「詩人は長期間の、破壊的で計算された錯乱によって見者になる」
アルチュール・ランボー
誰が云い始めたかは失念したが、八代目桂文楽師匠は、「見者(ヴォワイヤン voyant)」と評されていた。
記憶違いかもしれない。
師匠は未来を予見する者だったろうか。
ひとつ思い当たるとしたら、高座で絶句した場合の口上を稽古していたということだ。
最後の口演、『大佛餅』の中で人名に詰まり、高座を降りた。
「・・・勉強をし直して参ります」
悪く云やァこのひとことで伝説のエピソードを残した師匠は、その後二度と高座に戻らなかった。
どうも、見者にはなれない。
おみくじや占いと一緒で、悪い結果は考えたくないのだ。
(了)
投稿者 yoshimori : February 17, 2010 11:59 PM