「注意すべきは発足期にたつ支那であって、日本の時代は過ぎたのではないか」
ーー清沢洌(1929年10月、『転換期の日本』)
世界恐慌の頃に清沢洌が外国人から聞いたとして書き著している言葉だが、状況説明のために清沢自身が作り出した言葉といっても良いであろう。「日本はもう行くだけ行ったのではないか。進むだけ進んだのではないか。生々たる発育期をすぎて、静止状態に入ったのではないか」という文章に続く言葉である。
日本の行き詰まりは常に隣国中国の勃興との対比で語られるというのが近代日本において繰り返された思考のパターンであることがよく理解される言葉といえよう。現在我々は何回目かのこのパターンに入っているわけである。
清沢は言う。「日本は今悩んでいる。日本はどこへ行くのだ、日本は何をするのだ、日本はどうなるのだ、そういう声が、秋の稲穂が風にささやくように、どこからともなく聞えて来る」「現代日本の著しい特徴は悲観と不安である」。悲観と不安の中このパターンはどのようにして乗り越えられて来たのか。歴史に学ぶべきであろう。
(筒井清忠・帝京大教授)
(「今に問う言葉」2010年7月19日 読売新聞)
“残り時間”の過ごし方を綴って忘れがたい文章がある。<「いのち」の終わりに三日下さい/母とひなかざり/貴方と観覧車に/子供達に茶碗蒸しを>(高知県・下元政代)。日本一短い手紙『一筆啓上賞』の秀作集にある◆残り時間が無情にも区切られるのは「いのち」だけではない。「ひかり」のときもある。いつ失明しても不思議ではないーー医師からそう宣告されたとき。人は何をするのだろう。その人は土俵に立つことを選んでいる◆この名古屋場所に力士としてデビューした大相撲序の口西29枚目、「徳島」(15)(本名・田中司さん、香川県出身、式秀部屋)の記事を読んだ◆まだ有効な治療法のない目の難病、レーベル病によって徐々に失われた視力は現在、左目0.01、右目0.3、「目が見える限り、土俵に立ちたい」という。歴史学者、津田左右吉の歌を思い出す。<明日いかにならむは知らず今日の身の今日するわざにわがいのちあり>。その人には今日の突き一つ、押し一つが“わがいのち”に違いない◆今場所は中止でもいい、と考えたことがある。開催されてよかったと、いまは思う。
(2010.7.14 「編集手帳」 読売新聞)