近所の小料理屋で毎回見かける72歳の老婆、実は南画の大家という。
夫は若い女に夢中らしく、ひとりで酒をあおっているが、飲んだ数を数えられない為、頼むたびに数量を店主に確認している。
「あたし、こう見えても絵描きなのよ」
何度も聴きましたよ、それ。
「この辺は物騒でねー」
若造がやべえですか?
「違うわよ、変態がいるのよ」
ヘンタイって露出系ですかね。
「そうよ! 10年前にそこの坂で見たのよ」
最近の話じゃないんですか。
「そうね、あれは昭和39年だったかしらねー」
いやいや先生、おもしろトークもいいんですけど、話がさっぱり進みませんから。
「今度ね、六本木に移転するの。あのほら、黒川紀章の」
国立新美術館ですか。先生、これまたえらいところに移りますねー。
「そう、たぶん」
たぶんて。
「あたし、ホームレスを10年飼ってたことあるわよ」
えー? 慈善事業か何かですか?
「そうかもしれないわね。でも、あいつ今頃何やってるのかしら」
追い出したんですか。
「違うわよ、出てったのよ。あんなの勤まるのかしらねえ」
先生、気付けば何も話してませんよ。
大変楽しかったのですが、先生を置いて店を出ます。
次にお会いできるのは、次に来た時でしょうか。(先生は毎日いるけどな)
(了)
画伯に黙って食すセイコガニ