旅行に同行する者を選定する過程において重要なのは、その人物が通常時に没個性で且つ曖昧であれば邪魔にならない。
同行者に宿、若しくは移動の車中にて一定量の酒精を与え、酩酊時にその旅の主題とも云えるべき単語が発せられればそれでよいのだ。
内田百閒氏の鉄道記、『第三阿房列車』を読んでいる。
当シリーズの三冊目であり最終巻である。
誤解のなきように断っておくが、上記内容は百閒氏の言葉ではない。
百閒氏の旅程に付き添うヒマラヤ山系こと、平山三郎氏の存在があまりにも現実離れしており、大変に秀逸なので、虚実綯(な)い交ぜな彼の稀有な存在を記しておきたいだけである。
無論、実在する平山氏と阿房列車に描かれるヒマラヤ山系とは大いに異なるキャラクタアであることは承知している。
全ては百閒氏の筆致が成せるが所以である。
ただ引用するだけでは芸がなさ過ぎるので、「旅の途中に体調不良であることを理由として身を焼かれるべく生きながらにして恩師であるはずの百閒より焼き場を予約される男」として、次へと引き継ぎたい。
(了)
投稿者 yoshimori : September 14, 2010 11:59 PM