
一転して、話の舞台は、日本。
ごく退屈な日々についてが
醜悪美((c)金子國義)をもって語られる。
これは、村上さんの対極だなあ。
こういうものに、村上さんは興味あるのだろうか。
村上さんだったら、同じことをどう書くんだろうか。
それとも小説というもの、どこかで結局同じことだったりするんだろうか。
志賀直哉のように文章を書く人は
その後も何人もいたし、
いまだっているかもしれない。
けど、開高健のような文章を書く人は、
いま
いないんじゃないかなぁ。
「ああいう、漢文的に書く人は、もういないね。」
とある人が答えてくれた。
・・・
別の時、その人が感嘆していた
村上訳チャンドラーの一節。
「瞳は矢車草のブルー、あまりない色だ。まつげは長く、見えるか見えないかというくらいのほのかな色をしている。」
散歩する所は町から小さい流れについて少しずつ登りになった路にいい所があった。山の裾を廻っているあたりの小さな潭になった所に山女が沢山集まっている。そして尚よく見ると、足に毛の生えた大きな川蟹が石のように凝然としているのを見つける事がある。夕方の食事前にはよくこの路を歩いて来た。冷々とした夕方、淋しい秋の山峡を小さい清い流れについて行く時考える事はやはり沈んだことが多かった。淋しい考だった。然しそれには静かないい気持がある。自分はよく怪我の事を考えた。一つ間違えば、今頃は青山の土の下に仰向けになって寝ているところだったなどと思う。
・・・
そうして半世紀のあいだ走りながら
何をしていたかというと、
何をしていたのだろう。
ひとつには、村上春樹を追っていた。
ファンやストーカーのようでもなく、研究者や好事家のようにでもなかった。
好きな子を遠くから眺めるように静かに、控えめに追っていた。
廊下ですれちがっても知らないふりをするくらいに。
ずっと読まずに嫌いつづけていたことは前にも書いた。
ずいぶん若かったとき、書店で『1973年のピンボール』(注1)の出だし一行目を読んで、
ケッ、と。
それ以来、オアシスやU2と同じように勝手に忌み嫌っていた。
後学のためにと読み始めたのはここ数年のことだ。
この夏までの時点で
『羊をめぐる冒険』、
『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』、
(感想:ややスノッブな現代語で、ややトリッキーな不思議な異世界を書く、ややライトな作家。)
『風の歌を聴け』
(感想:ややトリッキーな構造で書きたがっているが、なにか時代を超えた切なさを表現しようとしている人。)
村上に少し興味をもって
『グレート・ギャッツビー』(野崎訳 新潮文庫)を読んだ。
(感想:以前日記に書いた、アメリカ版赤瀬川原平。醜いのに奇麗、な本当の現実。)
そうして夏になって、
おもむろに
『ノルウェイの森』を読みはじめた。
「そういう音を聞いていると、僕は自分がこの奇妙な惑星の上で生を送っていることに対して何かしら不思議な感動を覚えた。」
「まるで世界中の細かい雨が世界中の芝生に降っているようなそんな沈黙がつづいた。」
予想外に、割に気に入ってしまった。
『夜になると鮭は』を読んだ。(レイモンド・カーヴァー著 村上訳)
(感想:こういう人を幻滅させるような人間の生態を、どこの誰が喜んで読むのだろう?と、読み始めたうちは思っていた。それでも最後まで読み終えた。それでもやっぱり不可解だった。)
『ねじまき鳥クロニクル』を読んだ。
情けない事に、シベリアの話を飛ばしながら読む癖がついてしまい、
3冊目は、かなり乱暴に斜め読みで、無理矢理最後まで辿り着いた。
知っていると思っていた世界の、知らない側面。
世界を覆っている、何かしらの不条理。
そして、作者の妙な情熱。
それらは伝わって来たのだが、
それ以上のことは理解できなかった。
がぜんムラカミ氏のことを知りたくなった。
『「そうだ、村上さんに聞いてみよう」と世間の人々が村上春樹にとりあえずぶっつける282の大疑問に果たして村上さんはちゃんと答えられるのか? 』
を読んでみた。
読んだ直後、この本について、いろんなことを書きたくなった。
そうして今
『キャッチャー・イン・ザ・ライ』
を読みはじめた、
自慢じゃないが、生まれてはじめて読んだ。
ライ麦畑でつかまえて
といえば、思春期の少年の物語、とよく紹介されている。
ちょっと不良で、でも純粋な少年が
世の中への不満や、間違った大人の世界への反抗心をつづった物語、
なんて紹介されていることも多い。
しかし、と、読み終えた今、思うに、
それじゃまるで
青空のように爽やかな少年少女青春小説みたいじゃんか、よ。
ずっとこの小説を誤解してた、よ。
・・・
音楽は
エドゥ・ロボや、ブッカー・アーヴィン、
レディオヘッドの聴き直し
ショーター時代のマイルス、
そしていまさらカフェ・アプレミディ(笑)のお世話に。
なりつつも、一方では
ポストロックを中心に掘り進め、
掘っているうちに、ポストロックの穴の向こうに
「シューゲイザー」の姿が見えたのだった。
逆に言えば、もう15年以上前のシューゲイザーに、
ポストロック側から
掘り着いてしまった。(注2)
で、
生まれて初めて聴いたマイブラ『loveless』。
電車の中で、
このアルバムと『キャッチャー・イン・ザ・ライ』があまりに似ているので
