June 21, 2008

『カ サ ネ ガ フ チ』 (第伍回)

えー、数日間の無沙汰を致しまして御座います。
閑話休題なんてぇ、寄り道が過ぎますってぇと、本題すら何だかどうでもよくなってくるってなもんですな。
無理ぐりに着地点を探すってぇ作業自体、強迫観念に近いってぇはなしですかねぇ。

で、誰も読んでないってぇのは承知の上で、件の累ヶ淵で御座います。

「豐志賀の死」

別名、『⑤豐志賀の最后』なんてぇ云いますな。
園の死より十七年の後、姉の志賀はってぇいいますと、根津は七軒町で豐志賀なんてぇ名で富本の師匠になってますな。

「富本」ってぇいいますと、江戸浄瑠璃三流のひとつとして数えられ、他に常磐津、清元が知られておりましてねぇ、稽古を付けられ艶っぽい唄を歌い上げるってぇと、常磐津なら「文字」、清元は「延」、富本なら「豐」なんてぇ冠を付けられ、師匠と呼ばれますな。

豐志賀は男嫌いってぇことで通っていたんですがねぇ、女中が病に臥せるってぇと、人手が足りなくなったんてんで、新吉を雇いますってぇと、男嫌いなはずの豊志賀、新吉と深あい仲になるんですな。

で、根津は惣門前、小間物商羽生屋から通ってくる娘、久(ひさ)と新吉の仲にじぇらしぃなんて致しますってぇと、悋気が過ぎて久に辛あく当たりましてねぇ、そうこうするうちに豐志賀の右眼ン下に厭あな腫れ物ができますってぇと、てめぇの醜い姿に新吉の心が離れはしないかと不安になり、

「あたしが死ねば、お前さん、お久と一緒になれていいだろうねぇ」

なんて、もう嫉妬の権化となりましてねぇ、新吉がもう嫌だってんで叔父の勘蔵に相談しようと外出するってぇと、道中で久に偶然会いましてねぇ、久が云うには、下総にいる質屋業の叔父、三蔵の元へゆくってぇはなしなんですな。

新吉、豐志賀を捨てて一緒に行こうなんてぇ久に告げますってぇと、久の顔が豐志賀となり、胸倉を掴まんばかりに詰め寄られるんですな。
で、逃げるように勘蔵の元へゆくってぇと、豐志賀がいるってぇ云われ、パニクる新吉、もう何が何だかってんで豐志賀の宅へ向かうってぇと、剃刀を持った手で自らの喉を掻っ切った豊志賀の遺骸と対面するってぇ運びなんですな。

新吉が恐る恐る蒲団を捲るってぇと、

「新吉が持つ娘七人までを憑り殺す」

なんてぇ物騒な書き置きがそこに。

何だか肌が粟立って参りましたってぇところで、続きはまた明晩

(續ク)

投稿者 yoshimori : June 21, 2008 11:59 PM
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