June 10, 2010

『六月上席(千龝樂)~当り屋いろは丸』

えェ、本日ァ御徒町詣でで御座んす。
上野行きの俥ィ乗りまして、終点まで揺られます。

文京区を出ましてあれから、五代綱吉公側用人、柳沢吉保様の下屋敷前を抜けまして、本駒込、動坂下、道灌山を下りまして、千駄木、団子坂を右に見まして、その頃権現様と呼ばれておりました根津神社を過ぎまして、池之端、江戸期の老舗、松坂屋前まで来た頃にゃァ随分くたぶれた。

史実か捏造か定かじゃァありやせんがねぇ、新選組副長として知られておりまする土方歳三先生丁稚奉公してたなんてぇ話も伝わっております。

下車しましてから一度、春日通りまで出まして、ィ向かい鉄道の高架下ァくぐり、昭和通り南下しますてぇと、左側に紫色の建屋が見えて参ります。
まァこの建屋にちょいと寄り道しまして、幾つか雑貨を買い求めて外へ。
その裏ッ手にあるのが、伊予は大洲(おおず)藩のかつての上屋敷跡なんでして、当時は七千坪もあったてんですから、たいそう広う御座んす。

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御徒町公園

現在では二校が合併してやたら長ぇ校名となった中等學校の校舎と校庭、なんじゃもんじゃと藤棚八幡神社のある公園になっておりまして、園内には人工ながらも小川が流れ、注ぎ込まれるがあります。

「なんじゃもんじゃ」たァ付けに付けたりですがねぇ、語源は「あんにゃもんにゃ」と同ンなじてんで、「何だか分からないけどいんぱくとのある物」ってな意味合いでさァね。
此処のなんじゃもんじゃは、「一ツ葉たご(ヒトツバタゴ)」なんてぇ呼ばれる木でして、枝に雪が積もるが如く白い花を咲かすらしいンですがねぇ、時節を逃したのか、あたしには見つけられませんでしたぃ。

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八幡神社

脇ィ「史蹟旧加藤邸久森山跡」と刻んだ標柱がありまして、伊予大洲藩加藤家の敷地があったと知れまして、当社ァ、やはり大洲八幡神社から勧請されたと伝えられますなァ。

池之端の料亭が出す蕎麦なんてぇ云うてぇと、べらぼうなお足を取られそうないめぇじで御座んすが、実はあっちら庶民向けの出店がこの近くにあると聞きましてねぇ、軽ぅく縄ァ手繰って帰りまさァね

(了)


<当り屋いろは丸>
大洲藩はポルトガル領事より一万両で購入した、蒸気船「いろは丸」を龍馬へと貸与。
瀬戸内海を航行したいろは丸は、紀州藩「明光丸」と衝突し、銃火器、陶器、金塊等の積荷と共に沈没。
龍馬と海援隊は長崎奉行へ訴訟を起こし、紀州藩に対して八万両を要求し、これを弁償させる。
が、後の調査では、龍馬の主張した積荷は存在しなかったとされる。
いろは丸、日本史上初の海難事故を扱った裁判にて勝訴した船舶、そして当り屋である。

(0621工期満了)

投稿者 yoshimori : June 10, 2010 11:59 PM
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