読みながら
前頭葉のあたりが、くらくらと気持ちの悪い酩酊感に苛まれた。
そうなんだよ。
『キャッチャー・イン・ザ・ライ』のサントラを選ぶなら、
いちばんふさわしいのはこれ。
このアルバムをもし文章にしたなら、サリンジャーになるにちがいない。
『キャッチャー・イン・ザ・ライ』のなかで好きなのは、
アイススケート場で
サリーとの会話がとことんすれ違うところ。
「『ねえ、ちょっと怒鳴らないでくれる』とサリーは言った。でもそれはすごく変な言いぐさだった。だって僕は怒鳴ってなんかいなかったんだから。」
それから、家で、フィービーに
まるでカウンセラーのように導かれるところ。
「『なんでもかんでもが気に入らないのよ』とフィービーは言った。『気に入っているものをひとつでもあげてみなさいよ』」
そして、ラストの大雨の回転木馬のシーンだ。
(ミスタ・アントリーニ先生の長いご教訓も、意外と嫌いではない。)
サリーは、常識の代表で、つまり女の子の代表だ。
フィービーは、兄弟という最後の理解者であり、純粋さと希望の象徴。
はじめは
ごく普通の退屈なアメリカ小説だとタカをくくって
読んでいたが、
途中から、
さっき書いたような気持の悪い酩酊感に襲われだした。
こういう本は、はじめてだ。
だれかのスピーチに、その場にいる全員がつくり笑いを浮かべながら拍手を続けているような、
そんな世界を頭痛がするほど忌み嫌っている、
だれのなかにもあるそんなココロの行方を追った本。
「おかげでみんなは二日くらいそれについて考えて、あれこれと気に病んだりもしちゃうわけだ。そんな落書きをしたやつを殺してやりたい、と僕はひとしきり考えた。」
・・・
たとえば、ザ・スミスでも
シューゲイザーで言えば、ライドでも、
文章なら、梶井基次郎でも。
それらは、みな、青年男子の悩みだ。
それならわかりやすい。
そんな作品なら、まだ幾らでもありそうだからだ。
でも、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』は
大きな青年の悩みじゃないんだ。
なんて言うんだろう、第二次性徴以前の悩み?
まだ、男でも女でもないときに感じてしまった、
世の中の穢らわしさ、それへの強烈なショック。
ある意味わかりやすい青年男子の悩みとちがって、
奇っ怪なシロモノだ。
大人の僕にはもう完全には想像できない。
『loveless』の、外国のポルノを見てしまったときのような奇っ怪なざらざら感は、
和モノのバンドには醸し出せないものだろう。
そのざらざら感が、
この本の理解不能な異和感に
とても近しく感じるのだ。
・・・
J.D.サリンジャーって、
今思えば
『ナイン・ストーリーズ』もそうだったよなぁ。
穢らわしさにやられるピュアネス。
ピュアネスが穢らわしさにやられるところを
読者は見続けなければいけない。
そこからくる悪い酩酊感。
『ナイン・ストーリーズ』もそうだった。
ただ『ナイン・ストーリーズ』は
小説のところどころに、
翻訳のせいか原文のせいか
・意味のわからなさ、
・軽い不条理感、
・東洋思想のような難解さ、
・不明瞭なあいまいさ、
があったため、
さいわい肝心なものがよく見えず
(明け方の夢のように)、
心に強いショックを受ける事はなかった。
まあその分、かえって悪酔いは長く続いたわけだけど。
『キャッチャー・イン・ザ・ライ』は、
明快な文章に、明快な村上訳で、
衝撃はうけたけど、
二日酔いのように長くは続かなかった。
意味不明瞭でシュールな悪酔いに悩まされる事はなかった。
この本を読んで、
さっき挙げた『夜になると鮭は』のような本の
存在理由がわかった気がした。
これは『キャッチャー・イン・ザ・ライ』のオトナ版だ。
そして、世の多くの小説は
『キャッチャー・イン・ザ・ライ』のオトナ版と言えるのかもしれない。
『ノルウェイの森』だって、
おそらくこの世界の影響下にあるのだろう。
『グレート・ギャッツビー』をコドモにしたのが、
『キャッチャー・イン・ザ・ライ』?
それをオトナにしたのが、ムラカミ?
・・・
2000年に読んだ
『サリンジャーをつかまえて』
という文庫本のことを思い出した。
サリンジャー自体が、そして彼の伝記でもあるこの文庫本自体が、
やっぱり
ピュアネスが穢らわしさにやられるところを見てしまった不鮮明な悪い夢
のような読後感だった。
「で、僕がそこで何をするかっていうとさ、誰かその崖から落ちそうになる子どもがいると、かたっぱしからつかまえるんだよ。つまりさ、よく前を見ないで崖の方に走っていく子どもなんかがいたら、どっからともなく現れて、その子をさっとキャッチするんだ。そういうのを朝から晩までずっとやっている、ライ麦畑のキャッチャー、僕はただそういうものになりたいんだ。」
・・・
注1)この、ケッと思った本を、ずっと『風の歌を聴け』だと
思い込んでいたのだが、実際『風の歌を聴け』を読んで記憶の誤りを知った。
もしかしたら『1973年のピンボール』でもないのかもしれない。
村上春樹ですらなかったら、と思うと大いに心もとない。
注2)ボーズ・オブ・カナダ『twoism』日本盤CDのライナーによると、
英NME誌がボーズ・オブ・カナダを評して曰く、
「ケヴィン・シールズが『loveless』をつくったあとにやりたかったバンド」
とのこと。