March 19, 2006

13号棟エントランスに潜む小柄な姑

北京郊外、もう少しもう少しと気ばかり焦る、21時45分。

本日は、「明、滅亡」の日。
1644年、清によって滅ぼされた明国の民を憂う、滅亡記念日。

1449年、時の皇帝・英宗は側近である宦官・王振の進言により、西モンゴルの雄オイラトを征伐すべく、皇帝御自ら兵を率い遠征を行ったが、皇帝自身があっさり捕虜となり敗退。

一連の事件を、王振と明兵らが逃げ込んだ砦にちなんで、「土木の変」という。
この砦がまたダメダメで、土木とは名ばかりで設備が拙く、篭城する上で必要不可欠である筈の水回りが欠落しているという、致命的なロケーションだったという。

皇帝の右腕的存在である宦官って、賢くないと務まらないと思いきや、上記のケースを見る限り、かなり使えないことこの上ない。

ぼんくら皇帝が、股の間に何も挟まってない男ひとりに振り回されているという絵ヅラが何とも滑稽である。

いつの時代も同じということか、と。


余談。
モンゴル人エセンは、捕虜とした英宗を厚遇し、互いに「友」と呼び合うまでになったというが、それはただのストックホルム症候群ですがな。

投稿者 yoshimori : March 19, 2006 11:59 PM | トラックバック
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