2008年08月30日

(『短歌という爆弾―今すぐ歌人になりたいあなたのために』穂村弘著 小学館刊 より引用)


・・・


砂浜に二人で埋めた飛行機の折れた翼を忘れないでね    俵万智


永遠にまろぶことになき佳き独楽をわれ作らむと大木を伐る    石川啄木


大海にうかべる白き水鳥の一羽は死なず幾億年も    石川啄木


白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ    若山牧水


人皆の箱根伊香保と遊ぶ日を庵にこもりて蠅殺すわれは    正岡子規


吉原の太鼓聞こえて更くる夜にひとり俳句を分類すわれは    正岡子規


富士を蹈みて帰りし人の物語聞きつつ細い足さするわれは    正岡子規


われもウェイトトレーニングする日曜日はるかなる氷河に遺体がねむる    渡辺松男


我を生みし母の骨片冷えをらむとほき一墓下一壺中にて    高野公彦


翼の根に赤チン塗りてやりしのみ雲の寄り合う辺りに消えつ    柴善之助


その川の赤や青その川の既視感そのことを考えていて死にそこなった    早坂類


サラダより温野菜がよいということがよみがえりよみがえりする道だろう    早坂類


青空のほか撃ちしことなき拳銃を地図に向ければまた海の青    斎藤昇


脱糞ののち出でてくる戸外にはすざまじきかな夕あかね充ち    村木道彦


おお! そらの晴れとねぐせのその髪のうしろあたまのおとこともだち    村木道彦


つばくらめ一羽のこりて昼深し畳におつる糞のけはひも    明石海人


わが指の頂きにきて金花虫のけはひはやがて羽根ひらきたり    明石海人


あさあけに川ありてながすうすざくらすなはち微量の銀をながす川    葛原妙子


殺虫剤すこし掛かりし祖母の顔仄かなる銀となりゐつ    葛原妙子


水浴ののちなる鳥がととのふる羽根のあはひにふと銀貨見ゆ    水原紫苑


卵のひみつ、といへる書抱きねむりたる十二の少女にふるるなかれよ    葛原妙子


ガレージへトラックひとつ入らむとす少しためらひ入りて行きたり    斎藤茂吉


街上に轢かれし猫はぼろ切か何かのごとく平たくなりぬ    斎藤茂吉


春あさき郵便局に来てみれば液体糊がすきとおり立つ    大滝和子


カーテンのすきまから射す光線を手紙かとおもって拾おうとした    早坂類


さみだれにみだるるみどり原子力発電所は首都の中心に置け    塚本邦雄


馬を洗はば馬のたましひ冴ゆるまで人恋はば人あやむるこころ    塚本邦雄


好きだった世界をみんな連れてゆくあなたのカヌー燃えるみずうみ    東直子


なにゆゑに室は四角でならぬかときちがひのやうに室を見まはす    前川佐美雄


三本の足があったらどんなふうに歩くものかといつも思ふなり    前川佐美雄


牛馬が若し笑うものであつたなら生かしおくべきではないかも知れぬ    前川佐美雄


壁面にかけられてある世界地図の青き海の上に蝶とまりゐる    前川佐美雄


限りなくつらなる吊輪びちびちと鳴りだすだれもだれもぎんいろ    加藤治郎


荒川の水門に来て見ゆるもの聞こゆるものを吾は楽しむ    斎藤茂吉


手をひいて登る階段なかばにて抱き上げたり夏雲の下    加藤治郎


駅前のゆうぐれまつり ふくらはぎに小さいひとのぬくもりがある    東直子


「ロッカーを蹴るなら人の顔を蹴れ」と生徒にさとす「ロッカーは蹴るな」    奥村晃作


不思議なり千の音符のただ一つ弾きちがへてもへんな音がす    奥村晃作


次々に走り過ぎ行く自動車の運転する人みな前を向く    奥村晃作


運転手一人の判断でバスはいま追越車線に入りて行くなり    奥村晃作


端的に言ふなら犬はぬかるみの水を飲みわれはその水を飲まぬ    奥村晃作


太束の滝水落つる傍へにてビーズの如く岩伝ふ水    奥村晃作


枕木の数ほどの日を生きてきて愛する人に出会わぬ不思議    大村陽子


出奔せし夫が住みゐるてふ四国目とづれば不思議に美しき島よ    中城ふみ子


眠らむとしてひとすじの涙落つ きょうという無名交響曲    大滝和子


白鳥は水上の唖者わがかつて白鳥の声を聴きしことなし    葛原妙子


草上昼餐はるかなりにき若者ら不時着陸の機体のごとく    葛原妙子


一匹の蛾を塗りこめし痕とも油彩のひとところ毳だちてをり    葛原妙子


ぐろてすく ぐろてすく とぞ煮つまりぬ深鍋にしてタンシチウは    葛原妙子


まだ発見されない法則かんじつつ深ぶかと吸う秋の酸素を    大滝和子


めざめれば又もや大滝和子にてハーブの鉢に水ふかくやる    大滝和子


きょう我が口に出したる言葉よりはるかに多く鳩いる駅頭    大滝和子


「潮騒」のページナンバーいずれかが我の死の年あらわしており    大滝和子


白鯨が2マイル泳いでゆくあいだふかく抱きあうことのできたら    大滝和子


・・・


2008年08月23日

瓜冷しあるとおもへば闇ゆたか                   中島八州央


                                                                                                                                                        


瓜冷すまはりの水をまはしつつ                   鳥居真里子


                                                                                                                                                        


