冷蔵庫を開けてボトルを手にし、麦茶と信じてグラスにも注がず飲み始めると、実は麺つゆだった時の衝撃は実体験も伴い、想像に難くない。
信じていた、思い込んでいたものが別のものだった場合は、軽い眩暈にも似た喪失感を覚え、過ぎ去った年月を振り返ろうにも、既に彼岸は遠くなりにけりってんだ。
事の発端は「里の秋」が「ゆりかご」だったことだ。
静かな静かな里の秋
お背戸に木の実の落ちる夜は♪
ゆりかごのうたをカナリヤが歌うよ
ねんねこねんねこねんねこよ♪
むう、何度聞き比べても、アニメ番組のオープニングにおけるテレビサイズへのアレンジとしか捉えられない。
GLAYにおける「 口唇」と「誘惑」のメロディを入れ替えても唄い切れるのと同義と云えば分かってもらえるだろうか。
(了)
投稿者 yoshimori : November 23, 2009 11:59 PM