かつて住んでいた山手線沿いの駅周辺には、「空蝉(うつせみ)」という名の橋があった。
橋とはいえ、眼下に水流れる河川はなく、線路上を車輌が走る跨線橋という位置付けである。
空蝉とは響きが美しい。
此の世に生きる人という意味の古語である、「現人(うつしおみ)」が「うつそみ」、「うつせみ」に訛化したという。
転じて、生きている人間の世界、つまり現世(げんせ、うつしよ)である。
そして、『源氏物語』では、三巻に渡って登場し、光源氏の心に深く印象付けられることになる人妻の通称となり、ここまでは何となく優雅な感じで語られるのだが、古代、中世を経て近代ともなると、何処か雑な感も否めない。
明治の御世、かの地が北豊島郡巣鴨村大字巣鴨字宮仲と呼ばれていた頃、時の陛下がこの地を訪れた際、近隣の稲荷神社境内にあった赤松の幹に、おびただしい数の蝉の抜け殻を見付けたばっかりに、これを「空蝉の松」と名付け、その名に因んで、明治三十六年、山手線開通の折、空蝉橋としたという。
そう、空蝉とは、蝉の抜け殻、蝉そのものを指す語でもある。
「おびただしい数の蝉の抜け殻」ってのが、奇数蝉みたくて大陸的で興醒めなのだ。
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投稿者 yoshimori : June 3, 2010 11:59 PMうつせみ。素敵な響きだす。
そして師匠はtwitterやらないのですか?