昼顔のほとりによべの渚あり                     石田波郷


                                                                                                                                                        


ゆきなやむ牛のあゆみにたつ塵の風さへあつき夏の小車    藤原定家


                                                                                                                                                        


いもうとの仕返しにゆく青田道                    姜琪東


                                                                                                                                                        


本ぶりになつて出て行雨やどり                   『柳多留』


                                                                                                                                                        


情深くして夏掛の薄さかな                      橋本栄治


                                                                                                                                                        


月かげや夜も水売る日本橋                     一茶


                                                                                                                                                        


まさらなる秋の扇のうらおもて                    深見けんじ


                                                                                                                                                        


八月まひる銀の車輌は傾きて吊り革の輪しんと打ち合う    加藤治郎


                                                                                                                                                        


上海市外に刈る人のなき稲を見て長息しといふ兵は農夫か  半田良平


                                                                                                                                                        


昭和とは貨物列車よ大西日                      森玲子


                                                                                                                                                        


(いずれも読売新聞「四季」欄より
 上から、2008.7/23,25,26,20,27,28 8/3,5,8,12,15,6)

2008年08月11日

いうこともあって、

ずっと昔に買ったまま

きちんと聴いていなかったCD

『JVC WORLD SOUNDS 奄美しまうたの神髄 FOLK SONGS OF AMAMI/武下和平』

(VICG-60398)

走りながら聴いてみた。


・・・


やばい。

これは、

チルアウトなんかじゃない。

沖縄の島唄にある

チルな要素が、ここには微塵もない。

足が止まらない。

こんなにアドレナリンが出る音楽が他にあるだろうか。


誠小が、沖縄のジミヘンなら、

この武下和平は、何であろう。

何でもない。

何にも喩えられるはずがない。


世界の裏側から聴こえてくるような唸り声。

地の果ての、

果ての島から

海を越えて届かせようとする

執念のような

唄声。

そしてバチの音。


ああ

このリズムは、

荒波だ。

時化の外海、

島を渡る小舟を、真正面から打ちつけるような

狂濤だ。

その打擲を、

乗り越えていくような

強弱だ。


だぁーん、

だだぁーん、

だぁーん、

だだぁーん、


世界のあちら側から、

激浪を超えて、脱け出そうとする者の

死に物狂いの

美しい声。


・・・


60398[1].jpg



2008年08月08日

5月16日から18日まで

所用で、奄美へ行った。


何年ぶりだろうと思って調べてみたら、

16年ぶりだった。

1992年の3月にはじめて、この島を訪れている。

それはずっと雨の旅だった。

海が見渡せるという、北部の半島を

自転車で走っても

崖の上の道路から見えたのは、霧だけだった。

ずっと。


当時の名瀬の街は、(僕の記憶のなかでは)

