勿論フランス語など読めもしないのだが、ある一文だけが頭から離れない。
たった一文のフランス語だけがSと私を繋ぐ接点だ。
在学中のSは仏文学科に在籍していて、当時の同期生と比較すると究めて勤勉だった。病弱な男ではあったが、講義を欠席することは無かった。記憶の限りでは。
あれから十年の歳月が過ぎた現在、大手家電メーカーに勤務する私は、折に触れSを思い出す。
開発中である新製品の取扱説明書を開くと、目次に次いで「安全にお使いいただくために」と、日本語、英語、中国語、スペイン語に続いてフランス語で記載されている。
「警告 死亡、または重大な障害を引き起こすかもしれない、潜在的な危険があります」
大仰なまでに物騒なフレーズは数ヶ国語に訳され、大仰なイラストと共に使用者への注意を促すと同時に脅迫にも似た警告を与えている。
製品開発とは一線を引いた営業部に籍を置く身ではあるが、失笑は隠せない。立場上、好ましくないが。
数年前、岡山在住の歩行器無しでは移動できないほどに腰椎が湾曲した八十代の老人が、自社製品を梱包していたポリプロピレン製の緩衝材を杖替わりにしようと立ち上がり、バリアフリー設計の自宅で滑って転倒、数メートル分ダイブした結果、犬小屋に頭部を強打、脳挫傷を起こし意識不明の重態に陥るという不幸な事故があった。
不謹慎を承知の上で警告内容が、いや、フランス語が今でも心に残るのは、かつてSが発した一言に起因する。
当時、進路という概念が人生において重要な意味を持たず、数年を無為に過ごすことにさほど抵抗を示さないという立場から、流動的に上京を決意させた。
人の話を聴かないことを美徳とし、狼藉の数だけ人格は深みを増すと信じていた頃のことだ。
(續く)
投稿者 yoshimori : April 1, 2006 11:59 PM | トラックバック