僕自身について語るなら、僕は小説を書くことについての多くを、道路を毎朝走ることから学んできた。自然に、フィジカルに、そして実務的に。どの程度、どこまで自分に厳しく追い込んでいけばいいのか? どれくらいの休養が正当であって、どこからが休みすぎになるのか? どこまでが妥当な一貫性であって、どこからが偏狭さになるのか? どれくらい外部の風景を意識しなくてはならず、どれくらい内部に深く集中すればいいのか? どれくらい自分の能力を確信し、どれくらい自分を疑えばいいのか?
(『走ることについて語るときに僕の語ること』村上春樹 文藝春秋刊 より)
終わりの曲が好きだ。
映画のエンドロールにふさわしい曲が。
エンドロールが好きだ。
突然物語が切り落とされ、
最後の曲の最初の一音が、すべての終わりを告げる瞬間が。
音楽は戻らない。
時間に、逆らえない。
エンドロールの1曲目が終わり、
間をおいて
2曲目につづく瞬間も好きだ。
音楽が続いていくほど、
物語は過去へと連れ去られていく。
永遠に引いていく波のように。
・・・
3月31日。
どこまでも続く水田は
緑色に輝いている
諫早。
水田の遥かむこうに街、そして山裾。
国道と並走するように、水田のなかを赤錆色の軌道がどこまでも走っている。
物語はもうすぐ終わるのだろう。
The Band Apartの
「In My Room」という曲が流れる。
Eternity
だったのか。
誰にでも21のときがあった。
赤錆色の線路がどこまでも追いかけてくるのを眺めながら
想っている。
近づいたり離れたりしながら。
いつまでも続くリフのように。