寿福寺参道
鎌倉に対する思い入れなぞさほどあるわけでもないのだが、思いもかけず身辺に彼の地にまつわる事象が集まるとなると加速度的に意識は向けられ、物件のひとつでも見てみようかという気にもなる。
懐古に陥るのは甚だ易く、黒木の山門に通じる参道という絵面だけで、きもち持ってかれ、持ってかれるどころか魂は吸われ続けているのではと危ぶんでみるが、よもや参道に誘われて、宗旨すら異なる御影石の下に呼ばれるわけでもあるまいと、深く安堵の息をつく。
とはいえ、終の棲家とは言わずとも、よく燃えそうな木造建築に居をと止まらず、仮令消費以外に術を知らないとしたら、残された選択肢とは何ぞと思い、隠し板の無い箪笥から金子を引き出すことでも、錠前の無い金蔵に入ることでもないと知り、やや深刻に落胆せざるも止む無しと諦念も致し方無し。
例えそれが妄想としても。
(了)
投稿者 yoshimori : September 26, 2007 10:08 PM