終電を逃した泥酔のまま、新宿区より徒歩で帰宅。
しかも下駄履き。
鼻緒が足指に痛過ぎて、後半はほぼ南の島のフローネ状態で歩く。
待ち合わせは27時頃と聞いていた。
楽観的に26時過ぎに戻って入浴して準備して迎えの車両を待てばよいと考えていたのだが、26時にはさっぱり着かずに、迎車の到着連絡を告げられた頃には、まだ自宅にも到着していなかったという有様。
時間をくださいと懇願し、どうにか荷造りを終え、車両に積み込み、自らも積み込まれる。
寝てもよいという温情なる許可をいただいたので、悪い夢に魘(うな)されながらも、移動時間のほとんどを休息という名の惰眠に費やすことに成功。
車両は東北自動車道より一路、日光を目指す。
日光白根山は、栃木と群馬に跨って位置する活火山である。
「しらね」とは、雪に覆われた白い峰の外観を持つ高い山の呼び名でもあるので、同名違山は全国に幾多存在する。
6時半過ぎに到着。
少し仮眠する。
白根山登山口(菅沼登山口)
出発は8時半より少し前だったと思う。
初めの目的地、弥陀ヶ池までは2時間という。
ジブリ的な風景が続く
徐々に山は殺伐さを現し始める
誰が何の為に・・・
弥陀ヶ池まで0.9km 菅沼登山口より2.0km
現在時刻、9時40分。
弥陀ヶ池
現在時刻、10時05分。
まァ予定通りではあるな、一応。
希少な高山植物、シラネアオイは電気柵で守られる(触れるとビリビリ)
ガスってきたな
山頂はあちら
現在時刻、11時半。
もう少しだよう。(涙)
山頂(標高2,578m)
11時35分、登頂である。
疲労した身体で、切り立った崖際での撮影は緊張感がある。
ここで昼食にしよう。
沸点が低いのか、水はすぐに湯になる。
梅入りのむすびと稲荷を豆腐の味噌汁で流し込み、下山に備える。
岩間を齧歯類的な小動物が往復している。
登山客の食べ残しを狙っているのだろうか。
顔を出しては引っ込め、忙しないことこの上ない。
小さくて全然見えないが、ほぼ中央に右を向いた茶褐色の鼬(イタチ)
イタチは齧歯類ではないな。
次なる目的地、五色沼が遙か遠く眼下に
ここからが下山である。
はだか賽銭で盛りだくさんな社
現在時刻、12時半。
かつての火口跡
樹木の立ち枯れが目に付く
立ち枯れとは、倒れずそのまま枯れてしまう現象である。
原因としては、首都圏からの大気汚染物質の飛来という説も。
遭難小屋に到着。
内部は事件の現場な雰囲気充分である。
避難生活用品
「ネズミが出ます」
小屋の裏手には鹿が居る。
「鹿だ」と同行者に告げたつもりが、知らないおっさんに話し掛けていた。
登山中は他のトレッカーとすれ違う度に「こんにちはー」とか云うくせに、おっさんまるで無反応。
山の厳しさを知る。
五色沼
沼周辺では蝿等の小虫がまとわり付いて来るのを追い払うのに忙しい。
人間という存在を知らないのか、叩こうが払おうが何をしても逃げない。
どういう育ちをしているのだ。
小さくてよく見えないが、ほぼ中央に右を向いた鹿
ここからは泣き言が入ります。
もうね、帰りはね、心折れたね、ばっきばきに。
足下なんて岩ばっかりだし、根っこばっかりだし、ぬかるみだらけだし、森ん中だから全然景色変わんないし。
膝が笑い始めたんで、休憩がっつりはさんでたら、気付けば前後ひとりぼっちだし。
誰かしら装備しているはずの熊除けの鈴の音が全くもって聞こえないし。
これで雨なんか降り出したら本気で遭難できるななんて余裕のない気持ちでいっぱいに。
標識の示す「登山口→1.0km」を見た時には、目の前がぐらぐらと揺れて歪んできゅーって暗くなったね。
こっからまだ1キロも歩かすんかぃ。
でも行きましたよ、帰らないと帰れないからね。(涙)
般若心経を唱えながら無心で下る。(嘘)
別天地
うっかり重装備(ほぼ水)にしてしまった重き荷を肩から開放し、汗泥な衣類を着替え、湯治に向かう準備をしよう。
群馬より栃木方面へ向かう。
途中、雨が降り出す。
しかも、視界が遮られるほどの集中的豪雨である。
未だ山中でのそのそとしていたら、がっつりと降られて更に泥まみれになった上に、鉄砲水的な土石流に巻き込まれて危うく遭難するところだったかもしれなかったと胸を撫で下ろす。
日光湯元温泉街に到着。
周囲は温泉地らしい硫黄臭が漂い、鼻腔へと押し入って来て止まない。
そして、居座ったままなかなか去らないのだ。
選んだのは和風な旅館ではなく、エントランスに暖炉が設置されているホテルの大浴場。
当ホテル、日光国立公園の敷地内にあるという。
露天風呂には小雨が舞う。
硫黄泉だけあって、乳白色の湯に湯の花が浮かぶ。股座(またぐら)より下に向かって脚部を丹念に揉み解してゆく、傍から見れば訝(いぶか)しむくらいに。
湯元より、湯ノ湖を眺め、戦場ヶ原を抜け、中禅寺湖から、いろは坂へ。
坂を下った先では、路面に湿り気はなく、雨の降った様子は微塵もない。
が、日光東照宮を過ぎた辺りから豪雨は追いついて来た。
周辺の「中華料理・寿司」と銘打った店に入る。
椅子席は満卓の為、奥にある小上がりに通される。
混雑の為、料理の仕上がりが遅くなるから「覚悟してくれ」と釘を刺される。
とりあえずとあてがわれたのは、胡瓜と大根の漬物だった。
さほど待った記憶もなく、続々と運ばれて来る品々。
◆餃子
・・・ 宇都宮の仇を日光で
◆雛鳥の唐揚げ
◆青梗菜の炒め
◆酢豚
◆酸辣湯麺
◆日光湯波らーめん
・・・日光湯波は京都湯葉と比べると字面から異なり、分厚く二重構造である
◆五目炒飯
どれも及第点にて、願わくば近所に慾しい一軒。
同じ小上がりには常連と思しき家族連れがおり、普通に寿司を注文している。
海無し県では中華料理店で鮮魚を食すのだ。(偏見)
日光I.Cより東北道に乗り込んで、緩々と自宅まで連れってってもらいます。
お疲れ様でした。
(了)
<記録>
※以下は撮影時のタイムスタンプに拠る時刻
08:20 菅沼登山口
10:05 弥陀ヶ池
11:35 奥白根山山頂
13:20 遭難小屋
13:40 五色沼
xx:xx 弥陀ヶ池
15:40 菅沼登山口
計:7時間20分
(0901工期満了)
投稿者 yoshimori : August 29, 2010 11:59 PM