音も無く雨に振られ

首を垂れて

口を閉ざしたような

そんな小さな路地。


あるいは

明治の外国人に撮られた

色褪せたモノクロームの土の路、

ひと、犬。

魚屋の閉じたシャッター。


16年後の町は、

記憶していたよりも

よほど広い規模になっていたけど、

やっぱり

なにかから取り残された切なさをもっていた。


ああ

奄美には、

沖縄が

この16年で失ったものが

まだ残留しているんだ。


加計呂麻島に渡ると、

また一歩

世界から遠のいた気がした。

だれからも

認知されていない世界へ

世界の奥のほうへ

歩みをすすめている気になる。


世界の裏側を

歩いているような気がして、

こころが妙に動揺する。


ノコギリの歯のような

半島状の崖によって

世界から閉ざされ

点々と散りばめられた

集落。


だれも見たことのない世界のあちら側の、

その路地を、

平然と散歩する住人がいる。


強烈な憧憬と、

強烈な心痛と、

強烈な畏怖と。


まるで、

名前のついていない現象に対する

心の動揺のように。


だれも見ていない夕日が

だれも見ていない海に沈んでいく。


・・・


BRUTUS No.645 8/15号

表紙に、chill out という文字を見つけたので、手に取った。

「心を鎮める旅、本、音。」

という特集、

チルアウトの冒頭に取り上げられていたのが、

奄美だった。


ああ

やっぱり

そうなんだ。


チルアウト。

(電子音が好きな人にとっては、むしろ懐かしいコトバ。)

癒しのたんなるいいかえといってしまえそうでもあるけど、

90年代に

STUDIO VOICEがビートニクを再提示したときのような

軽い

酩酊感を味わいながら

本屋の椅子にこしかけて

しばし読み耽った。


「現代の都市生活はハレとケのコントラストに占めるハレの割合が極端に多く、むしろチルアウトの時間に祝祭性がある、と茂木氏。」

(BRUTUS No.645 8/15号 より)

2008年08月05日

TheCaveofEmerald-400[1].jpg

Kyoko Murase
The Cave of Emerald, 2008
oil on cotton, 125 x 140 cm
Courtesy of the artist and
Taka Ishii Gallery


村瀬恭子展 「Emerald」

2008年06月28日 ~ 2008年07月26日
タカイシイギャラリー


7月26日(金)

隅田川花火の前に、

タカイシイギャラリーで

村瀬恭子展の最終日を見る。


・・・


村瀬恭子をはじめて見たのは、

2001年くらいだっただろうか。

築地で開かれていたパレットクラブ(PALETTE CLUB)の展覧会。

奈良美智や川島秀明、ミスターら

と一緒に展示されていた一枚の絵が気になった。


大きくはない絵で

むしろ小品だったけど、

水面に顔だけ浮かべ

溺れるか流されるかしている女性の絵だった。

たしか、緑や灰色を基調にしていて

目、鼻、口など

顔のディテールだけが

妙に描写的なところが印象的だった。

(ベーコンとはまた別の手法で。)


その後、

まだ大塚にあった頃のタカイシイギャラリーでの

蝶をモチーフにした展覧会や、

表参道のナディッフにも見に行ったのを憶えている。


・・・


今回の「Emerald」展では、

いままで

川に流されたり、彷徨ったりしてばかりいた

主人公が、

はじめて

すっくと立ち上がり、

川の流れに逆らって立ち向かっているのが

印象的。


この作品、

「The Cave of Emerald」

は、

なぜだろう、

最終日でも

sold

になってなかったけど、

¥1,150,000-

は、ぜったいに “買い” 

だと

思う。


もしもまだ残っているのなら