April 04, 2006

『重大な障害を引き起こすかもしれない、潜在的な危険』 (第4回)

Sの「曲がらない」という言葉の意味を理解しないまま、午前四時、我々は店を出た。
Sはヨーロッパ女に別れを告げているようだ。
女は私を一瞥し、残念そうに我々に背を向ける。

「いいのか?」
私は木製の扉を閉めて歩き出す。

「背骨の曲がらない男に何ができる」
Sは依然として私の方を見ようともせずに呟く。

新宿通りでタクシーを拾うというSと別れ、私は言葉の意味を考えた。
フランス語特有の慣用句だろうか。だとしたら面白い。
英語すら満足に話せない自分には、恐ろしく深い神の領域にも等しい。

酔いに任せて職安通りをひたすら歩き、明治通りで空車を拾う。恵比寿まで。
工事現場で連なっている通りを走る車。加速する街の光は美しくない。

背骨の曲がらない男はタクシーに乗れるのだろうか。
私は背骨の曲がらない男を想像する。

慢性的に直立不動。
ベッドに横たわる時は常にダイブから。
冠婚葬祭には全く不向きに違いない。

タクシーは駒沢通りを右折する。
ラジオから聞こえる交通情報は、駒沢通りの事故渋滞を伝えている。
恵比寿駅前にはまだ、いやもう人がいる。
彼らの中にも背骨が曲がらない男はいるだろうか。

Sのフランス語は驚くほど流暢に聞こえる。
背負う要素に起因して発せられる言語には澱みが無い。嘘が無いのだ。

空が白んでくる。
ブリジット・バルドーは最高のビッチだというフレーズを思い出す。
"b"が四つ並んでいる。腰骨に見えなくもない。

人は背骨に支配されている。背骨に抱かれ生きている。
曲がっていないが故に負う原罪は、フランス女から口説かれても応じられないことに換言される。
Sには負うものは何も無い。

「警告 死亡、または重大な障害を引き起こすかもしれない、潜在的な危険があります」

犠牲には程遠い欠落感。失うものは何も無い。
あの夏の日以来、Sには会っていない。

不意に思い出したSの残した言葉をフランス語で囁く。
フランス女もいないのに。

(了)

投稿者 yoshimori : April 4, 2006 09:03 AM | トラックバック
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