いるかい、と「ですこみさん」がやってきました。
さむいよるにはふさわしいおきゃくさんです。
「ですこみさん」は、てみやげだ、とかたくてまるいものをくれました。
これはたべられますか?
たべられるかたべられないかはわからないがたべられるものであればたべればいいしたべられないものならばたべなければいい、といいます。
わかったようなわからないようなはなしでこまります。
「ですこみさん」にこーひーをいれてだします。
ありがとう、といいながらかたくてまるいものにさきのとがったきんぞくへんをつっつきながら、ころがるかけらをあつめています。
かけらがいくつかあつまると、こーひーにいれました。
ということは、これはたべられるもので、こーひーにいれたりするのですね?
いや、このかつてかたくてまるいもののかけらをこーひーにいれたのは、となりにすんでいるじゅうにんにたいするいしきのあらわれだ、といいます。
ぼくはりんじんではありませんよ。
そこがむずかしいところだな、なんていいます。
しばらくふたりで、おれんじいろとやまぶきいろのみわけかた、つかえなくなったぼーりんぐのたまのいがいなつかいみち、かぴばらのせなかにのっかるときのちゅういてん、よわっているしにがみのよびかた、などをはなしあいましたが、なにひとつこたえはみつかりませんでした。
「ですこみさん」はすこしかわってるけど、やさしいひとです。
かえろうとするので、みおくろうとせきをたつと、いやいい、といわれました。
ほんとはこなかったかもしれない、といいます。
でも「ですこみさん」はここにいますよ。
おまえにはまだわからないのさ、ととびらからでてゆきます。
さようなら、「ですこみさん」、あすもひえるのでおからだにきをつけてください。
とびらのむこうにはふゆがひろがっています。
あたたかいのみものはすでにひえきっています。
「ですこみさん」にはなにもかもわかっているようなのですが、それをといただしたりはしないことにします。
わからないのは、ぼくのほうなのですから。
(おわり)
投稿者 yoshimori : December 3, 2009 11:58 PM