京を流れる鴨川の六条河原なんてぇ申しますてぇと、刑場だったり古戦場だったりもして、多聞にしてきな臭い場所でござんすが、場所同じぅして時を遡った六条の河原院なんてぇと、光源氏の君のもでるとも謂われております、河原左大臣こと源融(みなもとのとおる)の邸宅だったてんで、だいぶ雅な感じがしまさァね。
陸奥乃志のふもちすり誰由ゑに乱れ初めにし我ならなくに
(みちのくの しのぶもぢずり たれゆえに みだれそめにし われならなくに)
って、こりゃァ恋歌ですな。
野暮ってぇ絵解きゃァしやせんが、果たして忍捩摺り(しのぶもぢずり)の捩れた乱れ紋様が大臣の心象風景なんでしょうかねぇ。
いわゆる忍摺りの模様なんざ、あたしゃァ見たこともござんせんが、その製造工程を聞きますってぇと、忍草を石で潰しながら布に摺り付け染めてゆくなんてぇたいそう雑なもんでして、心が掻き乱される要素が微塵もありやせん。
が、此の手許の風情に心を奪われる御仁も皆無ではござんせん。
俳聖芭蕉師はこの忍摺りの手捌きを、早苗を植える早乙女の其れに重ねてたってんですから、どうしたって女子衆の所作に言及されるンじゃァねぇかと思う次第でござんす。
早苗とる手もとや昔しのぶ摺
そう思うてぇと大臣も俳聖も染物そのものよりも女子衆の手を見てたンでしょうなァ。
京から陸奥にはなしが飛びまして、着地点が手ふぇちの大臣と俳聖という甚だ下衆な一席でお暇をいただきます。
(了)
投稿者 yoshimori : May 17, 2010 11:59 PM