えェ、蒸し暑ぅ御座んす。
町ン中を歩くてぇと、揃いの青装束を纏った若い衆達の姿をお見掛けしますが、何ぞ集会でもあるんでしょうかねぇ。
良くねぇ事が起きねぇようにと願っておきますな。
本日ァ、柳橋も近い鳥越にて落語会で御座ィます。
『第五十三回 鳥越落語会』
三遊亭粋歌◆お菊の皿
「前座名は、歌すみでした」
「よく粋歌とはどう発音するのかと聞かれます」
「JR関係の方にはSuica、JA関係の方には西瓜と説明しております」
「墨田区出身です」
「両国に住んでます」
「着物姿で浅草橋まで歩いてきました」
柳家喜多八◆大工調べ
「明日、協会の総会がありまして」
「朝早いから、今まで出たことなかったンですよ」
「これまでは、委任状に『入船亭扇遊御師匠に委任す』なんて書いて逃げてたンですよね」
「行きたかないんですけど、行かなきゃならないことになりましてね」
「うちの師匠(柳家)小三治が会長就任なんですよ」
「師匠はああいうひねくれた感じでしょ」
「なかなかねぇ、弟子から、おめでとうございますって云えないですよ」
「『何がめでてぇンだ、この野郎ッ!』って云われかねないしね」
「何云っても許されるはずの(柳家)はん治あにさんさえまだ云ってないって云ってましたし」
「この間行ったンですよ、末弟(柳家)三之助の真打襲名披露に」
「まずあたしでしょ、あたしから云っちゃァいけないね、師匠小三治でしょ、高弟のあたし、で、三之助と、あと(柳亭)こみちがいましてね」
「幕開いて、こう一同皆お辞儀してるそン時、会場から『会長ッ!』って声が掛かりまして」
「緞帳のこっち側で小三治、その声にぴくってしてました」
「・・・ほんとはね、なりたかったンですよ、会長に」
「こうマクラが長くなると、小三治の気持ちがよく分かりますね」
「ハイになってるンでしょう、きっと」
「・・・実は余興で宝塚を演るんですよ」
「毎年協会が全生庵(ぜんしょうあん)でやってる、圓朝祭で」
「あの石段をね、大階段に見立てて」
「あの人たち(宝塚歌劇団員)ってあれですってね、足下見ないで階段下りるでしょ」
「だから、谷中に通って練習してますよ、全生庵の石段で」
「あれね、上がまず四段あって、それでフラットになってまして、後は十八段ね」
「もう落語なんてどうでもいいんですよ」
「しょうがないから演るンですよ」
お仲入りで御座ィます。
すず風にゃん子・金魚◆漫才
崖っぷちのぽにょから始まって、にゃん子師匠にゅーはーふ説に続き、金魚師匠のごりら藝、愛のすうぃーとほーむで終わる、寄席での演目そのままでした。
柳家喜多八◆鰻の幇間(うなぎのたいこ)
「もうあの話は止めときますね」
「・・・あと、何か云い忘れてないかなァ」
「落語の後で思い出したら云いますね」
「ほんとは『船徳』演ろうかと思ったんですけどね、あれは噺が『つく』ンですよ」
「『(与太郎と船頭の)ごめんなさい』ってくだりがね」
「『癇癪』演ろうかとも思ったンですけどね、これも怒鳴ってるでしょ」
「だから別の噺を」
「あたしゃァ母親だけは神田生まれでして」
「その頃、関口宏さんのお父さんの佐野周二さんのお父さんが近所に住んでまして、粋な鳶職の棟梁だったらしいンですよ、あたしは見たことも無いンですけど」
「あたしは練馬生まれで戸塚、今の百人町の育ちで」
「師匠の小三治は柏木で隣町でしたね」
「で、その頃、あたしが小学生の頃、近所に着物の人が住んでまして」
「子供心に何か感じたンでしょうかね」
「後で聞いたら、この人が最後の幇間(たいこもち)、桜川善平師匠だったンですねぇ」
追い出しの太鼓こそ鳴りゃァしやせんが、会場を後にしますてぇと、黒塗り外観の建屋が見えて参ります。
黒板塀に見越しの松なんてぇ風情じゃァござんせんが、暖簾をくぐりまして席から幾つか品を。
活き鰺のたたき、葱とろ、何故かザンギでぺいいち飲りまして、程好い加減で店ェ後にしますな。
渋谷まで帰りますてぇと、駅構内が怒号にも似た喧騒に包まれております。
昼に見た青装束の若い衆らが丸い球を蹴り合っておりまして、それをてれびの撮影班と尻尾の無い馬どもが眺めております。
他の青ィ若い衆らは番所のお役人らに取り囲まれたり、安い作りの民族楽器を吹いたりと徐々にてんしょんを上げつつあるようですが、目的が分からないあたしには往来を塞ぐ塊にしか見えやせん。
青ィ塊を掻き分け掻き分け家路に着きましたところで丁度時間となりまして、お後と交代で御座ィます。
(了)
投稿者 yoshimori : June 24, 2010 11:59 PM